Z世代の代表 作品紹介

一号とRYANAがZ世代ならではの視点でさまざまな作品を紹介します。

『W杯日本代表ベスト8を祈願!!『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』ノーベル文学賞作品を紹介』

(本当にすげえです。わたしはオリンピックと世界陸上世界水泳アジア大会とそしてW杯は基本見る、スポーツ大会スーパーエンジョイ勢なんですけど、その中でも日本対スペインは最も感激した試合の一つになりました。今日はクロアチア戦、ぜひ打ち破ってベスト8に進出して欲しいですね。)

 

現在行われているFIFAW杯2022。

日本代表は強豪ドイツに劇的勝利を見せるも、コスタリカに敗退。

GL突破にはまたもや強豪スペイン相手にジャイアントキリングをかまさなければならないという絶望的な状況であったものの、まさかの二度目の大勝利。

はっきり言って漫画でもありえんような展開に、風邪気味でのどを痛めていた私は早朝から大声を出して歓喜し、咳がさらに止まらなくなるという事態に。

とにかく私の感激はそこまですごかったということだ。


www.youtube.com

(堂安のこのシュートやべです。ゴラッソ、ごらっそ、golazoです)


www.youtube.com

(神アシストからの、逆転ゴール。VARを取り入れた本大会の象徴的なゴールになるでしょう。)

もちろん活躍しているのは日本代表だけではない。本大会はアジアやアフリカの代表が、ヨーロッパや南米などの強豪国に勝利するようなゲームも多い。本当に素晴らしい。やはり強豪を倒すというシナリオはみていて気持ちの良いものだ。

 

そんなこんなで物凄い盛り上がりを見せているW杯。

ということで今回は文学界のバロンドールこと、ノーベル文学賞受賞作家の作品を紹介したい。

 

『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』 ペーター・ハントケ

かなり有名な小説なので既知の方も多いだろう。

この小説を知らないという方でも、ペーター・ハントケについてはノーベル文学賞を受賞しているので、おそらくご存じなのではないだろうか。

 

しかし一応知らない人のために解説する。

ハントケオーストリアの作家である。

kotobank.jp

しかし作家といっても小説だけでなく、戯曲だとか映画脚本だとか詩だとか様々な作品に関わっている。

例えばセンセーションを起こしたとされる『観客罵倒』という作品。


www.youtube.com

役者が観客を罵倒するという作品だが、観客を役者が罵倒することで第四の壁(これはもともとは演劇用語であり、それを破るという発想はブレヒトなどのものである。)を取り払うだけでなく、立場すらも逆転させる。非常にユニークな発想だ。

 

 

ちなみに筒井康隆の『読者罵倒』はここから着想を得たものである。

「自分と交接れる小説を読もうとしながらも自分では書くことのできない無学文盲の手前が、そもそも読む小説を選ぶことのできる生き物かどうか鏡を見てよく考えろこの糞袋。ははあ。自分のことではないと思っているな。おのれより低級な読者のことであろうと安心しているのだろうが、あいにくおのれのことだ。」

筒井康隆(2002)『自薦短編集3⃣ パロディ編 日本以外全部沈没徳間書店

 

 

ちなみに田中ロミオも「ユーザー罵倒」というパロディをしている

本当は羨ましいと感じながらもそれを反発という幼稚な感情へと屈折させ、流行に操られ見た目ばかりを気にする劣る人間と見下していたのだろうが。

まさに笑止千万失笑苦笑。

流行に乗らぬ自分は格好いいとなどと思っていたか?

田中ロミオ(2015) 田中ロミオの世相を斬らない烈』 フロンティアワークス

 

 

このように意外なところまでもその影響が垣間見えるのは流石ノーベル文学賞作家といったところだろう。

 

そして彼のなかでも最も有名な仕事は何といっても『ベルリン天使の詩』である。

ただ歴史を傍観者として見てきた天使が、サーカスの女性に恋をして人間になるという物語。ヴェム・ヴェンダースによるこの映画はあまりにも有名だが、冒頭から最後まで、この作品を彩る「子供が子供だったとき」(als das Kind Kind war)はハントケによる詩だ。


www.youtube.com

(ちなみにハントケはユーゴ内戦でセルビアを擁護した人物であります。わたしが産まれる前の出来事ではありますが、NATOによる空爆を批判することはともかく、やはりコソボ系の人たちにとっては許されない姿勢だったことは想像に難くないです。そこらへんを注意して読まなければならない作家であることはここでしっかり明記しておきましょう。)

news.yahoo.co.jp

このようにいろいろなジャンルで大きな足跡を残したハントケだが、やはり主著というと、今回紹介する『不安』である。

 

『不安』はどのような作品なのか。小説について語る時にはあらすじからジャンルを特定し、そのジャンルの雰囲気を伝えることが一番手っ取り早いのだが、本作ではそれは難しい。

一応あらすじはこうだ。

ゴールキーパーだった男が、ある日勤め先の工場の現場監督の動作を「解雇通告」だと受け取り、仕事をやめる。無職になったかれは映画を見て過ごすが、そこで出会ったチケット売りの女性と仲良くなり、一夜を共にする。

しかし翌日特に理由もないのに彼女を殺し、主人公は旅行に出かける。

自身の起こした事件の報道を見ながら旅を続けるのだ。

 

このあらすじだけ見ると本作はサスペンス逃避行のように思われるかもしれない。

しかし読んでみるとまったくそうではないということがわかるだろう。

サスペンスにしろミステリーにしろ、基本的にはなぜ人を殺したのか、どのように人を殺したのかという因果関係が作品の中で最も重要視される。

そしてそのいきさつが少しずつ明らかになることで、読者はサスペンス(緊張)から解放され、不安から解き放たれる。

しかしこの小説はその逆を志向している。

PKがどちらの方向にけられるのかという不安。因果関係が堂々巡りになるゴールキーパー的不安を描こうとしたのが本作品なのだ。

殺人事件の動機や仕掛けが未知であるという不安がサスペンス的不安であるならば、本小説はゴールキーパー的不安というものが、中心に描かれている。

ペナルティキックが宣せられた。すべての見物人がゴールの後ろへと走る。≪ゴールキーパーは、敵がどっちのコーナーへキックするのだろうかを考慮します。≫とブロッホが言った。≪もしキーパーが、キックをする男を知っていれば、相手が大体どっちのコーナーをえらぶか分かります。場合によってはペナルティキックをするほうも、ゴールキーパーがそう考えていることを計算に入れます。ですからゴールキーパーは、今日ボールがひょっとすると他のコーナーに来ることを、更に考慮します。しかしキックする方がやはりゴールキーパーと同じことを考え、やはりいつものコーナーへキックするとしたら、どうなるでしょう?等々限りがありません。

(ペーター・ハントケ(2020)羽白幸雄訳『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』三修社 P171より)

そして現象と因果関係の乖離というゴールキーパー的不安は言語と現象の不一致という点にも表れてくる。

例えば冒頭のこのシーン。

機械組み立て工ヨーゼフ・ブロッホ、むかしはサッカーのゴールキーパーとして鳴らした男だが、彼が或る朝仕事に出てゆくと、きみはくびだよと、告げられた。

というより実は、折から労働者たちが宿泊している現場小屋の戸口に彼が姿を見せたとき、ただ現場監督が軽食から目をあげたという事実を、ブロッホはそのような通告と解し、建築現場を立ち去ったのである。

ハントケ(2020)『不安』P5より)

冒頭から起こる主人公と他人との行為の意義の取違い。そして本作はこのような現象と意義を取り違えて語るということで、因果関係やそれを説明する言語というものの不確定さを浮き彫りにする。

そして終盤になると、主人公は隣室のいびきからなにか言葉を聞き出そうとしていく。言語という音の震えが、意味のない音であるとされているいびきと同じモノであるかのように捉えられ、最後には言葉はただの記号となって、認識もすべてただあるがままのものとして認識する。

ハントケ(2020)『不安』P160より)

(これを引用しなければ意味ないのに。どうやって出すんだこの記号?💺)

現象や事象には因果関係があり、物理学を始めとした自然科学では、再現性というものが重視される。そしてその自然科学的な方法論は工学だけでなく、ありとあらゆるジャンルに応用され、そうした経験論は現代において最も信仰されている方法論であることは間違いないだろう。

ミステリーやサスペンスというジャンルもそうした時代背景のもとに生まれたものであり、やはり現代においても最もポピュラーなジャンルである。

しかし因果関係を語るには言語を用いるほかにない。しかしその言語は本当に正確なものなのだろうか。

こうしたことはハントケの産まれたオーストリアでは近代と共に問いかけられてきた問題であった。言語懐疑というものである。

もっとも有名なのはやはりホーフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』だろう。

つまり、いただいたお手紙が私の目の前にあるのですが、その文面に書かれているタイトルがじっとわたしをよそよそしく冷たく見つめているのです。そうなのです。そのタイトルを見ても私はすぐに、誰もが知っているひとつの像が単語の組み合わせによって結ばれたもの、とは把握できず、単語を一語ずつしか理解できなかったのです。

(ホーフマンスタール(2019)丘沢静也訳 『チャンドス卿の手紙/アンドレアス』光文社)

そしてハントケはそうした言語懐疑をさらにつきつめ、現象と言語の乖離という不安を本作で描き切ったのだ。

そしてその不安をゴールキーパー的であると分析したハントケの発想はやはり、ノーベル文学賞にふさわしい慧眼であろう。

 

終わりに

非常に癖の強い本作だが、やはりノーベル文学賞作家なだけあってとても価値のある読書体験だった。ぜひ皆さんも手に取って格闘することをおすすめしたい。

ゴールキーパー的な不安というのは、我々にも少しは思い当たる節があるだろう。


www.youtube.com

右にいくか左にいくか。それとも転がしてくるのか。


www.youtube.com

さらには予想もつかないところから、ミドルシュートが飛んでくることだってある。

観客は基本的に球やFWの動きばかりに注目するが、その視界のそとでゴールキーパーは常にどこから球が飛んでくるかいろいろな予想を脳内で繰り広げながら、セーブするためのポジションを探っている。

 

ハントケの本書は最初こそはサッカーにあんまり関係がないように思われたが、ゴールキーパーという役割が作品の根幹としてたしかに存在している。

本書を読んだ後に試合を見れば、キーパーに注目すること間違いなしだ。


www.youtube.com

 

私も今夜は権田に注目してクロアチア戦を楽しむことにしよう。

 

 

日本の優勝を祈願しながら……

 

それでは!!!