こんにちはZ世代の代表一号です。
今回はデイミアン・チャゼル監督の『バビロン』を鑑賞してきました~♪
『セッション』や『ラ・ラ・ランド』などで有名なチャゼル監督。
わたしも『ラ・ラ・ランド』は大好きで、もう7・8回くらい繰り返し見ています。『セッション』も結構好きな映画です。タイトルのわりにセッションしない映画ですけれど。(完全に邦題が悪い。ちなみに好きなシーンはびんたでテンポを教えるシーン)
いままで病的なまでの芸への執着とその代償というテーマを描いてきた彼ですが、今回の舞台は1920年代の映画業界。
映像技術の黎明と発展。資本主義の発展と西洋の没落。フィッツジェラルドがジャズエイジと呼んだこの時代を『バビロン』はどのように描いたのか。
ネタバレなしで紹介していきましょう。
とにかく下品で汚い。セックス、ドラッグ、そして汚物まみれのハリウッド。
サイレント映画の時代。
ハリウッドはまだ砂漠が広がる荒野で、警察の力もあまり及ばない土地で、産まれてまだ30年も経たない映画界の役者や監督、そしてスターに憧れる野心家たちがこぞって集まってくるところでした。
そしてそんな野心家の成金スターたちによって、映画冒頭から度肝を抜くような絢爛豪華な屋敷でのドラッグ乱交乱痴気騒ぎが繰り広げられます。
間違いなくこの酒池肉林のシーンは本作の見どころなんですけれど、その描写がめちゃくちゃ下品で汚い。スコセッシやタランティーノみたいにスタイリッシュな感じではなくて、本当に汚いです。酒やドラッグだけでなく糞尿ゲロまみれ。
バビロンという名にふさわしいほどインモラルな世界です。
そして本作の主人公である映画製作者になることを夢見る青年トレス、女優になること夢見るラロイはそんなお下劣パーティにて、運よく映画業界へのチケットを手にします。
そしてここから一気にスターダムを駆け上がっていくのですが、この辺のサイレント映画時代の描写が結構面白い。
サイレント映画なので雑音とかは気にせず罵声が飛び交い、屋外のスタジオで様々なシーンを所せましと撮影しています。
そして倫理観も信じられないくらい低い。
合戦の撮影で本当に人が死にます。今だったら大変な事故ですが、そんなことは当時はよくあること。小指ぶつけたくらいの気持ちで、撮影は続行されます。
クレイジーですね。
そして銀幕のスターであるコンラッド。ブラピが演じる☆ダンディ☆なスターですが、彼も撮影直前泥酔していたり、めちゃくちゃ破天荒。
しかし肝心なところではきっちり決める。
かっこいいです。
(サイレント映画の例。トーキー映画(音付き映画)と異なり、脚本がカットごとに挟まれる。わたしはこの時代はハリウッドでなくドイツ派。もちろんソ連もすごい。)
しかしそんな半分ならず者たちが集まるハリウッドでしたが、大きな変革が訪れます。
それはセル画がデジタルに変化するだとか、windows95が発売されるだとか、サブスクリプションが普及するだとかなんかよりも大きな転換点となった出来事。
トーキー映画の登場です。
(革命を起こした言われる『ジャズシンガー』ですが、完全にトーキー映画ではない)
映画に音声が付くようになり、サイレント映画のスターたちの多くは音声映画に対応できず消えていきました。
『バビロン』の登場人物たちはどうなったのでしょうか。
ぜひ映画館で確かめてみましょう。
『雨に唄えば』+『ブギ―ナイツ』+『ラ・ラ・ランド』『セッション』
サイレント映画からトーキー映画への転換期と聞いて察しのいい方はお気づきのでしょう。
この映画は『雨に唄えば』に大きく負ったストーリーになっております。
しかし『雨に唄えば』よりももっと暗く、そして汚物にまみれた味付けで、展開はPTAの『ブギーナイツ』のような栄枯盛衰を描いたものになっています。(『ブギ―ナイツ』より汚い。全年齢向け映画の話なのに……)
しかし栄枯盛衰を描くなんてものはギリシャから続く伝統ですから、安易に実質○○などと言わないほうが無難ではあります。東洋でも「祇園精舎の鐘の声」だとか「国破れて山河在り」だとか無限にありますし。
『バビロン』はそしてそんな話の構造から、デイミアン・チャゼル監督が『セッション』からずっと描き続けてきた芸への執着と代償という一貫したテーマを貫きとおした作品。
『セッション』では体罰すらも音楽へと昇華するラストが物議を醸しました。
『ラ・ラ・ランド』では自身の芸のために人間関係を犠牲にします。
『バビロン』ではハリウッドというキラキラした世界に人々がひきつけられながら、踏みにじられ踏みにじり、殺され殺し、時には排泄物をぶちまけ、そんなクソその物の世界が描かれます。
そんなクソみたいな世界を描きながらなぜか深い映画への愛情が伝わってくるラストはきっと賛否両論。たしかにあのやり方はちょっとずるいですが、執念が伝わってくるのでわたしは嫌いじゃない。
映画が好きな方、そうでなくてもなにか芸術文化への愛があるひと、アニメとか音楽とかゲームでもなんでもコンテンツへの愛があるひとはぜひ『バビロン』を見に行ってみてください。
きっとなにか伝わるものがあるでしょう。
まとめ 芸術家の糞としての芸術
芸術を高尚だの教養だのいろいとごたくを並べて肯定する方々がいますが、芸術なんて本質的にはクソです。
人格破綻している社会不適合者たちが自ら糞を高値で売りつけるというのが、芸術一般で、栄養にもならないし、役に立つわけでもないわけです。
それでも人は芸に惹かれてしまう。そしてそのキラキラした世界へ人を踏みにじってでも駆け上がろうとします。
芸への執着はときに非人道的にもなりえます。
それでも映画を、文化を肯定する。暴力を超えて肯定する。こうしたチャゼル監督の少し危険な作家性ははやっぱり魅力的でした。
この映画は汚いだの下品だのとよく言われますが、ハリウッドの歴史における汚さに目をつぶってしまえば、映画の肯定を描いたとしてもチープなものになってしまったでしょう。
劇中の言葉と重ねるならば、まさにケツの穴のようなハリウッドを描いた本作。
本記事で取り上げたもの以外にも、けばけばしい装飾だとか、トーキー映画初期の撮影現場だとか、怪しげな雰囲気にマッチした劇伴だとかみどころは沢山あります。
ぜひ劇場に足を運んで見に行ってみましょう。
今回はおしまいです。
今年も映画とかの記事を上げるのでよかったら読んでくださいね。
それでは!