Z世代の代表 作品紹介

Z世代の代表です。

一か月ブログを更新してみて 7月は『うる星やつら』をやろうかな

6月という季節が終わるようだ。

そしてそれは私ことZ世代の代表RYANAがブログを始めてもう一か月近く経つということだ。

文章を書く練習と振り切って、私の趣味全開な記事を乱発してみたが、思いのほか見てくれる人が多いようでびっくりである。

ネットに何かを公開するのは初めての経験だったし、ニッチすぎる内容ばかり発信しているのにも関わらず、こんな最果てのブログのリンクをわざわざ踏んでくれる人には感謝の言葉しかない。

(❤ありがとうございます❤)

 

とまあそんな一か月だったのだが、やはり反省は必要かなということで、記事を振り帰ってみる。

 

gzdaihyoryana.hatenablog.com

最初の記事だ。

 

深夜のテンションで書いた記事だが、重要なことをいくつか書き忘れている。

このブログを始めた理由、そして私が愛してやまない『うる星やつら』についてだ。(わたしは『うる星やつら』を信仰しています。原作も、押井版もやまざき版も等しく崇拝する信者なのです。)

 

 

このブログを始めたきっかけは『最果てのイマ』があまりに面白かったので、ブログ型のハイパーテクストでなにか自分も作ってみたいというものだ。

そして最初は『ドン・キホーテ』から『最果てのイマ』までのメタフィクションの系譜を追う一大連載をしょっぱなからやるつもりだった。しかし異化効果やベルトルト・ブレヒトの理論を完全に理解していなかったために挫折。

そして出したのがこの記事である。

 

gzdaihyoryana.hatenablog.com

たまたま最近見た映画だったから記事を書いた。

話題作だったので割とアクセスを稼げて、モチベーションにつながったのでよい判断だったと思う。

そして次にはこれを投下

 

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これは実はブログ開設前には書き上げていて、大連載『ドン・キホーテ』→『最果てのイマ』紹介の序章になるはずだったものである。

そしてブログ開設と同時に作ったTwitterのフォロワーがなぜか百合アカばかりだったので次はコレ。

 

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文体を柔らかくして、読みやすいように努力しました。やっぱり語るものに対してマッチする文体ってありますもんね。百合文化については私はまだまだ初心者なので、内容は初心者向けになっております。

 

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続いては電波。本当はあの大連載メタフィクションの系譜で『さよならを教えて』などを扱うはずだったんで、それを少し消化。後半のポスト電波の作品もそこで扱うはずだったもの。

 

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あんまりVtuberはみないのだが、(ゆにクリエイトしか見ない)サロメちゃんが話題だったので便乗。ファムファタルは面白いテーマなのでまたやりたい。絵画だけとか紹介してみたいなあ・・・(需要なさそう)

 

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そしてファム・ファタル第二弾。私はリルケが好きなのでザロメを扱ってみたかった。正直哲学はあんま得意ではない。だけど『戦姫絶唱シンフォギア』を『悲劇の誕生』から考察するってのはやってみたい。

 

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そしてファム・ファタル第三弾。ロリータについて。本当は漫画アニメをもっと取り上げたかったけど長すぎたので『こどものじかん』しか扱えなかった。

全部詳しく見ていきたかったのに...

 

ちなみに私は年上派です。

妹より姉です。(ガガーン)

 

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UFOの日。これは絶対にやりたかったやつだ。

イリヤ』は謎に印象に残ってる作品で、読んで以来ずっと6月24日はお祝いしている。

私にとって特別な日なのだ。

 

そう言えばUFOの日の記事で『スタプリ』を扱ったけど、プリキュアシリーズはまだ全部見れてない。

しかも『スマイル』と『ドキドキ』は日本語で見てない。

"Glitter Force"とかいう海外版で、しかもドイツ語で見たからかなりめちゃくちゃだった。主人公の名前エミリーだったし。

まあいつかコレ扱おうかな。


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そして最後。

これは伝わる人が少なそうなニッチなネタ。『気狂いピエロ』をバカにする目的ではなくて、ただ面白いから書いただけなので安心してほしい。

気狂いピエロ』はめちゃくちゃ感動した。カットの斬新さといい色彩レイアウトといいセンスが光りすぎている。脚本もキレキレ。

 

さすがゴダールである。

 

 

とまあこんな感じの6月だった。

これからは・・・

やりたいことはいろいろある。

田中ロミオ分析とか、瀬戸口廉也分析とか。

瀬戸口廉也は『SWAN SONG』『MUSICUS!』やりたいなあ。

 

 

 

あとは『うる星やつら』のガイドラインを作ること。今度新しいやつが始まるから、予習or復習用に、要素別にまとめた『うる星やつら』の回をまとめてコースを作る。

ブコメコースとか、アヴァンギャルドコースとかドタバタコースとか。

あとビューティフルドリーマー以外の映画の解説もしたい。

 

 

 

だいたい『涼宮ハルヒ』はビューティフルドリーマーだと言われているがあれはおかしい。(ちなみまどマギの劇場版もうる星2のオマージュ満載だが、あれはどちらかというと『CROSS†CHANNEL』だ。)

涼宮ハルヒ』はたしかに80パーセント以上が『うる星やつら』のパロディだけど、

あれはリメンバー・マイ・ラブやラム・ザ・フォーエバーのほうが近いんですよ。

 

あとは私はMCU未履修なので妹(ここで言う妹は一号である)と一緒にMCU見るってのもやろうかな。

 

まあその時の気分次第でなにを扱うか決めよう。

 

もしかしたら『輪るピングドラム』とか幾原邦彦紹介とかもやるかも?

 

 

それでは。また7月にお会いしましょう。

『アタック・オブ・ザ・キラートマト』と『気狂いピエロ』を見た人。

最近ある映画を見た。

 

古い映画で40年以上前の物だろう。ただ映画の題名がわからなくなってしまったのだ。

この映画がフランスの物だったか、アメリカの物だったか正確には覚えていない。

ただどちらも難解な映画だったことは確かだ。

特に脚本は不条理というか因果関係を捉えるのが難しく、会話の内容が本筋と関係があるのか、それとも尺稼ぎなのかいささか不明瞭であった。

 

そもそも何語の映画だったのか。英語もフランス語も聞こえてきた気がする。

聞き取れたのは„Sprechen Sie Deutsch?” “Autobahn“ „Gutenmorgen Herr Hitler“ „Wiener Schnitzel“だけ。

一体何語だったのだろう。

 

そしてこの映画の撮影現場は偶然性を重視するものだったのかもしれない。

アドリブが多かったような気がする。

またいつの間にか人が死んでいるシーンなど、カットによって時系列がバラバラなシーンがあった。

脈絡なくヘリコプターが墜落するシーンがあったり、アパートから逃げ出すシーンでは車に乗っているかと思えば、まだアパートの屋上にいたりした。

 

またこの映画では赤や青という色が印象的に取り入れられていた。

赤い車、血、トマト。また青い車が登場した。

モンドリアンのような色彩感覚である。


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これはトリコロールなのか、それとも共産主義なのか。それともトマトなのか。

 

さらにこの映画はアメリカへの、もっと限定するならば米軍へのエスプリの効いたアイロニーが溢れていたように感じる。

ベトナム戦争の最中なのか、まだ記憶が新しい時期だったのか。

ベトナム戦争を揶揄する踊りと劇が爆撃音と共に繰り広げられた。このシーンでは作中に米軍が登場する。ただ兵士自身が躍っていたか、米兵は見ているだけだったのかはどうしても思い出せない。

 

そしてこの映画が普通と大きく違うところは何といっても突然登場人物が歌いだし、ミュージカルが始まるというところだ。

そしてその歌詞がなんというかかみ合わないナンセンスなものだった。

 

運命線について歌う女と体の線について歌う男、国内向けプロパガンダを求める政府側の人間とトマトは原子力よりもおいしいという評語を作る広告代理店。

 

耐えられないような曲が聞こえてくるシーンもあったはずだ。

その直後には愛についての歌が歌われるが、明らかに口と声が合っていない。そしてそれは狂人が歌う歌であった。


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また最後のほうでは仮装した人が登場した。まさにピエロである。そして赤いなにかが破裂して終わる。

 

一体私が見た映画はなんという映画だったのだろうか。

だが映画の名前はわからないにしても、この映画がとんでもない作品であったことは間違いない。

みなさんもぜひこの映画を見つけて、鑑賞してみるべきである。

そしてこの映画に影響を受けた監督は大物になっている。

だからきっと名作だったのだろう。

タランティーノだったか。ティム・バートンだったか・・・)

とにかく私が見た映画が何だったのか、わかった人がいたら連絡してほしい。

私のほうでも調査して、真相が分かり次第ブログを更新しよう。

 

 

『ロリータという幻想、フランス・ギャルから『レオン』 20世紀中盤以降のファム・ファタル(3)』

 

世界で最もセンセーショナルな少女、ロリータ。

 

ロリータという言葉は日本においては無垢な少女やロココ風のフリフリの可愛い衣装を指すことも多いが、本来のロリータにそのような意味はない。

早熟で大人の男を魅惑するファム・ファタルというイメージが世界では一般的なのだ。

 

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(ここで『ロリータ』の紹介をしています。未読の人はぜひ)

 

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(これがファム・ファタル二回目)

 

 

『ロリータ』が出版された時、それは英語で書かれた小説だったのにも関わらず、最も熱狂した国はフランスであった。

 

そして特に声高に肯定したのは最もリベラルで先進的だったフランスの論壇。

あのジャン・ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーボワール達だ。

 

特にボーボワールがロリータ的な魅力を持ったブリジット・バルドーを絶賛したことから、フランスのロリータブームは性解放のシンボルとして使われることになったのだ。

 

(ただ、ボーボワールはロリータを引用してはいるけれど、年齢は指定していない。そもそもこの時代のフランスでも男を破滅させる小悪魔的なヒロインが流行っていた。)

 

(『素直な悪女』ブリジット・バルドーマリリン・モンローに並ぶセックスシンボルに押し上げた作品)

 

(『気狂いピエロ』みんな大好きゴダールの作品。これも年下美女に中年が翻弄されるお話。エリート中年のエゴイズムがキモい映画。内容云々よりもレイアウトが好き。)

 

 

そしてなんといってもフランスのロリータと言ったら外せないのはこの男。

セルジュ・ゲンスブールだ。

ja.wikipedia.org

日本だとフレンチロリータと呼ばれるフランスのアイドル歌手の楽曲を数多く提供した男だ。


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(「さよならを教えて」原曲はこんな悲しそうな雰囲気の曲だが、戸川純が歌うとなぜかストーカーソングに。もちろんあのゲームのタイトルもここからとられています。ちなみにこのヴァージョンもカバーで全く違う雰囲気の英語の歌が本当の原曲)

 

アイドル史上、絶対に外せない人物であるが、人格的にやばい人である。

ホイットニー・ヒューストンに”I want to fuck you”と言ったとか。)

 

彼が提供した楽曲は名曲がそろっていて、日本人にも数多くの人にカバーされている。そしてその中で最も有名なのはコレだ。


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この「夢見るシャンソン人形」はユーロビジョンでグランプリを取り、ロックンロールが大流行している中でも高い評価を得た曲だ。

 

日本でもかなりポピュラーな楽曲だろう。

 

ただ日本語ではソフトな翻訳がされているのをご存じだろうか。

そもそもタイトルの“Poupée de cire, poupée de son”は蠟人形、音の出る人形という意味である。

そして原語の歌詞を見ると、大した人生経験もないアイドルが恋について歌わされることを皮肉る内容となっているのだ。

 

そんなすこし込み入った歌詞を作るゲンスブールだが、彼がフランス・ギャルに提供したこの曲。これが非常にまずい。


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このPVを見ればある程度察することができるだろう。

明らかにあれを意識した棒状の物体がゆらゆらと揺れ、ロリポップを煽情的に咥える少女たち。

これは本当にひどい。

 

この曲のタイトルは“Les Sucettes”。ロリポップを表す言葉だがもちろん隠語である。

 

この曲について、フランス・ギャルは当時あんまりよくわからずに歌わされていたとのことで、意味を理解してからは歌うのを嫌がったという。

ちなみに邦題は「アニーとボンボン」である。ボンボンなのは日本人の頭である。

 

 

そしてそれから数十年たって、00年代に入ってもそうしたフレンチロリータの伝統は続いていた。

その中でも最も成功して今でも活躍中なのか彼女。

アリゼだ。


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デビュー曲“Moi Lolita”はその名の通りロリータをモチーフにした楽曲。

ロリータの冒頭の部分をずっとリフレインさせたような歌詞だが、当時まだ16歳のアリゼの声は魅惑的な雰囲気を醸し出し、フランス的なロリータをよく表している楽曲だ。

 


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題名“J'en ai marre!”はうんざり、疲れたという意味。

しかし邦題では「恋するアリゼ」などというふざけたタイトルになっている。

この曲は日本でもリリースされた。そしてブルボンのCMで使用され、アリゼが笑っていいともにも出演。

そんな日本でも発売されたこの曲。この曲も歌詞もなかなかエロテックである。

泡風呂の中で跳ねる金魚についての歌のようだが、きっと察しのいい皆さんならお分かりだろう。

(そんな曲がお菓子のCMって・・・)

 

そんなロリータの典型ともいえるアイドルの彼女だが、シャイで問題を起こすこともないらしい。

今では肩にセーラームーンの刺青を入れて、妖艶なお姉さんキャラで売り出している。(フランス人のセンスは謎である。)

 

そしてこのフランスのロリータ文化というものは映画のコンテクストにも数多く現れる。

数多くの名作があるが、その中でも最も有名で、今でも人気の作品と言えばコレ。

 

『レオン』である。

 

監督のリュック・ベッソンはフランス出身。元々は『グラン・ブルー』のようなフランス風の映画を撮っていたのだ。

フリーダイビングという世界でも有数の頭のおかしいスポーツを題材にした映画。実在の人物であるジャック・マイヨールとエンゾ・モリナーリを元に作ってはいるけど、かなり脚色されている。まだ存命だった2人をかってに死んだことにしたり、海と一体化したり好き放題やっている作品。ただ名作でフォローワーも多い。きたがわ翔の『B.Bフィッシュ』や題名だけだけど『ぐらんぶる』など。)

 

しかし女殺し屋を題材にした『ニキータ』からアクション映画に方向転換。その後は『トランスポーター』や『フィフス・エレメント』などのアクション映画を撮る監督になった。

(そして主演女優に手を出すというゴダールトリュフォーからの伝統を守っている監督でもある。)

そして『レオン』はそんなリュック・ベッソンのアクション映画初期の作品。

内容は説明不要だと思うので省くが、あるシーンが物議をかもし、マチルダ役のナタリー・ポートマンからも「不適切」であると言われているのだ。

www.elle.com

(レオンについての記事① ナタリー・ポートマンの発言)

 

問題になったのはマチルダがマドンナやマリリン・モンローなどのセックスシンボルに扮してレオンを誘惑するシーンだ。過酷な状況で育ち、早熟であると言っても彼女はまだ12歳(当時のナタリー)。これは明らかにロリータ的であると言ってもいいだろう。

(そのほかにも明らかにロリータなシーンがある。12歳くらいの少女と一緒のベッドで寝るのも変だし、レオンにキスを迫るシーンにしろ、「女の子の初体験は大切なの」というセリフにしてもエロチックに描かれる。)


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そしてこういうシーンを踏まえると、レオンのほうもマチルダにたいしてただならぬ視線でみているように見えてくる。

 

例えばマチルダが店の前で少年とタバコを吸いながら会話していたのを遮って、「変な奴としゃべるな」と言ったシーン。

これは親心的な心配から言ったのか、それとも独占欲からなのか?

答えは、ぜひもう一度見てご自身で判断していただこう。

(『レオン』にはオリジナル版と完全版がある。完全版のほうは不適切とされカットされたマチルダの描写が収録されている。見比べてみても面白いはずだ。)

www.newsweekjapan.jp

(レオンについての記事②)

 

こうしたロリータ的なキャラクターはフランスを中心に数多く生まれ、そして最近でも早熟な少女というアイコンへの信仰は根強いように思える。

 

例えばこの少女の名前はティラーヌ・ブロンド―。

 

当時9歳にしてVOGUEの表紙を飾ったモデルである。

gigazine.net

(9歳には見えない・・・)

 

ただ性的すぎると物議を醸し、フランスで論争になったとか。

ティラーヌ本人はいまだにモデルを続けているし、自身をモデルへの道にみちびいた両親に対して今のところは不満を訴えてはいない。

 

しかし、子どもに対して、ロリータ的な魅力、具体的には性的なファム・ファタル幻想を伴ったキャラクターを演じさせるということは悲劇をもたらすことも多い。

(もちろん先述のフランス・ギャルにしろ、ナタリー・ポートマンにしろ、悲劇である)

 

そしてそうしたロリータを演じさせた母への告発映画が『ヴィオレッタ』だ。

ヴィオレッタ(これは監督自身である)をヌードやエロチィックな恰好をさせることで、人気を得た母。そして母の要求は次第にエスカレートしていく。母を否定できないヴィオレッタ。

そして学校でいじめを受けるようになって・・・という内容である。


www.youtube.com

この映画は児童虐待、そしてロリータを求めるフランス社会の歪みをよく表した映画だ。

ポルノと芸術の境目はどこにあるのか。ロリータへの憧れがどのような事態を招いたのか。子供にとって親はどのような存在か。そうしたことについて考えさせるきっかけを与えてくれるだろう。

(ただこの映画自体が10歳の女の子にヴィオレッタを演じさせている時点で・・・)

 

ここまでフランスのロリータについてみてきたがいかがだっただろか。ロリータというファム・ファタルへの理解が少しは深まったのではないだろうか。

 

news.yahoo.co.jp

(サルトルフーコー、ドゥールズ、ボーボワール、バルトなどが未成年との性的関係を擁護したという事実。)

 

さて少しだけまだ続けたいと思う。

 

日本についてだ。

もちろん日本でのロリータという言葉は少し意味が異なる。

どちらかと言うと少女文化をルーツにしていて、吾妻ひでおを中心としたロリコン漫画家によって普及したイメージである。

ja.wikipedia.org

不思議の国のアリス』のような華憐で純粋なイメージ。ファム・ファタルや小悪魔と言うよりは、天使であり、エロチィックというよりはかわいいである。

 

(『私に天使が舞い降りた』直球なタイトルだ)

 

(『苺ましまろ』「かわいいは正義」というキャッチコピーを産み出した名作)

 

ただそんな価値観が支配的な日本においてもフレンチロリータ的な作品は存在する。代表的なのはコレ

 

こどものじかん』だろう。

霜降りの粗品とはじめしゃちょーが認めている時点で国民的な作品と言ってもいいだろう。)

 

この作品、ただのポルノとみなされがちであるが名作である。

 

まずアニメの脚本はあの岡田麿里。少女期の性欲を書かせたらアニメ界ではピカ一の脚本家であるが、原点はこの作品にあると私は見ている。

(『ユリイカ』で岡田麿里特集がありちらっと確認したが、『こどものじかん』への言及はなかった。謎ですね。)

 

(ちなみに私は卒業年から見ると、りんと同じ年に産まれている。同じ世代からの視点としては、当時の小学校の雰囲気をよく表していて、ノスタルジックな気持ちに浸ることができた。)

 

あらすじはこのようなものだ。

主人公の青木は新任教師。小学三年生を受け持つことになるが、そこには前任をいじめてやめさせた九重りんという少女が在籍していた。

りんに好かれた青木は(時には性的に)からかわれながらも、受け持っている小学生たちとともに成長していく。

 

この作品はコミックハイ!という男性向け少女漫画というわけのわからないコンセプトの雑誌で連載されたものである。

コミックハイ!は女子高生がヒロインというコンセプトの雑誌である。しかし一番人気は『こどものじかん』だった。)

 

そのためか『こどものじかん』も数々のお色気シーンが盛り込まれているとはいえ、少女漫画的なエッセンス満載の作品なのである。

 

コマ割りや絵柄も少女漫画的であるが、何といってもりんの心理描写は他のロリコン作品とはくらべものにならないほど豊か。そして少女の生々しい性欲やグロテスクな一面も詳細に描かれるのだ。

 

(この巻である)

 

小学生の少女が自身に性的な魅力があることを自覚するということ。

こうした事例は確かにあるのだろうが、一般的にすることはできない。

そのため誰かがそうしたアイコンを演じるということは悲劇を招くことにもなりかねない。

www.excite.co.jp

 

しかしそうしたものが存在する以上それを表現する必要があるのかもしれない。

(もちろんそれを担っているのが小説である。しかし本を読む人口は減る一方だ。)

 

 

しかしフランスで現れたロリータのほとんどは幻想だった。

そもそも原作『ロリータ』の作中ですら実在するか怪しいのがロリータである

 

数多くの人がロリータを誤解してきた。

 

そして戦前のファム・ファタル幻想の名残ともいえるロリータたちはいまだに存在している。

 

我々はいかにそれに付き合っていくのか。考えてみるのも面白いだろう。

 

 

ファム・ファタルシリーズはこれで終わりです。もしまだ未読なら、他の記事もぜひ読んでみてください。)

 

では。

 

おつロリータですわ~

 

 

 

『「六月二十四日は、全世界的に、UFOの日だ。」UFOにまつわる作品『幼年期の終わり』『第9地区』『スター☆トゥインクルプリキュア』など』

 

こんにちはZ世代の代表RYANAです。

 

さてさて、もうこんな時期がもうやってきました。

 

世界三大記念日のあの日が。

 

え?クリスマスと元旦とあともう一つがわからない?

 

おっくれてるぅ―っ!!

 

1947年6月24日アメリカ合衆国ワシントン州のカスケード山脈上空で、事件は起こった。

ケネス・アーノルドという人物が自家用飛行機で飛行していたところ、水面を跳ねるコーヒー皿のような飛び方をしている物体をみたというのだ。

当時の技術では考えられないほどの速度で飛んでいたその物体。

これがマスコミによって空飛ぶ円盤として普及し、アメリカ軍も調査に加わった。

そしてその円盤はこう呼ばれるようになる。

 

“unidentified flying object“、UFOと

 

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(最近はUAPと呼ぶらしい。)

 

 

というわけで今日はUFOの日なのでUFOについての作品を紹介します。

 

ケネス・アーノルド事件やその後すぐに起こったロズウェル事件以降、SFやオカルト作品では特にポピュラーな題材になったUFO。

 

特に50年代から80年代くらいにかけては特に様々な作品が生まれました。

その時代のUFO熱はすごいですよ。

あの三島由紀夫もUFOマニアだったくらいで、「空飛ぶ円盤研究会」に所属していたぐらいですから。

(信じられないことでしょうけれど、嘘じゃないのです。ほんとのことなんです。)

 

 

そんな様々なUFOについての作品ですが、ビジュアル面で最初期にかなり大きなインパクトを与えた作品としてはやはりコレ。

 

地球の静止する日』ですよね。

 

ワシントンの野球場に円盤が下りてきて、宇宙人が登場するわけですが、彼らは非常に友好的。しかしおびえた兵士の誤射により、宇宙人は怪我をしてしまいます。そこで出てくるのがあの有名なロボット。しかし人を殺すことはなく、武器を無効化するだけで終わります。

 

それから宇宙人は米国大統領に世界中の国のトップと話したいというのですが、冷戦中なので結果はNO。

 

人類の軍事技術がこれ以上発展してしまうと他の星を刺激して地球が破壊される、ということを忠告したかった宇宙人の使命は一度失敗してしまいます。

 

果たして地球は一つになることができるのか?

(ファーストコンタクト物でも定番のテーマですね。それにしても本作のあのラストはなんというか考えさせられるものがあります。)

 

 

続いては小説から。

 

大都市上空に浮かぶ巨大宇宙船。

空中に浮かぶ巨大な円盤の影はものすごい威圧感。

そして中から出てくる宇宙人は侵略者か?それとも友好的な我々の友か?それとも?

 

 

幼年期の終わり』はまさにそういった作品の草分け的な存在です。

(『インディペンデンスデイ』も『メッセージ』もこのイメージの元生まれたと言っても過言はないでしょう。)

 

 

そしてその円盤から出てきた種族はオーバーロードと呼ばれ、我々の人間と比べて、はるかに進んだテクノロジーの持主。

人類が円盤を打ち落とそうとしても、びくともしません。

しかしオーバーロードは基本的には友好的。いったい彼らはなにをしに来たのか?タイトルの『幼年期の終わり』の意味とは?

人はどこからきて、どこにいくのか?三人の主人公から語られる壮大な物語は必見です。

 

(これとはまた違った味付け)

 

続いては21世紀に入ってから。

 

UFOの発見から半世紀以上たっても、UFOへの想像力はとどまることはないのです。

 

今まではUFOがやってきたらそれは侵略者であるか、啓蒙者であるかというパターンがほとんどでした。(これは同義語ですね。恐ろしき西洋中心主義)

だけど『インディペンデンスデイ』や『宇宙戦争』みたいなものばかりだとやはり飽きが来ます。

そこで変化球の作品。もし宇宙人が難民として亡命してきたら?という作品。

第9地区』です。

 

第9地区 (字幕版)

第9地区 (字幕版)

  • シャルト・コプリー
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第9地区は宇宙人の高度なテクノロジーや武器というものよりは、エビのような宇宙人への差別問題について焦点が当てられた本作。

(本作はヨハネスブルグですが、日本でも数億のバルタン星人が難民としてきたら、軋轢が生まれそうですよね。)

 

 

主人公はエイリアンに立ち退きを要請する職員でしたが、謎の液体を浴びて体がエイリアン化してしまいます。そして人間側がエイリアンに対して何をしてきたかということを、身をもって体験することになるのです。

 

そして日本の漫画作品でも『第9地区』に近い価値観で書かれたものがあります。

 

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』という作品。

 

浅野いにおは『ソラニン』のイメージが強いけどこういうのも書くんだね。)

 

東京上空に宇宙船が登場するというイメージは『幼年期』からの伝統ですが、なんとこの宇宙船。これがめちゃくちゃ弱かった。

そして宇宙船を完全に落とすわけにもいかない政府は時々出てくる子機を時々撃墜するだけ、上空の宇宙船は放置されたまま物語は進んでいきます。

 

これは何かのメタファーなのか?それとも登場人物のかわいい女の子だけを眺める漫画なのか?自分の目で確かめてみましょう。


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(地味にアニメ化決定している)

 

そして続いてはもっと変化球な作品をご紹介。

 

UFOというのはシリアスな作品だけのものではありません。『うる星やつら』にだって『ドラえもん』にだってUFOは登場します。


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ラムちゃんのUFOはトラ柄!アニメ版だと面堂の家に落ちたりします。)

 

そして次に紹介するのはこちら。

『スター☆トゥインクルプリキュア』です。


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え?プリキュア?なんで?と思ったそこのあなた。

 

いやいやめちゃくちゃ面白いんですよこれが。

 

とくにこの『スタートゥインクルプリキュア』は『うる星やつら』や『超時空要塞マクロス』など80年代へのオマージュがいっぱい。


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(といってもEDは70年代風?映像は80年代チック)

 

もちろんUFOへのリスペクトも忘れていません。

 

このプリキュアの主人公はオカルトオタク。UFOだとかUMAだとかが大好きで、いつも一人でそれについて調べている。そんな少女です。

それがよくわかるのが一話。敵がUFOに乗ってやってきた時に彼女、「アダムスキー型!」って興奮気味に叫ぶんです。

 


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(一話13分あたり。これを見てわたしはこの作品が好きになりました。)

 

もちろんそうした小ネタだけではないこの作品。

近年ではしぼんでいく一方である宇宙や神秘への好奇心を掻き立てる。そんな作品に仕上がっております。

 

最終回間近で明かされる、宇宙の成り立ちには本当に驚かされました。

そうか宇宙中のどの星でも星座があるのはそういう理由だったのか!

真相はぜひその目で確かめましょう。


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(変身シーンは歌う。これで敵もデカルチャーするんでしょうか?)

 

ちなみにこの作品、映画もファーストコンタクトものとしてとても面白い出来になっていておすすめです。

 

 

これを見た全国の子供たちがオカルトに目覚めて、UFOをみんな探しに行くような世代になるかもしれない?(願望)

 

 

 

というわけでUFOにまつわる作品紹介でした。

 

あれ?重要な作品を忘れているような?

そう、UFOの日と言えば、『イリヤの空UFOの夏』ですね。これを忘れてはいけなかった

 

 

というわけで『イリヤ』について。

 

gzdaihyoryana.hatenablog.com

 

(『イリヤ』既読ならこちらへ。なんか見返したらネタバレありで語りたくなったのでこんな記事も書いた。)

 

今までの作品とはちょっと違って、この作品は青春もの、もしくはセカイ系とでも呼ばれる作品です。

 

夏休みの終わりに偶然出会った女の子が、UFOのパイロットで、彼女は世界の存亡をかけた戦いに出撃しなければならない。

 

そして、UFOに乗るたびに彼女は弱っていく。

 

世界か彼女か。そんな選択を主人公は迫られる。そんなお話。

 

(アニメは尺短いけど嫌いじゃない。)

 

この作品の良さについて語るとするなら、やっぱり印象深いフレーズでしょうね。

「一九四七年から戦争は始まってた。」「みんな気づいていなかっただけ。」[1]

だとか。

「六月二十四日は、全世界的に、UFOの日だ。」[2]

だとか。

 

9月から始まる、センチメンタルな夏とUFOと青春の物語。『ほしのこえ』や『最終兵器彼女』のような作品が好きならきっとはまるでしょう。(新海誠が好きなひとは必ず読みましょう。)

 

 

(三大セカイ系と呼ばれますが、『サイカノ』と『イリヤ』はとても似ています。『サイカノ』のほうがえぐみがあるかなと言う感じ。爽やかなのは『イリヤ』です。)

 

というわけでUFOについてでした。

今では本気でUFOを信じている人はあんまりいないかもしれないですが、人類のUFOへ想像力はまだまだ終わることはありません。

私たちの心はくちづけするよりも甘く、ささやききくよりも強く、UFOに心揺さぶられるのです。

 

6月24日、UFOの日。

 

みなさんもこの機会にUFOに関する作品に触れてみてはいかかでしょうか。

(空を見上げてUFO探しもいいですね。実際に見つかるかなんてどうでもいいんですよ。)

 

オレンジ色の光が私をつつむことを夢見て。

 

それでは

 

[1] 秋山瑞人(2001) 『イリヤの空UFOの夏』角川書店

[2] 同上

『イリヤの空UFOの夏』 夏が終わるということ ※ネタバレあり

 

夏という季節を定義するのは難しい。

なんせ近年は温暖化で10月であっても真夏日と呼ばれるくらい暑い日だってあるし、逆に6月なのに妙に寒かったりする日もある。

 

暦的には夏至から秋分の日までなのだろうけど、誰もいつ夏至だったかどうかも覚えていないし、秋分の日を過ぎても秋とは言い難い暑い日が続いたりする。

 

そんなあいまいな時期だけれど、日が短くなって、セミの声が小さくなっていくと夏が終わってほしくないなんていう気持ちでいっぱいになる。

 

夏は途方もなくて、暑苦しくて、切ない。

 

しかし、どうしようもなく膨大な感情が湧き上がって、何かが成し遂げられる予感がする、そんな季節である。

 

そしてそんな夏というイメージそのものと言っていいのが『イリヤの空UFOの夏』という作品だ。

 

とはいっても、この作品に青い空、さんさん降り注ぐ太陽の光、白い砂浜と広大な海のコントラストのような、ステレオタイプな夏は全く登場しない。

そもそも冒頭の時点で、8月31日である。人によってはもう夏はおしまいだと考える、そんな時から物語が始まるのだ。

 

主人公浅羽直之は6月24日から8月31日までUFOを探しに行っていた。もちろんそれは何の手ごたえもなく終わってしまうのだが、「中学二年生の夏をこのまま終わらせるわけにはいかない」という突発的な理由で学校のプールに潜入する。

 

そしてそこで出会ったのがヒロインである伊里谷加奈である。

彼女はどこかおかしい。手首に金属球が埋め込まれていて、頻繁に鼻血を出す。

コミュニケーションもかみ合わないし、非常識な行動をとったりする。

 

そして彼女は言うのだ。「一九四七年から戦争は始まってた。」「みんな気づいていなかっただけ。」[1]

そう、彼女はUFOのパイロットであり、なんだかよくわからない敵と戦っている。

ここで未確認飛行物体は未確認ではなくなるけれど、それでも伊里谷がいる限り、浅羽直之の夏はUFOの夏として続いていくのだ。

 

ところでこの作品。

時計や具体的な時間がよく登場する。

印象的なサブタイトル「十八時四十七分三十二秒」はもちろんだけど、その他にも伊里谷が一人になろうという時に逃げこむのは時計塔だし、水前寺との暗号も時計を使ったもの。

緊迫感のある逃避行のシーンも緊急事態も、詳細に何時何分という描写がなされる。

 

そしてその詳細な時間描写は、作品のリアリティへの寄与のほかに、夏が終わっていくということ、そして伊里谷と一緒にいられる時間がそう長くないということをひしひしと感じさせるのだ。

 

冒頭でこのような記述がある。

「憎むべきはあの時計塔だった。あの時計塔の歯車の息を止めてしまえば、八時十四分で世界中の時が止まるような気がする。そうなれば、夏休みは終わらないし二学期は始まらない。」[2]

夏休みを終えたくないということは、『涼宮ハルヒの憂鬱』でも扱われているけれど、学生時代多くのひとたちが願うものだ。

9月1日、学校が始まってしまうと夏はぶつ切りにされて、まだ猛暑は続いているのにも関わらず、学生は大きな喪失感を覚える。だからこそそこを夏の終わりだと思う人も多いだろう。

しかし『イリヤ』では各キャラクターがどうにかして夏を続けようとする。

時間は勝手に進む。一秒一秒と過ぎていく。夏が終わることを止めることは無理だ。

 

だけど抵抗する。

 

「夏休みが終わると同時に、夏が終わるわけではないのだ。」[3]

 

そして未確認飛行物、UFO、つまりは伊里谷が乗るブラックマンタが飛ぶと、時計が止まる。これはまさに夏が終わることへの反抗をよく表しているだろう。

 

「腕時計は十八時四十七分三十二秒で止まっていた。」[4]

 

しかしやはり永遠というわけにはいかない。秋分の日を過ぎればいくら抵抗しても夏が終わってしまう。

作中でも9月27日をピークに、つまり秋分の日から少し過ぎたあたりから、それぞれの夏に陰りが見えてくる。

最初に夏が終わるのは晶穂だ。

彼女だけはUFOなんていうものを追い求めていないから、平和的に終わる。

ちょっとした失恋物語だ。夏の思い出として相応しいものだ。

その後、彼女は恋敵である伊里谷に向き合っていく。

次に終わるのは水前寺。彼の夏は軍の力によって暴力的に終了する。

UFOや軍の秘密を見届けようとした彼も、真実まであと少しというところでその願いは潰える。

 

浅羽の夏は・・・なかなか終わることはない。

彼は伊里谷を連れて大きな家出をする。世界の崩壊なんかよりも彼女のほうが大切だということを息巻いて。

だけど彼が思い描いたユートピアも長くは続かない。伊里谷が襲われて、彼女が半狂乱になった時、彼は彼女を拒絶する。

そしてこの時点で伊里谷の夏も終わる。

だけど、伊里谷には秋は来ない。彼女はどのような選択肢をとっても死ぬ運命にあることを自覚しているからだ。すると伊里谷は完全に心を閉ざしてしまい、追憶を始める

秋が来ない彼女にとっては夏の追憶しかできることはないのだ。

浅羽はこの時点で完全に理解してしまう。伊里谷は自分では救えないということを。

そして行先のない逃避行は、ある意味夏休みの象徴ともいえるような、祖父母の家というところで決着を迎える。

 

その後、浅羽の夏は終わったかに思えた。

しかし彼の夏はまだ終わらない。周りがみんな冬服を着ていても、彼は夏服のままだ。

そして伊里谷の最後の出撃を激励するために軍に呼び出されても、彼は最後まで抵抗する。世界が滅んでも、伊里谷を殺したくないと高々宣言する。

だけど伊里谷の夏はもう終わっている。伊里谷は夏を振り切って、浅羽を助けるために出撃していく。

 

そして・・・

具体的なことは語られない。しかし戦争は終わった。

浅羽もさすがに夏とお別れしなければならない。

10月も終わる頃、浅羽は空に、伊里谷に向かってミステリーサークルを描く。水前寺の興味はUFOからもう別のものに移っているけれど、彼なりのけじめなのだろう。

浅羽直之の夏は終わった。これから秋(晶穂)にどう向き合っていくのだろうか?

 

 

イリヤの空UFOの夏』は夏の、もっと言うと残暑の精神をそのまま表したような作品だ。

この作品に出会ってから、私にとって夏とは、6月24日から10月26日までの期間になってしまった。

 

 

夏は存在しないものを追い求めてもいい季節だ。

だから夏の間には空を見上げて、UFOを探すことにしようか?

本当にUFOがあるかどうかなんかはどうだっていい。

夏の間はそんな途方もないことが成し遂げられる気がする。その膨大な感情だけが大事なものなのだ。

9月になっても、日が短くなっても、夏の残り香を胸にセンチメンタルに秋に抵抗し続けよう。

 

そして秋、落葉樹の葉の色が変わって、上着を羽織るようになったとき、今年もやっぱり見つからなかったなあと思うだろう。

それとも夏の間には何かを掴んだと思っても、実際はなんにも手に入れていないということだったのか。

 

今年もまた夏という季節が始まる。

 

今年はUFOを見つけることができるだろうか?

 

 

 

[1] 秋山瑞人(2001) 『イリヤの空UFOの夏』角川書店

[2] 同上

[3] 同上

[4] 秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏 その2』角川書店

『サロメからザロメへ 実在のファム・ファタル達 彼女がいなければ ツァラトゥストラは何も語らなかった? 2)』

血迷ったり道に迷ったり

出たり入ったり狂わされた男ばかり

綺麗で卑猥でドギツくて

知的で繊細でどこかトチ狂ってる

よそ見しながら「早く済ませてね~」

それでも必死で腰を振り続ける[1]

Creepy Nutsの名曲「阿婆擦れ」 ファム・ファタル的な女性像と移り気な大衆とをオーバラップさせ、軽快なラップで歌い上げられていますね。

ファム・ファタルというイメージから、何かを連想するということは過去をさかのぼっても割とポピュラーなやり方で、ニーチェも同じようなことを言っていますね。)

 


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というわけでファム・ファタル第二回。

 

 

gzdaihyoryana.hatenablog.com

(第一回はこちらです)

今回は現実のファム・ファタルについてだ。

 

 

現実にファム・ファタルが目立ち始めたのは19世紀末。

 

近代化が進み、市民階級の時代として成熟し、資本主義が拡大。

そして大都市と言うものが出現したそんな時代。

 

数々のエリートたちも大都市に集中して、サロンを開き交流を重ねるようになった。

 

 

そしてそこに現れたのが、ファム・ファタルたちだ。

 

 

ルー・アンドレアス・ザロメ(1861‐1937)

ニーチェを馬扱いして、フロイトに弟子入り。10歳以上年下のリルケとも関係を持ったファム・ファタルの代表」

 

彼女はサンクトペテルブルク生まれのロシア系ドイツ人。

 

詩作や評論なども数多く残しているけれど、やはり何と言っても、ニーチェリルケと言った超大物の求婚を断り、両者に多大な影響を与えたことで有名だろう。

 

ではそれぞれどんな関係だったのか?

 

ニーチェ(1844‐1900)



ニーチェとの出会いはまだ彼女が21歳の時のことで1882年

 

ニーチェはもうすでにバーゼル大学を退職していて、今でいうところのフリーライター?のような立ち位置。

ニーチェは最年少でバーゼル大学の文献学教授になりました。しかし教授時代に書いた『悲劇の誕生』という論文が認められず、学会からそっぽを向かれていました。)

 

(これは読むべき名著です。)

 

そんな彼がザロメと出会ったのは、彼の友人である哲学者、パウル・レーという人物を介してで、ここからレーとニーチェザロメという豪華な三角関係が始まるのである。

 

 

(左からザロメ、レー、ニーチェ。21歳の若きザロメが馬車の荷台に乗って鞭を持ち、男二人は馬扱いされている。これはニーチェの発案らしい。やっぱり変態だったのかニーチェ

 

そして三人(+ニーチェの妹、なんか本格的にラブコメぽくなってきた)と何度か旅行に出かけたりしている。

 

しかし三角関係は一年ほどで破綻する。

 

ニーチェもレーもザロメに求婚するという、アクションを起こしたからだ。

3人の恋路はどのようになったのか?三角関係の行方はいかに?

 

 

ザロメの返答は両者に対してNO。

 

そして謎の東洋学者と結婚。

失恋で精神がボロボロになったニーチェは、『ツァラトゥスはかく語りき』の一部を10日で書き上げることになるのだ。

 

(よくわからないけど、謎に力強い本作。しかし本当にわけわからなすぎて、当時は誰も理解していなかった為、本人が解説書的なものを書いている。)

 

ニーチェによるニーチェ解説書。こっちのがわかりやすいっちゃわかりやすい。ニーチェ入門にはこれを)

 

つまりザロメが断っていなければ、神が死ぬのはもう少し後だったということだろう。

 

そう考えるとザロメニーチェを振ったというのは歴史的にも非常に重要な事柄に思えてくる。

(なんとニーチェ妹のエリーザべトが「お兄ちゃんに付きまとうザロメとかいう女許せない!」となって裏工作をしたという情報もあるみたい。エリーザベトという人物はニーチェの死後、ナチに近づくなどやらかし系妹キャラですね。)

 

リルケ(1875‐1926)

 

 

続いてはリルケとの関係

 

と言ってもリルケについてあんまり知らない人もいるかなと思うので少しリルケについても解説。

 

ライナー・マーリア・リルケという人物はオーストリア出身の(とは言ってもプラハ出身)詩人である。

 

 

ジャンルは・・・難しい。○○派とか○○主義という風にくくるのはちょっと無理である。

 

ともかくこの時代のドイツ語圏でホーフマンスタールとゲオルゲと並んで3本の指に入る偉大な詩人だってことを知っておけばオッケーだ。

(『さよならを教えて』や『機動戦士ガンダムUC』にもリルケの引用があります。『ドゥイノの悲歌』の天使のイメージは『さよならを教えて』に通じるところがありますね。ちなみにわたしのおすすめは「墓碑銘」という詩です。)

 

 

そんなリルケですが、ザロメと出会った時はまだ22歳。

まだまだ代表作の『ドゥイノの悲歌』も『オルフォイスに寄せるソネット』も出していない若手詩人だったのだ。

 

ザロメリルケよりも14歳も年上。

 

リルケはこの年上の女性の手ほどきをうけ、ロシア語を学び、世界文学(主にロシア文学プーシキントルストイなど)に没頭することになる。

 

ザロメがベルリンに移り住めば、リルケも後を追うほどリルケザロメになついていたようだ。

 

そしてザロメの案内でロシアへ二度も旅行に行くのだが、驚くべきことはザロメの夫も同伴だったということ。

 

そしてロシアではあのレフ・トルストイと面会しているのだ。

 

この二度のロシア旅行はリルケに多大な影響(主に神、自然などへの考え方について)を与え、リルケを語るうえで欠かせない出来事である。

 

(これと『イワンの馬鹿』しか読んだことない・・・)

 

後にフロイトザロメリルケのミューズであり、良き母であったと語っているらしい。

 

たしかにリルケはかなり可愛がられていたようだが、彼もまた彼女の愛を掴むことはできなかった。

 

最後はこんな詩で締めようか。リルケが俳句に影響されて詠んだ詩だ。

 

「実を結ぶのは花を咲かせるよりむつかしい、だがそれは言葉の樹ではなく―愛の樹のこと。」[2]

(原文はフランス語らしいです。ちなみに俳句は世界的にかなり有名な詩の方法で、ヨーロッパの詩についての用語集などにソネットやエレギーなどと一緒に載っていたりします。ちなみにこの詩はザロメについて詠んだわけではないはず。)

 

フロイト(1956‐1939)

 

続いてはフロイトとの関係について。

 

フロイトザロメニーチェリルケほど親密であったとはいえないけれど、やはり恋多き女ザロメ

 

彼女がフロイトの下で精神分析を学んでいた時。フロイトと愛人関係にあったのではないかという噂が流れていたりしたみたいだ。

 

しかし実際はフロイトとは肉体関係はなく、普通に交流していただけだった様子。

 

フロイトに関しては当時からすでに有名だったので、彼女が影響を与えたというよりは、彼女のほうが多大な影響を受けたという方が適切だろう。

 

フロイトは医者ですが、どちらかと言うと哲学やオカルトのほうが近いように思えます。彼の精神分析は実証も根拠もない学説ですが、その独特の論理性は20世紀の文化・思想に最も大きな影響を与えました。)

 


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(フロイトが探偵になるとかいうドラマ。日本で言う『文豪ストレイドッグス』みたいなもんです。)

 

そんなフロイトの元精神分析を学んだザロメは、74歳まで精神分析医として働いていたが、その一年後ゲッティンゲンにて75歳で息を引き取る。

 

 

さてここまで見てきてみなさんはこのルー・アンドレアス・ザロメという人物をどのように思うだろうか。

 

確かに無名時代のニーチェリルケに目を付け親しい間柄になり、その後の時代を超えた傑作を生むきっかけとなったというドラマはあまりにダイナミック。

 

やはり運命の女と言うにふさわしい、ミューズと言うにふさわしいという風に見えてこないだろうか。(ここ、次に続きます)

 

 

その他の実在したファム・ファタルについて少しだけ。

 

アルマ・マーラー(1879‐1964)

 

マーラーの妻であるアルマ・マーラーと言う女性が関係を持った男性も凄まじい。

マーラーのほかにクリムトフロイト

ココシュカ

(調べたら1980年まで生きていて驚き。彼の「風の花嫁」と言う絵画はアルマを描いたものだとされている。)

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バウハウスのグロピウス

(有名な建築家ですが、彼の建築を見てもおそらく何がすごいかわからないでしょう。彼のすごさは今では普通の工場やビルを初めて建てた人の一人であるということなんです。)

ja.wikipedia.org

 

などなどと関係を持った有名なファム・ファタルだ。

 

他にもDHロレンスと結婚したフリーダ・リヒトホーフェンやその姉妹であるエルゼなど、この時代にはそうした超ビックネームを渡り歩く女性が数多く存在している。

 

 

なぜこの時代にそうした女性が数多く存在していたのか?

 

それに関してはいろいろと理由もあるだろうけど、そもそもこうした文化的な社交の場において、数々の知識人と張り合えるような女性があまりいなかったということが大きいように思える。

 

そもそも数が少ないからみんなで取り合ったのだ。(俗っぽい言い方をするといわばオタサーの姫状態。)

 

しかしながら数は少ないながらもこうした女性たちの影響力は大きく、それをこころよく思わなかった人たちもいたらしい。

シュテファン・ゲオルゲを代表とする詩人のグループ、ゲオルゲクライスは女人禁制!女性を排した男だけのユートピアを作ろうとしたホモソーシャルなグループでした。)

 

 

さて、ここまで19世紀末から20世紀初めくらいまでのファム・ファタルついて語ってきた。

本来はここで終わらせるつもりだったのだが、少しハイカルチャーに寄ったスノッブな内容になってしまったので、口直しもかねてもう少し続けたいと思う。

 

 

 

次回は20世紀。

 

大学に女性が普通に通うようになって、男女同権が進む中、謎めいたファム・ファタルというロマンは消えていくかに思えた。

 

しかし、忘れていないだろうか?

 

20世紀中盤にもいたではないか。現代日本文化にも多大な影響を及ぼした、あの少女が。

 

 

そうロリータだ。

 

というわけで三回目はロリータ文化について。

 

 

造られたロリータ像というテーマで、フレンチロリータと呼ばれるフランスのアイドルやリュック・ベッソンの映画、最後には日本のアニメや漫画なんかも扱う予定だ。

 

 

それでは・・・

 

 

おつザロメですわ~

 

 

 

 

 

[1] Creepy Nuts / 阿婆擦れ 作詞 R指定 作曲DJ松永

[2] リルケ著 高安国世訳(2010)『リルケ詩集』 

『壱百満天原サロメの元ネタ?オスカー・ワイルドの『サロメ』とファム・ファタル達をご紹介いたしますわ 『サロメ』 『カルメン』 『ロリータ』 (1)』

(咳払い)

 

(咳払い)

 

皆様~ W・X・Y・Z世代の代表!

 

RYANAでございますわ~

 

今日はサロメ嬢にあやかって、『サロメ』とルー・アンドレアス・ザロメを紹介させていただきますわ~

 

 

www.nijisanji.jp

(めっちゃトークがうまい。テンポがいい。ボケも冴えてる。素晴らしい配信者ですね。)

 

はい。

本文に行きます。

 

今回はオスカー・ワイルドの『サロメ』とファム・ファタル(宿命の女)についてだ。

内容としては全二回。

 

一回目は『サロメ』を中心としたファム・ファタル作品について。

 

二回目はザロメを中心にした実際にいたファム・ファタルについて話そうと思う。

 

 

・・・

 

というかそもそも、みなさんはファム・ファタルというものをご存じだろうか?

 

難しいことを抜きに言うと、男を魅了して破滅に追いやる魔性の女という意味である。

 

もちろん今でもそういったテーマの作品はあるけれど、このテーマが実際に大流行したのは19世紀中盤から20世紀初頭にかけてだ。

 

そしてその時期には様々な戯曲や絵画が描かれたのはもちろん、現実にも何人もの男たちをまたにかけ翻弄する女性たちが現れたのだ。

 

 

(ルー・アンドレアス・ザロメ  ニーチェフロイトリルケをまたにかけたファム・ファタルの代表ともいえる存在。詳しくは第二回で)

 

 

今回はそんなファム・ファタルを紹介していく。

 

 

 

作品紹介

 

サロメ』 オスカー・ワイルド

 

ファム・ファタルの代表?世界文学史上一番の悪女と評される彼女だが、実は被害者⁉」

 

サロメ

耽美な響きである。

 

サロメという言葉が発音もしくは記述されるだけで、エロティックな雰囲気を感じるほど、そのイメージは世界中に染み渡っているのではないだろうか。

 

そんな『サロメ』はどのようなお話なのか。

 

筋としては単純なものである。

美しさゆえに義理の父の心を奪った王女サロメが、王に命じられてやった7つのヴェールの踊り(いわばストリッブ)と引き換えに愛する預言者カナーンの首を求めるというもの。

(A・Vピアズリーによる挿絵。非常に耽美な線使いであるが、これは浮世絵の影響らしいですよ。)

 

作中でサロメは魅惑的な女と描かれ、王だけでなく、門番を色仕掛けで篭絡したりする。なんといっても愛する男の首を求める。

まさにファム・ファタルの代表として相応しいキャラクターだろう。

 

 

 

サロメがこのようにエロティックに描かれるようになったのは19世紀からだ。

オスカー・ワイルドの『サロメ』、そしてリヒャルト・シュトラウスの歌劇の影響も大きいのだろうが、最初にサロメという人物にエロティックなイメージを施したのはモローの絵画だ。

 



(ギャスターブ・モローの「サロメ」 日本だと無視されがちだが、当時印象派と同じくらい象徴主義も流行っていた。)

 

 

新約聖書においてサロメは『マタイによる福音書』の14章や『マルコによる福音書』6章に登場する。

 

まずはマタイから

 

しかし彼女には「サロメ」という名前はまだなく、単純に「へロディアの娘」という風に記述されている。該当箇所を見てみようか。

 

 

6:マタイによる福音書/ 14章 06節

ところが、ヘロデの誕生日に、ヘロディアの娘が皆の前で踊り、ヘロデを喜ばせた。

7:マタイによる福音書/ 14章 07節

それで彼は娘に、願う物は何でもやろうと、誓って約束した。

8:マタイによる福音書/ 14章 08節

すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でいただきとうございます」と言った。

9:マタイによる福音書/ 14章 09節

王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、

10:マタイによる福音書/ 14章 10節

人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。

11:マタイによる福音書/ 14章 11節

その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡され、少女はそれを母親に持って行った。

[1]

次はマルコ

21:マルコによる福音書/ 06章 21節

ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日に重臣や将校、ガリラヤの有力者たちを招き、宴会を催すと、

22:マルコによる福音書/ 06章 22節

ロディアの娘が入って来て踊りを踊り、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言った。

23:マルコによる福音書/ 06章 23節

さらに、「お前が願うなら、私の国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。

24:マルコによる福音書/ 06章 24節

そこで、少女は座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。

25:マルコによる福音書/ 06章 25節

早速、少女は大急ぎで王のところに戻り、「今すぐに、洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。

26:マルコによる福音書/ 06章 26節

王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また列席者の手前、少女の願いを退けたくなかった。

27:マルコによる福音書/ 06章 27節

そこで、王はすぐに衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、

28:マルコによる福音書/ 06章 28節

盆に載せて持って来て少女に与え、少女はそれを母親に渡した。

 

といった風に聖書ではこの少女自身がヨハネの首を望んだのではなく、母親であるヘロディアがそそのかしたといった描写がなされているのがわかるだろう。

 

新約聖書ではまだサロメは男性を誘惑するファム・ファタルというよりも、母親の言いなりの、まだ自主性のない子どもとして描かれていたのだ。

 

https://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

日本聖書協会HP 聖書を読むことができる便利サイト。ちなみにわたしはキリスト教徒ではないです。布教ではないのでご安心を)

 

ではなぜファム・ファタルになってしまったのか?

 

当時は合理性や純粋理性、保守的なヴィクトリア時代の反動として、身体的なエロティシズムなどを重視する思想が流行っていた。

 

そしてその流れでサロメというキャラクターはエロエロに変えられてしまったのだ。

 

つまりサロメは時代の被害者であり、悪女というのはあんまりな評価なのである。

 

もう少し深堀してみよう。サロメはなぜ男を魅了するのかについてだ。

これについてはいろいろな研究があり、様々な観点から解説されているが私は家庭環境が悪いから説を押したいと思う。

 

考えてみてほしい。彼女は確かにお姫様だが、最悪の家庭環境なのだ。

 

実の父は殺され、なんと殺した叔父が父親になっている。そしてその義父からいやらしい目で見られるという最悪のシチュエーションである。

 

 

そんな環境でまともに育つはずもない。

私には彼女が天性の淫乱さで男を魅惑しているというよりは、こんな家庭環境で育ったからそんなやり方しかできないとみるほうが自然に思える。

 

皆様はどうだろうか?

 

(「麗しのロジー」ヴィ―ルツ 死とエロスのコントラストはお互いを引き立てる。サロメのモチーフが人口に膾炙したのも美女と生首のコントラスト故だろう)

 

 

(カラヴァッジョとクリムトのユディト こちらも聖書が元ネタで同じく生首系ファム・ファタル。やはり19世紀後半に描かれたクリムトのユディトのほうは顔が紅潮しておりエロティックですね。それにくらべてカラヴァッジョの嫌そうな顔。同じモチーフの絵画を見比べるのはとても面白いです。)

 

さて、サロメが意外にも可愛そうな女の子であることが分かったところで、次の作品。

 

カルメン』 プロスペル・メリメ

 

これも有名な小説、並びにオペラである。内容は知らなくても、きっとこれは聞いたことがあるはずだ。


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ストーリーはこのようなものである。

女工カルメンの護送を命じられた衛兵ドン・ホセは彼女に誘惑されて逃がす。カルメンの虜になったホセは軍隊を脱退、婚約者を捨てカルメンを追う。密輸業者に身を投じるが、カルメンは新しい男に心を移していた。復縁しなければ殺すと脅すが、求愛を断られたホセはカルメンを刺し殺す。

(これはオペラの内容。小説はもっと暗く、地域文学的側面が大きいです。)

 

 

非常に情熱的な作品。作者はフランス人であるけれど、スペイン=情熱的というイメージはこういうところからきているのだろう。

 

内容はというとひどい話である。惚れた女に執着し、振られたらストーカー化。挙句の果てには刺し殺すという、西園寺世界もびっくりのメンヘラ男の話だ。

 

 

カルメンは奔放な女、よく言えば自由な女である。ジプシー(ロマ)である彼女はその掟を守って自由であろうとする。

 

カルメンはやっていることはファム・ファタルの典型のような女性だけど、サロメほど言及されないのはその誇り高さ、快活さ故だろうか。(やっぱり謎めいているほうが神秘的だよね。)

 

 

『ロリータ』 ウラジーミル・ナボコフ

 

この作品も言わずと知れた有名作品。20世紀以降、ハイカルチャ―にもサブカルチャーにも多大な影響を与えた本作だが、日本語のロリータという言葉はかなり原作と乖離してしまっている。

 

日本では華憐さを表す言葉であるけれど、それはどちらかと言うとアリス的、もっと言うならば、ジョン・テニエルによる挿絵の影響が大きい。

原作のロリータは12歳の少女。

 

小柄ではあるが、大人の男性を魅惑するニンフェットである。つまり無垢な少女と言うよりは、どちらかと言うとファム・ファタルなのだ。

 

ジョン・テニエル 「不思議の国のアリス」と言えばこの挿絵である。ちなみにアリスには元ネタのアリス・リデルという女の子がいる。アリス・リデルは金髪ウェーブではなく、ストレートのおかっぱだ。ルイス・キャロルという人物については普通にきもいので、アリスが好きな人はあんまり調べない方がいいかもしれない。)

 

Lolita, light of my life, fire of my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo. Lee. Ta. “

(有名すぎる書き出し。ロリータって言いたいだけのきもいおっさんのようにも見えるが、ここに読解の大きなヒントが隠されているとか。)

 

ロリータはハンバート・ハンバートという文学者が獄中で残した手記というスタイルの小説だ。彼は初恋相手を子供時代に亡くしており、そのトラウマからある条件の少女が非常に魅惑的に見えるようになる。それがニンフェットと呼ばれる少女たちである。

ニンフェットは特別顔がいいわけでも、下品なわけでもない。なんかよくわからないけど魅力的な少女(9歳から14歳)のことを指す(きもい)

 

ja.wikipedia.org

 

そしてハンバートはアメリカでドロレス・ヘイズ(12歳、ロリータはドロレスの愛称。きもい)に一目惚れしてその母親と結婚。

母が事故で死ぬとロリータを騙して車でアメリカ横断旅行を決行する。

 

 

すべては語らないでおこう。『ロリータ』は名作なので、ぜひみなさんに読んで欲しいからだ。

 

 

そして『ロリータ』を読むときに注意して欲しいのは、語り手が異常者であるということだ。

作中でロリータはファム・ファタル的に、非常にエロティックに描かれる。しかし

それが事実であるかはかなり疑問がのこる。

 

そもそもニンフェットとか言っている気持ち悪いロリコンおじさんの語りであり、その認知はかなり歪んでいるに決まっているからだ。

 

そもそもロリータは本当に存在していたのか?そんなことを考えながら読むと面白いだろう。

 

「彼女には前身がいたか?そう、もちろんそうだ。実のところロリータは全く存在しなかったかもしれないのだ、私がある夏に、最初の少女を愛さなかったら。」[2]

 

 

ロリータ (字幕版)

ロリータ (字幕版)

  • ジェームズ・メイスン
Amazon

(なんとあのキューブリックが監督している。)

 

 

こんな感じでファム・ファタルについてみてきたが、どんな印象を持っただろうか?

 

持っていたイメージは少し変わったのではないだろか?

 

見ていくと彼女たちは悪女と言うより、環境や文化の違い、変態男の認知の歪みのせいで魔性の女として描かれているだけで、被害者であるという一面が見えてきたはずだ。

ともあれこのほかにも数多くのファム・ファタルものの作品は沢山ある。ぜひ自身で読んでみてほしい。そしてなぜファム・ファタルファム・ファタルなのか。いろいろと考えてみるのも面白いかもしれない。

 

 

次回は実在したファム・ファタルについて紹介していきたいと思う。

 

興味があればぜひ見に来てほしい。

 

ニーチェを馬扱いした女性や、マーラーの妻でありながら、バウハウスのグロピウスや画家ココシュカと関係を持ったアルマ・マーラーなどについて扱おうと思う。

さらには20世紀以降のポップカルチャーも扱うかも?(フレンチ・ロリータとか扱おうかな。)

 

それではこの言葉で締めようと思う。

 

おつサロメですわ~

 

(第二回はこちらです。)

gzdaihyoryana.hatenablog.com

 

 

[1]一般財団法人 日本聖書協会 聖書本文検索』

https://www.bible.or.jp/main.html       

[2] ナボコフ著 若島正訳(2008) 『ロリータ』 新潮社