『壱百満天原サロメの元ネタ?オスカー・ワイルドの『サロメ』とファム・ファタル達をご紹介いたしますわ 『サロメ』 『カルメン』 『ロリータ』 (1)』
(咳払い)
(咳払い)
皆様~ W・X・Y・Z世代の代表!
RYANAでございますわ~
今日はサロメ嬢にあやかって、『サロメ』とルー・アンドレアス・ザロメを紹介させていただきますわ~
(めっちゃトークがうまい。テンポがいい。ボケも冴えてる。素晴らしい配信者ですね。)
はい。
本文に行きます。
今回はオスカー・ワイルドの『サロメ』とファム・ファタル(宿命の女)についてだ。
内容としては全二回。
一回目は『サロメ』を中心としたファム・ファタル作品について。
二回目はザロメを中心にした実際にいたファム・ファタルについて話そうと思う。
・・・
というかそもそも、みなさんはファム・ファタルというものをご存じだろうか?
難しいことを抜きに言うと、男を魅了して破滅に追いやる魔性の女という意味である。
もちろん今でもそういったテーマの作品はあるけれど、このテーマが実際に大流行したのは19世紀中盤から20世紀初頭にかけてだ。
そしてその時期には様々な戯曲や絵画が描かれたのはもちろん、現実にも何人もの男たちをまたにかけ翻弄する女性たちが現れたのだ。
(ルー・アンドレアス・ザロメ ニーチェ、フロイト、リルケをまたにかけたファム・ファタルの代表ともいえる存在。詳しくは第二回で)
今回はそんなファム・ファタルを紹介していく。
作品紹介
「ファム・ファタルの代表?世界文学史上一番の悪女と評される彼女だが、実は被害者⁉」
サロメ。
耽美な響きである。
サロメという言葉が発音もしくは記述されるだけで、エロティックな雰囲気を感じるほど、そのイメージは世界中に染み渡っているのではないだろうか。
そんな『サロメ』はどのようなお話なのか。
筋としては単純なものである。
美しさゆえに義理の父の心を奪った王女サロメが、王に命じられてやった7つのヴェールの踊り(いわばストリッブ)と引き換えに愛する預言者ヨカナーンの首を求めるというもの。
(A・Vピアズリーによる挿絵。非常に耽美な線使いであるが、これは浮世絵の影響らしいですよ。)
作中でサロメは魅惑的な女と描かれ、王だけでなく、門番を色仕掛けで篭絡したりする。なんといっても愛する男の首を求める。
まさにファム・ファタルの代表として相応しいキャラクターだろう。
サロメがこのようにエロティックに描かれるようになったのは19世紀からだ。
オスカー・ワイルドの『サロメ』、そしてリヒャルト・シュトラウスの歌劇の影響も大きいのだろうが、最初にサロメという人物にエロティックなイメージを施したのはモローの絵画だ。
(ギャスターブ・モローの「サロメ」 日本だと無視されがちだが、当時印象派と同じくらい象徴主義も流行っていた。)
新約聖書においてサロメは『マタイによる福音書』の14章や『マルコによる福音書』6章に登場する。
まずはマタイから
しかし彼女には「サロメ」という名前はまだなく、単純に「へロディアの娘」という風に記述されている。該当箇所を見てみようか。
6:マタイによる福音書/ 14章 06節
ところが、ヘロデの誕生日に、ヘロディアの娘が皆の前で踊り、ヘロデを喜ばせた。
7:マタイによる福音書/ 14章 07節
それで彼は娘に、願う物は何でもやろうと、誓って約束した。
8:マタイによる福音書/ 14章 08節
すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でいただきとうございます」と言った。
9:マタイによる福音書/ 14章 09節
王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、
10:マタイによる福音書/ 14章 10節
人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
11:マタイによる福音書/ 14章 11節
その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡され、少女はそれを母親に持って行った。
次はマルコ
21:マルコによる福音書/ 06章 21節
ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日に重臣や将校、ガリラヤの有力者たちを招き、宴会を催すと、
22:マルコによる福音書/ 06章 22節
ヘロディアの娘が入って来て踊りを踊り、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言った。
23:マルコによる福音書/ 06章 23節
さらに、「お前が願うなら、私の国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。
24:マルコによる福音書/ 06章 24節
そこで、少女は座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。
25:マルコによる福音書/ 06章 25節
早速、少女は大急ぎで王のところに戻り、「今すぐに、洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。
26:マルコによる福音書/ 06章 26節
王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また列席者の手前、少女の願いを退けたくなかった。
27:マルコによる福音書/ 06章 27節
そこで、王はすぐに衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、
28:マルコによる福音書/ 06章 28節
盆に載せて持って来て少女に与え、少女はそれを母親に渡した。
といった風に聖書ではこの少女自身がヨハネの首を望んだのではなく、母親であるヘロディアがそそのかしたといった描写がなされているのがわかるだろう。
新約聖書ではまだサロメは男性を誘惑するファム・ファタルというよりも、母親の言いなりの、まだ自主性のない子どもとして描かれていたのだ。
https://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
(日本聖書協会HP 聖書を読むことができる便利サイト。ちなみにわたしはキリスト教徒ではないです。布教ではないのでご安心を)
ではなぜファム・ファタルになってしまったのか?
当時は合理性や純粋理性、保守的なヴィクトリア時代の反動として、身体的なエロティシズムなどを重視する思想が流行っていた。
そしてその流れでサロメというキャラクターはエロエロに変えられてしまったのだ。
つまりサロメは時代の被害者であり、悪女というのはあんまりな評価なのである。
もう少し深堀してみよう。サロメはなぜ男を魅了するのかについてだ。
これについてはいろいろな研究があり、様々な観点から解説されているが私は家庭環境が悪いから説を押したいと思う。
考えてみてほしい。彼女は確かにお姫様だが、最悪の家庭環境なのだ。
実の父は殺され、なんと殺した叔父が父親になっている。そしてその義父からいやらしい目で見られるという最悪のシチュエーションである。
そんな環境でまともに育つはずもない。
私には彼女が天性の淫乱さで男を魅惑しているというよりは、こんな家庭環境で育ったからそんなやり方しかできないとみるほうが自然に思える。
皆様はどうだろうか?
(「麗しのロジーヌ」ヴィ―ルツ 死とエロスのコントラストはお互いを引き立てる。サロメのモチーフが人口に膾炙したのも美女と生首のコントラスト故だろう)
(カラヴァッジョとクリムトのユディト こちらも聖書が元ネタで同じく生首系ファム・ファタル。やはり19世紀後半に描かれたクリムトのユディトのほうは顔が紅潮しておりエロティックですね。それにくらべてカラヴァッジョの嫌そうな顔。同じモチーフの絵画を見比べるのはとても面白いです。)
さて、サロメが意外にも可愛そうな女の子であることが分かったところで、次の作品。
これも有名な小説、並びにオペラである。内容は知らなくても、きっとこれは聞いたことがあるはずだ。
ストーリーはこのようなものである。
女工カルメンの護送を命じられた衛兵ドン・ホセは彼女に誘惑されて逃がす。カルメンの虜になったホセは軍隊を脱退、婚約者を捨てカルメンを追う。密輸業者に身を投じるが、カルメンは新しい男に心を移していた。復縁しなければ殺すと脅すが、求愛を断られたホセはカルメンを刺し殺す。
(これはオペラの内容。小説はもっと暗く、地域文学的側面が大きいです。)
非常に情熱的な作品。作者はフランス人であるけれど、スペイン=情熱的というイメージはこういうところからきているのだろう。
内容はというとひどい話である。惚れた女に執着し、振られたらストーカー化。挙句の果てには刺し殺すという、西園寺世界もびっくりのメンヘラ男の話だ。
カルメンは奔放な女、よく言えば自由な女である。ジプシー(ロマ)である彼女はその掟を守って自由であろうとする。
カルメンはやっていることはファム・ファタルの典型のような女性だけど、サロメほど言及されないのはその誇り高さ、快活さ故だろうか。(やっぱり謎めいているほうが神秘的だよね。)
『ロリータ』 ウラジーミル・ナボコフ著
この作品も言わずと知れた有名作品。20世紀以降、ハイカルチャ―にもサブカルチャーにも多大な影響を与えた本作だが、日本語のロリータという言葉はかなり原作と乖離してしまっている。
日本では華憐さを表す言葉であるけれど、それはどちらかと言うとアリス的、もっと言うならば、ジョン・テニエルによる挿絵の影響が大きい。
原作のロリータは12歳の少女。
小柄ではあるが、大人の男性を魅惑するニンフェットである。つまり無垢な少女と言うよりは、どちらかと言うとファム・ファタルなのだ。
(ジョン・テニエル 「不思議の国のアリス」と言えばこの挿絵である。ちなみにアリスには元ネタのアリス・リデルという女の子がいる。アリス・リデルは金髪ウェーブではなく、ストレートのおかっぱだ。ルイス・キャロルという人物については普通にきもいので、アリスが好きな人はあんまり調べない方がいいかもしれない。)
“Lolita, light of my life, fire of my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo. Lee. Ta. “
(有名すぎる書き出し。ロリータって言いたいだけのきもいおっさんのようにも見えるが、ここに読解の大きなヒントが隠されているとか。)
ロリータはハンバート・ハンバートという文学者が獄中で残した手記というスタイルの小説だ。彼は初恋相手を子供時代に亡くしており、そのトラウマからある条件の少女が非常に魅惑的に見えるようになる。それがニンフェットと呼ばれる少女たちである。
ニンフェットは特別顔がいいわけでも、下品なわけでもない。なんかよくわからないけど魅力的な少女(9歳から14歳)のことを指す(きもい)
そしてハンバートはアメリカでドロレス・ヘイズ(12歳、ロリータはドロレスの愛称。きもい)に一目惚れしてその母親と結婚。
母が事故で死ぬとロリータを騙して車でアメリカ横断旅行を決行する。
すべては語らないでおこう。『ロリータ』は名作なので、ぜひみなさんに読んで欲しいからだ。
そして『ロリータ』を読むときに注意して欲しいのは、語り手が異常者であるということだ。
作中でロリータはファム・ファタル的に、非常にエロティックに描かれる。しかし
それが事実であるかはかなり疑問がのこる。
そもそもニンフェットとか言っている気持ち悪いロリコンおじさんの語りであり、その認知はかなり歪んでいるに決まっているからだ。
そもそもロリータは本当に存在していたのか?そんなことを考えながら読むと面白いだろう。
「彼女には前身がいたか?そう、もちろんそうだ。実のところロリータは全く存在しなかったかもしれないのだ、私がある夏に、最初の少女を愛さなかったら。」[2]
(なんとあのキューブリックが監督している。)
こんな感じでファム・ファタルについてみてきたが、どんな印象を持っただろうか?
持っていたイメージは少し変わったのではないだろか?
見ていくと彼女たちは悪女と言うより、環境や文化の違い、変態男の認知の歪みのせいで魔性の女として描かれているだけで、被害者であるという一面が見えてきたはずだ。
ともあれこのほかにも数多くのファム・ファタルものの作品は沢山ある。ぜひ自身で読んでみてほしい。そしてなぜファム・ファタルはファム・ファタルなのか。いろいろと考えてみるのも面白いかもしれない。
次回は実在したファム・ファタルについて紹介していきたいと思う。
興味があればぜひ見に来てほしい。
ニーチェを馬扱いした女性や、マーラーの妻でありながら、バウハウスのグロピウスや画家ココシュカと関係を持ったアルマ・マーラーなどについて扱おうと思う。
さらには20世紀以降のポップカルチャーも扱うかも?(フレンチ・ロリータとか扱おうかな。)
それではこの言葉で締めようと思う。
おつサロメですわ~
(第二回はこちらです。)
(最終回はこちら)