スノッブ・・・「紳士・教養人を気どる俗物。えせ紳士。スノブ」(『デジタル大辞泉』より)
みなさん本を読んでいますか?
読書家の皆さんはきっと月に10冊、ハードカバーのごっつい本を大量に乱読しているかもしれませんが、私は違います。
私は本を買っても積んでばかり。さらには集中力がないのでを読んでは投げ、読んでは投げという生活を続けているのです。
本のチョイスにも問題があります。
SDGs的意識高い系の私はエコロジーを第一に考えているので、100年後に読まれなくなりそうな本を倫理的に買うことができないのです。
そして身の丈の合わない古典名作を読もうと決心するのですが、今度は複雑難解すぎて一文も理解できない。
そして結局入門書を買いあさって理解した気分に浸り、もう一度古典を読み返すと、「あれなんか言ってること違わね?」ってなったりします。
特にひどかったのは『存在と時間』。翻訳されて日本語になっているはずなのに、文字情報が全く頭に入って来ません。
(「現存在」と「人」って何が違うんでしょうか?「共同存在」とは?「日常的様態」とは?「先駆的決意性」とは何でしょう。自分の死を想う?でも死は体験できないんじゃなかったけ?)
(ふぇぇ・・・ぜんぜんわかんないよぉ・・・)
というわけで、私のように教養人を気取りたいながらも、なかなか「大人の教養」を得るための古典を読み解くことができない人のために、西洋哲学の中でもとっつきやすいものをピックアップしていこうと思います。
この本をオススメする理由はとても短いということです。
またダイアログ形式なので、小説のように読むことができます。
皆さんご存じのプラトンの作品で、「無知の知」という誤解されがちな言葉の元ネタでその箇所がこちら。
「私はこの人間よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを 何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、 私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。どうやら、 なにかそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私 は、 知らないことを、 知らないと思っているという点で」(プラトン著 納富信留訳『ソクラテスの弁明 』(光文社古典新訳文庫) (p.22-23). 光文社)
(岩波文庫の訳は大正時代のものなので、やめておいた方がよさそう。)
なおかつ光文社新訳文庫版の翻訳を担当している納富先生の講義がYouTubeで見れるんですよ。
(「無知の知」という俗説はプラトンの言っていることとはかけ離れている。倫理の教科書に書いてあることをアップデートしましょう。)
(エロスについての本。つまりエロ本だ。)
この著作は西洋哲学の中でも最も重要な作品の一つです。哲学の祖とも称されるソクラテスの裁判についてプラトンは何を見たのか。
始めての哲学書にぴったりの本ですが、その奥深さは一生読み込んでも尽きることはないでしょう。
『新約聖書』より「ローマの信徒への手紙」
わたしはキリスト教徒ではありません。
しかし聖書のエッセンスは西洋思想を読むうえで必要不可欠なものです。
だけど聖書を読むにはあまりに長いし、おんなじエピソードを何度も読まされるのは結構大変な作業。
というわけで、新約聖書の「ローマ信徒への手紙」だけをよんでみましょう。
これは使徒パウロがローマ在住のクリスチャンに送ったもので、パウロ流のキリスト教の救済や信心についての断片を感じ取ることができます。
さらに宗教改革を起こしたルターも激賞しており、プロテスタンティズムを理解する上でかなり役に立ちます。
インターネット上でも読めるのでぜひ読んでみましょう。
これをよんだら次におすすめなのはこれ。
『キリスト者の自由・聖書への序言』 ルター
これも本文だけなら100pに満たないもの。
庶民向けに書かれたものなので、読みやすいはずです。
プロテスタンティズム入門にぜひ読んでみましょう。
「たましいも言の有するもの言から受け取る。そこでキリスト者は信仰だけで十分であり、義とされるのにいかなる行いも要しないということが明らかにされる。」(ルター著 石原謙訳(岩波文庫)『キリスト者の自由・聖書への序言』(p21)岩波書店)
この本もあまりに有名です。
「われ思うゆえにわれあり」という言葉は誰もが知っていることでしょう。
「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。」(デカルト『方法序説』(岩波文庫)(p9)岩波書店)
こんな文章から始まる『方法序説』はその名の通り方法について、つまり哲学・理性?の方法についての序説です。
しかもこの序説はとっても親切。序説が始まる前に序章がありこんなことを書いているのです。
「この序説(話)が長すぎて一気に読み通せないようなら、これを六部にわけることができる。」(デカルト『方法序説』(岩波文庫)(p7)岩波書店)
とはいえ岩波文庫版で100pほどなのですぐ読めると思います。
「われ思うゆえに」のところが読みたければ、第四部から読みましょう。
たった2pで「コギト」に辿りつけますよ。
『人間不平等起源論』 ルソー
中学や高校の教科書だと、ホッブスやロックとセットで覚えるルソー。
かれは実は作曲家で、「むすんでひらいて」はルソーの曲。
フランス革命にも大きな影響を与え、現代社会にとっても最も重要な思想家であるルソーですが、私は『人間不平等起源論』をオススメします。
これも本文は短く140pほど。
タイトルで「人間は起源から不平等なのだ」などと誤解する人もいるかもしれませんが、その逆でもともと「平等」だった人間からいかに「不平等」が生まれたのかということを探る本です。
彼は人間の自然状態、つまり文明以前というものを想定するのですが、生物学や文化人類学が発展した現在からみると彼の着想は奇妙に思えるかもしれません。
実際にそうであったというよりは、人間の本来の姿を想定するためにルソーが想定した姿が所有権なき、野生人だったのです。
彼の所有権なき野生人たちの発想が現在の人権や平等思想の基盤になっていることは間違いありません。
人権だとか社会、国家について考えるにはうってつけの一冊です。これを読んでから、『社会契約論』に進むのもいいでしょう。
(マルクスを読むと彼がルソーから影響を受けていることがわかる。また近代以降におけるユートピア論はルソー抜きには語れないと思います。)
『歴史哲学講義』ヘーゲル
今回はちょっと長いです。文庫だと600pを超えます。
ただヘーゲルなら『精神現象学』や『大論理学』のような主著よりは、弟子たちが彼の講義をまとめた『歴史哲学講義』のほうが読みやすいです。
(なりたちは同じ)
抽象的な観念論の話ではなく、歴史の発展について語った本作。
序論において、歴史の発展の理論について語られ、一部から三部までにかけて、中国やインド、ペルシャ、エジプト、ギリシア、ローマ、ゲルマン社会、そしてプロイセンの歴史についてヘーゲルの理論で語りつくします。
この本は批判の多い本です。
西洋中心主義、ナショナリズムについては弁護の余地なく、中心に流れる進歩史観はヘーゲル史観とも呼ばれ、おそらく最も普及した間違った歴史観なのではないでしょうか。
ヘーゲル批判というものは近代、現代哲学の要とってもいいものです。
彼がどんなことを説いたのか、この本を手に取って巨大な思想の断片を味わうのもいいでしょう。
最初に断っておくと私は共産主義者ではないです。
ただ哲学・思想ということを踏まえた時、マルクス主義を抜かすことはできないでしょう。
例えばイデオロギーという単語は『ドイツ・イデオロギー』というマルクス・エンゲルスの本が元ネタです。
またマルクス批判という立場で共産党とは異なった立場で、自らの思想を練り上げていった思想家は沢山いますし、また資本主義社会の分析の要として、マルクス(マックスウェーバーはマルクス批判という一面もある。)はやっぱり外せないです。
真面目に読むのが嫌だという人はネタとして読みましょう。
ネットに書き込むときに「万国のプロレタリア団結せよ!」だとか、「ヨーロッパに幽霊が出る」(これ『攻殻機動隊SAC』にも出てくるよね。)だとか、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。」だとかをもじって書き込んでみよう。
ちなみに『共産党宣言』はパンフレットなので短く、分かりやすくまとまっています。岩波文庫でも100pに満たないので簡単に読めるはずです。
しっかりマルクスに取り組みたいという人はこんなサービスがあります。
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『この人を見よ』ニーチェ
この本を一言で言うなら「ニーチェによるニーチェ入門書」です。
学会を追放され、バーゼル大学を去ったニーチェは今でいうフリーライターでした。そしていろんなところを旅をしながら、謎ポエム「深淵を・・・」みたいなものを集めた本、『善悪の彼岸』だとか、難解と言うよりは奇怪な『ツァラトゥストラはかく語りき』だとかを出版していましたが、あまり評判がよくありませんでした。
ということで自分で解説してやるぜ、ということで書いたのがこれ『この人を見よ』です。
(”ecce homo”というラテン語はイエスに対して、ピラトが発した言葉である。)
この本読んでみるとわかると思いますが、語り口が常軌を逸しています。
最初の章題。
「なぜわたしはこんなに賢いのか」
そして二番目
「なぜわたしはこんなに利口なのか」
三番目
「なぜわたしはこんなに良い本を書くのか」
・・・
現在に例えてみましょう。売れている作家がTwitterでこんなこと言うならまあビックマウスなんだなってことで済みます。コムドットみたいなものです。
しかし、あなたはなんとなくある人のブログを訪れた。あまり人気な様子ではない。
大量の記事があって、最新の記事の名前が「わたしはなぜこんなに良い記事を書くのか」だったらどんな印象を持つでしょうか。
わたしはニーチェのこういうところが大好きです。
(わたしがもっとも好きなニーチェの本。なんなら思想系でも一二を争うレベルで好き。)
こんな形でどうでしょうか。
なるべく短く、読みやすいものをまとめてみました。
注意して欲しいのはこれらの本はとっつきやすいだけであって、簡単なものではないということです。
完全に理解するなんていうのは一生かかっても無理だということを念頭に入れて読んでいきましょう。
ただ一般ピーポーに教養人を気取るためならこれらを押さえておけば十分です。似非教養人が読んでもいないのに「無知の知」についてなにかを言ったら、「こいつわかってないな」とマウントをとることができますが、調子にのり過ぎないようにしましょう。
真剣に哲学に取り組んでいる人にとって、私たちのようなスノッブは一番目障りなにわか。
知ったかぶりをしたところで、知識と教養の差でフルボッコにされること間違いなしです。
教養とは知識などではなく。学び続ける姿勢です。
知識を武器として振りかざしてもディスコミュニケーションを生むだけです。
私も不勉強で無教養な人間なので、教養人になれるように、努力を続けようと思います。
さて西洋哲学編はこれで終わり。
次の記事では西洋文学編に入ろうと思います。
気が向いたら見に来てくださいね。
それではまた会いましょう。