Z世代の代表 作品紹介

一号とRYANAがZ世代ならではの視点でさまざまな作品を紹介します。

『私には戦争がわからない。』

8月15日。

今日は言わずと知れた終戦記念日である。

終戦から今年で77年。つまり当時を覚えている人はもう80代をゆうに超え、男性の平均寿命とほぼ同じということになる。

とはいえ「戦争」という特権的な意味を持つ単語は私たちの中で、いまだに使い続けられているし、毎年この時期にTVをつければ、広島や長崎に落とされた原爆の特集やドラマ、NHKのドラマなんかが毎年流され、当時の愚かしさを時には分析的に、時にはトレンドのアイドル俳優を使ったドラマで教えてくれる。

 

 

「戦争」についてはZ世代であっても必ず知っている。それはなんとなく見ているネットニュースでもいいし、学生時代強制的に見させられた平和学習の教材でもいい。

そして多くの日本人が「戦争は悲惨である」だとか、「戦争はしてはいけない」ということもきちんと知っているだろう。

仮に渋谷で「戦争賛成ですか、反対ですか」という質問を若者に聞いてみれば、ほとんどの人が反対と答えるはずだ。

 


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確かに私たちは戦争を知っている。そして疑いようのない模範解答も知っている。そして何を言うべきかということも知っている。

 

だが戦争を知っていても、解っている人はきっといない。

そしてそれは日本だけでなく、世界的に共通する問題なのだ。

 

(なかなか面白い映画。戦争映画と言うよりは、現在のアレゴリーである。)

 

わたしは数年前、ドイツ国内にあるKZ(強制収容所)に訪れたことがある。

教科書通り、門には(ARBEIT MACHT FREI)と書いてあった。

雪のしとしとと降る中、厚いコートとブーツを履いて私は当時のまま残された施設を神妙な面持ちで巡っていったのだ。

 

(名作なので皆さんご存じだろう。)

 

その収容所はガス室こそなかったが、やはり多くのユダヤ人や捕虜となったソ連兵などが奴隷のように働かされ、そして殺されていった場所だ。そのうえナチス政権が崩壊した後、そこはソビエト連邦に接収されラーゲリとなった。そして今度はドイツ兵をはじめとした捕虜が強制労働を強いられ、死んでいった場所だ。

「此処では何千ものソビエト兵が殺された!」と書いてある横に、「ラーゲリ記念館」が立っていることは、戦争の愚かしさを象徴的に物語る。

 

(映画早く見たい)

 

私はあくまで真剣に見学していたし、帰るころには殺された人たちに同情し、「私はKZに赴き、戦争の愚かしさを完全に理解したのだ。」という風に思い込むほど、深く考えさせられていたのだ。

 

しかし、帰る間際のこと。

恐らく中学生くらいだろうか?社会科見学だか、修学旅行だか見当もつかないけれど、とにかく学生の集団がガイドに引き連れられて、ぞろぞろと施設の中に入ってきたのだ。

 

思いあがっていた私は、せっかくだからガイドの話を盗み聞きしてやろうと彼らの横に立って、やっぱり神妙な面持ちで立っていた。

 

すると突然、その横の集団から女性の怒鳴り声が聞こえたのだ。

私は遠慮がちにだが、横を見てみると集団の一番後ろについてきていた女性が二人の少年に対して𠮟りつけている。

どうやらふざけていたらしい。そら怒られて当然だろうと思いながら、横眼で彼らを見る。少年たちは不貞腐れた表情で一応反省の素振りを見せ、またガイドが始まった。

 

そして私はその不貞腐れた少年たちの表情を見たときに、居ても立っても居られなくなり、私は施設から逃げだしたのだ。

私は大学に入ってからはヨーロッパの歴史や文化を少しかじり、模範解答として「どのように振る舞うべきか」ということを学んできた。

しかしあの少年の不貞腐れた表情をみて、自身の化けの皮が剝がれ、私が本質的に戦争をわかっていないということがはっきりとわかってしまったのだ。

 

(この映画を白黒にしたのは、まずかったのではないかと思う。)

 

時はさらに遡ってそこそこ前の話。

中学生だった私は、学校の修学旅行で広島に連れてこられた。

当時の私は不勉強であり、そして率直であった。

旅行に行く前には、学校の側に指定された、慰霊碑巡りというものにたいして不満を漏らし、「こんなものじゃなくて、厳島神社に行きたい」と友達と愚痴を言い合っていた。

そして現地に着けば碑巡りなんてものは適当に済ませ、もみじ饅頭を買って、冷房の効いた部屋で雑談しながら時間を潰したのである。

そしてこの態度の悪さというものは、私に限った話ではなかった。

 

(日常的なシーンが長く、戦時中にも我々と地続きな生活があったんだと共感しやすい。)

原爆資料館での出来事である。

考えてみれば決められた時間しかないのに、なぜあんなにも長々と雑談をしていられたのか。碑巡りをおろそかにしただけでは計算があわない。

それは資料館もまともに見ていないからである。

資料館に入ると班員だった女の子がこんなことを言ったのだ。

「私グロいのとか見たくないから、グロいところはスルーで」

この女の子の発言に対して、誰も意義を申し立てることはなく、生々しい描写のある場所はすべて素通り(その女の子は手で目を覆っていた)することになったのだ。

そしてあからさまに素通りするのを見ても、教師はなんにも言ってこなかった。

そういえば事前学習として、『はだしのゲン』の映画を見る際も、グロテスクなところは無理に見なくてもいいと言っていた気がする。

嫌がる生徒に無理やりグロテスクなものを見せると問題になるかもしれないとでも思ったのだろか。

 

 

そういうわけで、中学時代の私の広島体験は、今は何を話したかも覚えていないような雑談で幕を閉じたのである。

 

そしてそれから3年後、今度は沖縄に修学旅行に行くことになった。そしてもちろん平和祈念公園だとか、ひめゆりの塔だとかに見学に行くことになったのだが、私たちはそのうえ現地の語り部の方からお話を聞く機会を頂いた。

そこは集団自決があったと言われる、洞穴の前で、語り部は臨場感たっぷりに当時の悲惨な様子を伝える。

しかしそれを座って聞いていた時、後ろに座っていた男の子が、私の方をツンツンとつついた。

私は振り返ってみると、後ろの男の子二人はニヤニヤとしながら、「あのおばさん、あき竹城に似てね?」と言ってきた。もう一人の男の子はもう決壊寸前というほど笑いをこらえている様子だ。

私も語り部の顔を見てみる。確かに似ている。TVのそっくりさんに出てくるレベルで似ている。

当時にはもう、私はある程度分別をつけていたので、絶対に笑ってはいけない場面であるということは重々承知していたし、こんなところで笑うなんて人間として最低であるということだって理解していた。

しかし、それを意識すればするほど、込みあげてきてしまうものが笑いである。私は必死に笑いを抑えながら、耳を傾け続けた。

語り部の話はさらにヒートアップしてくる。旧日本軍への怒り、そして米兵への怒りを感情をこめて話し続けている。そして最後には持っていた紙を地面にたたき付け、演説は終わった。内容は沖縄戦の悲惨さを伝える素晴らしいものだった。

 

 

しかし帰りのバスで、さっきの友達が、あき竹城のまねと言いながら、修学旅行のしおりを叩きつけた。

みんな笑った。そして私も笑った。

 

高校の修学旅行では平和学習の課題として、ショートレポートを提出しなければならない。

文章を書くのが嫌いだった私は、誰かの物を参考にしようと、同じ班だった先ほどの男の子のレポートを盗み見た。

たしかこのようなことが書いてあった。

「沖縄では戦争で、日本の中で唯一陸上戦があり十万人以上の人が亡くなりました。そしてそれは軍人だけでなく、民間人も数多くの人が死んだのです。わたしは語り部の話を聞いて、当時の状況にとても胸を痛め、戦争というものの残忍さ、卑劣さ、そして悲惨さを実感しました。決してこのようなことは二度と起こしてはいけません。そしてそのためにも、戦争がこれから起こらないために、戦争の現実を伝え続けていかなくてはならないと思います。」

 

私もおんなじようなことを書いて、提出したはずだ。だが私たちだけでなく、みな同じようなことを書いて提出したのだろう。

 

 

そして次の日にはそんなことを忘れ、全員海だのマングローブだのレジャーに心躍らせたのだ。

 

未成年時代の出来事であるが、はっきり言って本質的には私は変わっていない。

私は実は戦争について何もわかっていなかったのに、いかにもわかっているふりをしていただけだ。

大学で小手先の知恵を付け、神妙な面持ちを面持ちで偉そうなことを言うことは覚えたけれど、なんにもわかっちゃいない。

あったかい恰好で強制収容所を見学したからなんだというのだろう。意味がないとは言わない。関心を持ち、犠牲者たちを認識し続けることは間違いなく意味がある。

だが、戦争を理解するにはその場所に行くだけでは不十分すぎる。

ならばどのようにすれば理解することができるのだろうか。実際に体験した人の伝記だとか体験を追体験することで、それをなすことは可能だろうか?

 

私はそれも不可能だと考えている。

 

こうした戦争をわからないという戦中世代との断絶は、普遍的なものだと私は思う。

俗っぽいたとえだが、富野由悠季監督と庵野英明監督の作品を比較すれば分かりやすいかもしれない。

 

ガンダム』『イデオン』『ダンバイン』においては戦争という状況において、肉親との断絶、時には親殺しというテーマが描かれている。

 

(『イデオン』は展開もイデ発動のシーンも好きだが、その2つを合わせると少し評価が落ちる。)

ガンダム』ではアムロは母に拒絶される。『イデオン』ではカララは姉や父と対立するが、それは戦争という状況に巻き込まれた故である。『ダンバイン』に関してはもっと徹底している。主人公であるショウも母親に拒絶されるし、キーンは戦争故に親を殺すし、リムルもそれぞれ両親と対立する。

 

に対して『エヴァンゲリオン』ではどうだろうか。『エヴァ』においても親子の断絶は描かれているが、これは明らかに戦争という状況故のものではない。戦争抜きに親子間のコミュニケーションが足りていないだけである。

 

そしてこの違いはやはり戦争体験の差なのではないかと、私は考えている。

 

戦争をわからない私たちにとっては戦争故のもの、つまり集団が個人を超えて重いものになり、死すらいとわなくなるという状況を理解できない。

それゆえに、戦争体験者が戦争ゆえの心理描写を描いたとしても、私たちは個人的な心理描写に読み替えてしまうのである。

 

(日本人の戦争体験の喪失については、この映画を見ずには語れない。)

 

つまりこの仮説が正しいならば、私たちは広島や沖縄、アウシュビッツに行ったとしても、その場で起こったことがわかることは絶対にない。

分かったと思ったとしてもそれは、今まで人生で感じてきた個人的な悲しみを、彼らに当てはめているだけなのだ。

それゆえに世間を知らない率直な子供時代は、そうした場所で不真面目になってしまうのだ。

そして大人になって世間の目を意識して、意識の高い集団にいると、振る舞いが洗練され、自分自身すら騙すようになる。そして、戦争教育に同調して、修学旅行の時に書いたレポート課題のようなことを、心から思っていると錯覚するようになるのだ。

 

だが、私たちはどうすればよいのだろうか。戦争をわかっている人たちはどうあがいても減っていってしまうし、いつかゼロになる。

そんな中で空虚なスローガンを掲げ続けることで、本当に平和を保つことができるだろうか。

 

(殺人事件まで起こしているテロリストに密着したドキュメンタリー。旧日本軍の極悪非道な罪をかれが暴いていくという内容だが、破天荒な彼が説得力を持つのは彼自身の戦争体験故である。収録された時代では、戦地に行って指揮した人たちが生きていたが、現在はもう死に絶えている。こうしたドキュメンタリーは二度と表れないし、Z世代の私にとってはこの映画は異世界のものに思える。そして奥崎健三氏の末路を考えると、当時この映画を激賞した戦後世代の人たちも、何一つ奥崎をわかっていなかったということがわかるだろう。)

 

 

さんざん修学旅行やスローガンを否定するようなことを言ってきたが、結局私たちにできることはそれくらいしかないのかもしれない。

渋谷の同世代の若者たちが、「戦争反対」のスローガンを空虚に不真面目にでも、持ち続けていることが、意味のあることなのかもしれない。

 

無意味にきれいごとを唱えること。それは意味を持たせようと行動に走るよりも、危険ではないのかもしれない。

 

8月15日、終戦記念日

私はこの日に、「私には戦争がわからない、でも平和は大事なのは確かだ。」と唱え続けよう。

分からない世代にとっても、この時期だけでも、空虚に思い起こすことにはきっと意味があると信じたい。

 

 

RYANA