Z世代の代表 作品紹介

一号とRYANAがZ世代ならではの視点でさまざまな作品を紹介します。

『読書週間! 読んでないと恥ずかしい読んでいない本』

10月末から11月の初めにかけては、全国的に読書週間。

普段本を読まない人はこの機会にどうぞ1冊、月に10冊以上は読むよという読書家のみなさんは、今までなかなか読めなかった大作に取り組むのもいいのではないでしょうか。

 

ちなみに私は読書家というわけではありません。歴史的名著を読破してやろうと思い立ち、とりあえずAmazonでポチるくらいの向上心はあるのですが、ポストから取り出して包装をビリビリと破り開けてしまえば、もう読もうという気持ちは秋の空。本棚のどこにレイアウトしようかという本棚デザイナーの私が、読書家の私をどっかに追いやってしまって以後その本が触られることはなかったりします。

 

 

というわけで今回は、そんな本棚デザイナーな私が読んでない名著を紹介したいと思います。

とはいっても紹介するのは本当に有名な作品ばかり。きっと読書家のみなさんは「えっ、これすら読んだことないのにスノッブを語ってたの?」と驚愕すること間違いなし。あんまり本を読まないよという人はこれを機に一冊くらいは手に取ってみましょう。

 

 

失われた時を求めて』 プルースト

いきなりクライマックス。

 

20世紀の世界文学の中でも最高傑作との呼び声も高い本作。

似非教養人のエアプ本ランキングでは常に上位を占めるでしょう。

同じように20世紀文学の最高峰ともいわれるカフカとはアクティブ数という点ではずいぶんと差をつけられているけれど、その原因は単純です。

どう考えても長すぎるということです。

岩波文庫のほうだと全14巻。きっとコンプリート率10%以下で、もうついていけないと引退してしまった人も沢山いるのでしょう。

しかしこの本、エアプであっても先人たちによる批評がたくさんあるので、結構語れてしまったりします。とりあえず夢想体験のようなシーンが映画やらアニメやらにあるならば、とりあえずプルースト的とレッテルを貼り、「プチット・マドレーヌ」だとか、「意識の流れ」だとかそんな言葉を巧みにあやつり、読んだことを名言せずに「プルースト読んだ感」を醸し出しましょう。

相手がエアプならきっとばれないと思います。プルースト人狼とかすっごく楽しそうです。読まずに「全英プルースト要約選手権」に出場するというのも挑戦的で面白いと思いますよ。

 

哲学探究』 ウィトゲンシュタイン

 

私は大陸系の哲学はにわか程度には知ってはいるんですけれど、英米系の哲学は本当によくわからないです。

ウィトゲンシュタインも世紀転換期オーストリア思想の一つ、つまりはフロイトだとかカール・クラウスだとかと同じグループって捉えれば地理的には確かに大陸系なのですけれど、やっぱり私的には英米哲学のジャンルに入る。

だからか「語りえぬものには沈黙するのみである」なんて言葉は有名だけれど、にわかですらない私にとってはどうも腑に落ちないのです。

私は唯物論者ですが、言語をメディアとして捉えているので、根本的に考え方が違うように感じます。(個人の感想です❤)

ただ彼の思想の理解しがたさとは裏腹にただ機械的に彼の本に目を通すというのはそこまで難しいわけでもないですよね。なんたって短いですから。

そういったわけで『論理哲学論考』には一応目を通したことがあるので、こちらを選択しました。

 

 

実際『論哲』は目を通したことのある人も多いでしょう。

「語りえぬもの」に関しては『探究』のほうでは沈黙していないとのうわさも聞くので、その辺しっかり取り組んだなら面白いかもしれないです。

 

資本論』 マルクス・エンゲルス

(うわでたよ。)

読んだ人はおそらく上記の二つよりはるかに多いでしょうが、エアプ率は負けず劣らずという本作。それだけ語られる作品というわけです。

名著であり、現代思想への影響は最も大きいと言っても過言ではない大作にも関わらず、センシティブな本ランキングでは世界で5本の指くらいには入りそうな尖った本です。別に共産党だけの占有物ではないんだけどね。

この作品のエアプ率の高さは、やはり危険な本だとみなされているところが大きいのでしょう。

まあ確かに数多くの人は本棚を見て、マルクスが並んでいたらそりゃあ引いちゃいますよね。実態はどうであれ、人は偏見に生きる生き物なので致し方ありません。

私が読んででいない理由?それは「プルースト的」な理由です。

共産党宣言』は読みました。あれは短くていいですね。

 

 

 

利己的な遺伝子』 ドーキンス

いきなり人文学から生物学へのジャンプ。

といってもこの本は別に専門書でもないですし、割と社会学的に受容されている一面もあるので、自然科学の本というわけでもないというのが、エアプからの印象です。

というのも「ミーム」という概念、おそらく定義を大きく超えてしまっていますが(読んでいないから確認していないよ)、この本が出典だとのこと。

Wikipediaに書いてあったからきっと90%ぐらいの確率で正確なはずです。(要出典)

この作品はエアプ率というより、ミームという言葉を出典を知らずに使っている率が凄まじい数いるでしょう。半年くらい前の私がソースです。

 

『聖書』

はい。実は完全に読んだことないわけではありません。ただ通読したかと問われれば、間違いなく答えはNO。

特に新約のほうはかなり厳しいですよ。「エンドレスエイト」じゃないですけれど、おんなじエピソードを何度も読まされるわけですから。

きっと世界的にも教会で聞いたことはある、エピソードが引用されているのを見たという形で聖書に慣れ親しんでいるひとは沢山いても、最初から最後まで通読しましたという人の割合はそこまで高くないのではないのでしょうか。

 

とはいえ作品を受容する上で間違いなく聖書の知識は必要なわけで、そんな時のために聖書が読めるサイトのリンクを貼っておきます。

www.bible.or.jp

(前に挙げた本みりゃ自明のことだとは思うけど、私はクリスチャンではないです。布教ではないことをここで断っておきます。)

 

 

いかがでしたか?皆様の読んだことのない本はありましたか?

今回紹介するのは世間的には読んでいないと恥ずかしい名著ばかり。だけれど、結構骨の折れる作品も多いので、読んだ振りをしているけれど、実は読んだことはないという見栄っ張りな方もきっといらっしゃるはずです。

 

一冊も知らなかった?

でも大丈夫です。本を読むということはメリットばかりではないのですから。

読んだことないから読んだに変わることはあれど、読んだ状態から読んだことがないになることはできないというところから、本を読んで取り返しのつかない事態になることが起こりえることは火を見るよりも明らかでしょう。

本を読むということは危険です。読んだら最後、奇妙な考え方に取り憑かれてどこか遠くの世界から帰ってこれなくなる可能性の存在は論理的に反証不可能です。

また本を読むという行為は最も反社会的な行為とも言えます。本を読むことは洞窟の中で修行することに似ています。詰め込み過ぎた知識とロジックがつかえて、穴から出られなくなったり、自分が洞窟の中にいることを認識できなくなり、見えないはずの獣に恐怖して、そのまま食われてしまったり、最後には自身が獣になってしまったりすることもあるでしょう。

 

とはいえ本を読んで得られるものは、他の体験には埋めがたい特別な経験になりうることがあるのも確かです。

なんだかんだ本を読むことはいいことです。正直読む本なんかどうでもいいです。読んでないと恥ずかしいなんて考えて、名著をつかまえてわざわざ読む必要なんかないんです。

 

 

私はむしろ周りに読んでいるとばれたら恥ずかしい本をそれでも読み続けるということこそ、本を読む醍醐味だと思います。

最後に私はこんなのを読んでいるとばれたら恥ずかしいけれど、それでも好きな作品を一つだけ教えます。

いいわけはありません。理論もありません。実は高尚な作品でドゥールズがどうとか、ガタリがこうとかいうという講釈もありません。下に書いてある一言以外に好きな理由はありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かわいいは正義!!!!!