『イリヤの空UFOの夏』 夏が終わるということ ※ネタバレあり
夏という季節を定義するのは難しい。
なんせ近年は温暖化で10月であっても真夏日と呼ばれるくらい暑い日だってあるし、逆に6月なのに妙に寒かったりする日もある。
暦的には夏至から秋分の日までなのだろうけど、誰もいつ夏至だったかどうかも覚えていないし、秋分の日を過ぎても秋とは言い難い暑い日が続いたりする。
そんなあいまいな時期だけれど、日が短くなって、セミの声が小さくなっていくと夏が終わってほしくないなんていう気持ちでいっぱいになる。
夏は途方もなくて、暑苦しくて、切ない。
しかし、どうしようもなく膨大な感情が湧き上がって、何かが成し遂げられる予感がする、そんな季節である。
そしてそんな夏というイメージそのものと言っていいのが『イリヤの空UFOの夏』という作品だ。
とはいっても、この作品に青い空、さんさん降り注ぐ太陽の光、白い砂浜と広大な海のコントラストのような、ステレオタイプな夏は全く登場しない。
そもそも冒頭の時点で、8月31日である。人によってはもう夏はおしまいだと考える、そんな時から物語が始まるのだ。
主人公浅羽直之は6月24日から8月31日までUFOを探しに行っていた。もちろんそれは何の手ごたえもなく終わってしまうのだが、「中学二年生の夏をこのまま終わらせるわけにはいかない」という突発的な理由で学校のプールに潜入する。
そしてそこで出会ったのがヒロインである伊里谷加奈である。
彼女はどこかおかしい。手首に金属球が埋め込まれていて、頻繁に鼻血を出す。
コミュニケーションもかみ合わないし、非常識な行動をとったりする。
そして彼女は言うのだ。「一九四七年から戦争は始まってた。」「みんな気づいていなかっただけ。」[1]
そう、彼女はUFOのパイロットであり、なんだかよくわからない敵と戦っている。
ここで未確認飛行物体は未確認ではなくなるけれど、それでも伊里谷がいる限り、浅羽直之の夏はUFOの夏として続いていくのだ。
ところでこの作品。
時計や具体的な時間がよく登場する。
印象的なサブタイトル「十八時四十七分三十二秒」はもちろんだけど、その他にも伊里谷が一人になろうという時に逃げこむのは時計塔だし、水前寺との暗号も時計を使ったもの。
緊迫感のある逃避行のシーンも緊急事態も、詳細に何時何分という描写がなされる。
そしてその詳細な時間描写は、作品のリアリティへの寄与のほかに、夏が終わっていくということ、そして伊里谷と一緒にいられる時間がそう長くないということをひしひしと感じさせるのだ。
冒頭でこのような記述がある。
「憎むべきはあの時計塔だった。あの時計塔の歯車の息を止めてしまえば、八時十四分で世界中の時が止まるような気がする。そうなれば、夏休みは終わらないし二学期は始まらない。」[2]
夏休みを終えたくないということは、『涼宮ハルヒの憂鬱』でも扱われているけれど、学生時代多くのひとたちが願うものだ。
9月1日、学校が始まってしまうと夏はぶつ切りにされて、まだ猛暑は続いているのにも関わらず、学生は大きな喪失感を覚える。だからこそそこを夏の終わりだと思う人も多いだろう。
しかし『イリヤ』では各キャラクターがどうにかして夏を続けようとする。
時間は勝手に進む。一秒一秒と過ぎていく。夏が終わることを止めることは無理だ。
だけど抵抗する。
「夏休みが終わると同時に、夏が終わるわけではないのだ。」[3]
そして未確認飛行物、UFO、つまりは伊里谷が乗るブラックマンタが飛ぶと、時計が止まる。これはまさに夏が終わることへの反抗をよく表しているだろう。
「腕時計は十八時四十七分三十二秒で止まっていた。」[4]
しかしやはり永遠というわけにはいかない。秋分の日を過ぎればいくら抵抗しても夏が終わってしまう。
作中でも9月27日をピークに、つまり秋分の日から少し過ぎたあたりから、それぞれの夏に陰りが見えてくる。
最初に夏が終わるのは晶穂だ。
彼女だけはUFOなんていうものを追い求めていないから、平和的に終わる。
ちょっとした失恋物語だ。夏の思い出として相応しいものだ。
その後、彼女は恋敵である伊里谷に向き合っていく。
次に終わるのは水前寺。彼の夏は軍の力によって暴力的に終了する。
UFOや軍の秘密を見届けようとした彼も、真実まであと少しというところでその願いは潰える。
浅羽の夏は・・・なかなか終わることはない。
彼は伊里谷を連れて大きな家出をする。世界の崩壊なんかよりも彼女のほうが大切だということを息巻いて。
だけど彼が思い描いたユートピアも長くは続かない。伊里谷が襲われて、彼女が半狂乱になった時、彼は彼女を拒絶する。
そしてこの時点で伊里谷の夏も終わる。
だけど、伊里谷には秋は来ない。彼女はどのような選択肢をとっても死ぬ運命にあることを自覚しているからだ。すると伊里谷は完全に心を閉ざしてしまい、追憶を始める
秋が来ない彼女にとっては夏の追憶しかできることはないのだ。
浅羽はこの時点で完全に理解してしまう。伊里谷は自分では救えないということを。
そして行先のない逃避行は、ある意味夏休みの象徴ともいえるような、祖父母の家というところで決着を迎える。
その後、浅羽の夏は終わったかに思えた。
しかし彼の夏はまだ終わらない。周りがみんな冬服を着ていても、彼は夏服のままだ。
そして伊里谷の最後の出撃を激励するために軍に呼び出されても、彼は最後まで抵抗する。世界が滅んでも、伊里谷を殺したくないと高々宣言する。
だけど伊里谷の夏はもう終わっている。伊里谷は夏を振り切って、浅羽を助けるために出撃していく。
そして・・・
具体的なことは語られない。しかし戦争は終わった。
浅羽もさすがに夏とお別れしなければならない。
10月も終わる頃、浅羽は空に、伊里谷に向かってミステリーサークルを描く。水前寺の興味はUFOからもう別のものに移っているけれど、彼なりのけじめなのだろう。
浅羽直之の夏は終わった。これから秋(晶穂)にどう向き合っていくのだろうか?
『イリヤの空UFOの夏』は夏の、もっと言うと残暑の精神をそのまま表したような作品だ。
この作品に出会ってから、私にとって夏とは、6月24日から10月26日までの期間になってしまった。
夏は存在しないものを追い求めてもいい季節だ。
だから夏の間には空を見上げて、UFOを探すことにしようか?
本当にUFOがあるかどうかなんかはどうだっていい。
夏の間はそんな途方もないことが成し遂げられる気がする。その膨大な感情だけが大事なものなのだ。
9月になっても、日が短くなっても、夏の残り香を胸にセンチメンタルに秋に抵抗し続けよう。
そして秋、落葉樹の葉の色が変わって、上着を羽織るようになったとき、今年もやっぱり見つからなかったなあと思うだろう。
それとも夏の間には何かを掴んだと思っても、実際はなんにも手に入れていないということだったのか。
今年もまた夏という季節が始まる。
今年はUFOを見つけることができるだろうか?
[1] 秋山瑞人(2001) 『イリヤの空UFOの夏』角川書店
[2] 同上
[3] 同上