Z世代の代表 作品紹介

一号とRYANAがZ世代ならではの視点でさまざまな作品を紹介します。

『【ロボットになるな!】麦わらのRYANAボンがアンチ学生生活な青春漫画・アニメを紹介』

ハイサイ毎度!

Z世代の天才ブロガー、麦わらのRYANAボンです!

 

今回のテーマは青春モノ!

 

というわけで青春モノを紹介するのですが、皆さんアニメとか漫画とか見てると青春モノは学生生活が多すぎだとは思いませんか?

 

そこで描かれる青春と言うものは、大体学校行事やら部活やらバンドやらの活動を通して、学生特有のコミュニティでの人間関係を築き、学生たちの社会で認められることによってクライマックスを迎えるというパターンが「王道」なわけです。


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ufotableといえばやっぱり『まなび』。内容は失われた学生生活を取り戻す話)

 

しかしですよ。

高校の時の友人なんて卒業してしまえば、ほとんどが赤の他人。

特別親しい数人を除けばインスタで近況を見るだけだとか、宗教勧誘があるだけだとかそんな縁なわけです。

学生社会に認められた関係は脆いもの。

別の社会にそれぞれが適応してしまえば、そんな絆は簡単にほどけてしまうものです。

 

そこで今回はアンチ学生社会・学生生活な青春モノをピックアップして紹介していきたいと思います。

オルタナティブな青春が欲しいみんな。

ぜひこれらの作品たちを読んだり見たりして癒されましょう。

 

学校から出よう!幾原邦彦作品

少女革命ウテナ』『ユリ熊嵐

 

私のアンチ学生生活青春モノって発想の原点がここに在ります。

内容はどちらも学校という閉じた棺の中のくだらないレジームからの解放というもの。

 

少女革命ウテナ』の舞台はいかにも平成初期の少女漫画のアレゴリーといった鳳学園。

王子様に憧れた少女ウテナがその学園にて、姫宮アンシーという少女をかけて決闘に挑むというお話です。

この作品で語られる姫とはなにか、王子様とは、永遠とはというテーマは、そのまま少女漫画的な恋愛モノの寓話となっており、非常に興味深い作品です。

 

少女漫画には基本的に憧れのヒーローが登場します。

ただヒーローに見初められるだけが青春じゃないわけです。

それは学生社会でもっとも信仰されている価値観でしかないわけです。

かといって今はやりの方法論みたいに女の子がヒーローになれるって話でもないところが『ウテナ』の面白いところ。

ヒーロー・ヒロインなどという二項対立を解体した末のクライマックスは感動すること間違いなし。ぜひ見てみよう。


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(タイトルの通り、青春の終わり。ここでの青春は学生社会の青春だ。)

 

 

ユリ熊嵐』の舞台は『ウテナ』とは違って女子校。

つまり憧れのヒーローなんてものはいない世界なわけで、ここで問題になってくるのは「空気」というもの。

シナリオは正直ここで説明するのが難しいくらいわけわからんのですが、ようは学校社会において自身の「スキ」を探すというもの。ちなみに百合要素てんこ盛りです。

(キマシタワー)

空気に立ち向かって「スキ」を通したい方はぜひ見ましょう。

(この作品、多分幾原邦彦作品の中では一番難解ですが個人的には結構好きです。)


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(空気といえばこれ)

 

自分の居場所を求めた先『バイ・スプリング』

タイトルからして買春の話かなと思うかもしれません。

それは半分くらいは正解です。

ただこの作品の根幹にあるのは、自身を過剰に管理してくる母親を持った思春期の少年と、裕福ながら義理の父親とそりが合わないヒロインが高架下という場所に居場所を求めるというもの。

(エッチな展開を期待はあんまり期待できません。)

このような学校でもなく、家庭でもない居場所を求めている人ってのは結構いると思います。

別に毒親でなくたって中高生にもなれば親といることは気まずくなるものですし、多数の人間は学生社会に居場所を求めるのでしょうけれど、そこからあぶれてしまったひとはそこ以外しか選択肢がないわけですから。

(13歳にもなって学校以外の場所まで親の言いなりなのは逃げ場がなくて本当に気の毒に思えます。)

居場所を求めてる学生諸君。この作品を読んでぜひ癒されてください。

 

緩やかなアンチ学生生活 入間人間作品

電波女と青春男』『安達としまむら

 

入間人間のこの二作品はアンチ学生生活って雰囲気が漂っていていいんですよ。

『電波女』に関してはヒロインは高校中退していますし。

ただここで注目したいのは『安達としまむら』のほうです。

 

よっ友はいるけど本当の友人はいないしまむら、ぼっちの安達。

そんな学生生活に馴染めず半不登校の二人がエスケープ中に体育館で出会い、少しずつ仲良くなっていくというもの。いわゆる百合と呼ばれるジャンルです。

途中で不登校ではなくなって、一応授業を受け始めるわけですが、この作品が特殊なのは徹底的に学校行事が描かれないことです。

学園モノで人間関係を築く話は、キャラクターたちがイベントに巻き込まれるという形をとることが多いです。

そしてイベント、つまり学校行事等にむけて切磋琢磨し努力して学生社会に認められながら、仲間との関係も深くなるというものが主流ですが、『あだしま』はまったく違います。

あだしまでは安達がしまむらと仲良くするために、クリスマスデートに誘ったりだとか、バレンタインデーにチョコレートをあげるために奮闘したりするのですが、そこに学生社会との繋がりはありません。

二人の個人的な関係があるだけです。

 

 

修学旅行に行った時も、普通は班でなにをしただとかレクリエーションがどうしたなど、通常の作品では学生生活の流れが人間関係が大きく影響するものですが、『あだしま』では旅館の部屋内の二人がクローズアップされ、学生社会との断絶が描かれます。

 

そして何より特殊なのが、この作品ぼっちである安達が社会と打ち解ける可能性を完全に否定しているところでしょう。

実際彼女は何度かしまむら以外の人に接触はするのですが、よっ友よりも深い関係になろうとは思いません。無理してしまむら以外と遊びに行ったとしても、2人きりのほうが断然楽しいという感想を持ちます。彼女たちにとって社会とは打算的に生きる世界であり、そこになんのロマンもないのです。

そのため学生社会における仲間信仰は『あだしま』という作品にとっては息苦しいものとして描かれます。そして学生生活におけるイベントもそうした仲間信仰ありきのものであり、彼女たちには不要なのです。

 

 

 

アンチ学生生活としての青春漫画・アニメ。

青春の形は人それぞれなものです。

しかし恋愛のロールモデルがドラマや映画に影響されるように、アニメの青春描写も目指すべき良き青春として受容されることもあるでしょう。

 

 

学生生活・仲間信仰というものから良き青春はそのようなものだと勘違いしてしまう人もいるのかもしれないです。

もちろんそれは一つの正解ですが、それ以外に正解がないなんてことはありません。

今回はオルタナティブな視点を持つ上で少しは参考になればいいなと思いいくつかの作品を紹介しました。

もう高校・中学なんて卒業した私から言わせると、高校・中学というのは島社会みたいなものです。それはそれで楽しいところもあるし、私だって別に学生社会が嫌いなわけではないんですけど、なんだったんだあれということも結構あります。

私は中学生の時、これをやらなかったら退学という宿題をやらないで行った時ガチギレされました。当時私はロボットになりたくなかったのかもしれません。

でも退学はなかったので「話違うや~ん」ってなりました。

それ以降は宿題出さない主義から最低限出す主義に代わりました。宿題まる写しのせいで都大会出場停止になったことももありましたが、まあそういうのもいい思い出です。

 

高校生活で後悔してることはもっとさぼっとけばよかったなあということですかね。指定校推薦でも狙わない限り皆勤なんてなんも意味ないから、もし高校生がいたら卒業日数を計算して適度にサボることをおすすめします。

さぼって旅行とか行ってもいいと思いますよ。

学生社会が合わないなら、雑に打算的にそこでは過ごせ!これは『あだしま』で学べます。

こんな感じで、私はこどもも大人も自由に生きていけばいいと思っています。

みんな・・・

人生は冒険や!!!!