Z世代の代表 作品紹介

一号とRYANAがZ世代ならではの視点でさまざまな作品を紹介します。

実録!あるZ世代のお金の使い方 Z世代の代表はどんな趣味をもっているの?

(こんにちは!Z世代の代表です。もうすっかり秋ですね。

9月も終わって、気候も丁度いいといったところ。着かぬ間にももうとうとしてしまうくらいのんびりとした陽気。

そんな朗らかなお天気のなか、わたしは電車の中のモニターで、ある情報を目にしました。

 

prtimes.jp

news.mynavi.jp

ソース元はとはもしかしたら違うかもしれないですが、こんな感じの内容。わたしが属するZ世代は推し活に結構お金を消費しているってお話。

マイナビ様のこの記事によると

「18歳~24歳では、4割以上が毎月3万円以上を推し活に使っているという結果になりました。中高生では5,000円以下が過半数ですが、10,000円以上も26%と大きな割合を占めています。お小遣いやバイト代の相場などを考えると、毎月費やすのにはかなり大きい金額ではないでしょうか。」

 

だそうです。

これにはZ世代のわたしもびっくり。わたしにはアイドルだとか、Vtuberだとかの推しは特にいませんし、ソシャゲもあんまりやっていません。

だからまわりのみんながここまでお金をつぎ込んでいるということにびっくりしてしまいました。

「なんでそんなことにお金を使うんだろう?」「もったいなくね?」とも一瞬思いましたが、人の振り見て我が振り直せと言うじゃないですか。

ということでわたしが生活費以外にどんなことにお金を使っているかちょっと見ていきましょう。

 

まずは月に数回いくプールとスポーツジム。

身体がなまるのはいやなので、ちょこちょこ訪れてがっつり運動します。

大体月に2000円かからないくらい。

ジムとプールがセットになっている公共機関はコスパ最高。

 

Amazonの履歴をチェックしてみます。

まずは軽めのところから行くと、こんなもんを買っています。

ギターの弦

 

そんな本格的にやっているってわけでもないのですが、なんの楽器も弾けないというのは悔しいので、独学でちょくちょく弾いています。歴は1年未満のペーペー。

人前で弾けるレベルではないです。でも友人が家に訪れたらどや顔で弾きます。オープンコードじゃかじゃかスタイル万歳。パワーコード様には頭が上がりません。

 

さてさて本番

サブスクを確認すると、アマプラ、U‐NEXT、kindle unlimited、Spotify

ちょくちょく乗り換える人なんで、固定はアマプラSpotifyだけですかね。

月平均だと、大体4000円いかないくらいかな。

おすすめ映画はこんな感じ。

 

フランケンジョーズ

フランケンジョーズ

  • グレタ・ヴォルコヴァ
Amazon

 

ノスタルジア(字幕版)

ノスタルジア(字幕版)

  • オレーグ・ヤンコフスキー
Amazon

 

 

最近ゴダールが亡くなってしまったのは悔やまれます。

 

漫画

昨今は空前の漫画ブーム。

何千万部何億部といった勢いで、爆発的なヒットをかます名作漫画が数多く発行されており、もちろん時代の流れに敏感なわたしも漫画大好きです。

大体月に1000円分くらい、中古なら4冊、新品なら2冊分くらいですかね。

昔はもっと買ってましたが、最近はこんなもんです。

 

ということでZ世代の代表が選ぶ今年読んだ漫画3選です。

 

『ワンピース』

 

 

「無料期間で読みました。そのため主旨とは外れてしまうのですけれど、やっぱり面白かったので入れました。

詳しくはこちらの記事で。

 

gzdaihyoryana.hatenablog.com

 

一応40巻分以上は読みました。はやく続きも読まなきゃ。」

 

『オクターブ』

 

 

「夢やぶれた元アイドルと、売れないミュージシャンの百合漫画です。主人公の雪乃は田舎生まれで、芸能界の中心である東京に憧れて、上京するも挫折。未練を抱えたまま零細芸能事務所で働いています。対して節子さんは年上のミュージシャン。そして二人の関係は、コインランドリーから始まり、肉体関係を持ちます。『安達としまむら』や『やがて君になる』のような甘酸っぱい青春ものの百合もいいですが、もう少し年齢を上げた大人の関係から始まる百合もいいですね。」

 

ヤマタイカ

 

 

星野之宣を知っているカナ?

(中略)

最近の若いサブカル趣味の子たちは伊藤潤二だとか、諸星大二郎だとかを取り上げるわりに彼についての話しているのを聞いたことがないのはなぜなのだろう。特に諸星大二郎星野之宣はニコイチセットって感じだから不思議でならない。(笑)

ヤマタイカ』はそんな彼の代表的な作品で、読んでみるとこれまた星野だなあ~となる。星野節満開、心も満快。日本神話を背景とした濃厚なバックグラウンドはまるで豚骨ラーメンのようで、そんなこってりしたスープをズズッ・・・とすすると、ピリッっと聞いてくる現代社会への風刺。激辛ラーメンみたいな無節操さはなくて、程よいピリ辛の香辛料を感じる。

(中略)

小生のような通はこの作品をただこの漫画だけじゃなくて、『古事記』や『日本書紀』なんかと一緒に読んでみたりする。

ふむふむ。これまたよく考えられた作品ですよこれは。だけど昨今の作品にあるような、ダレモガワカル作品でなくて、ナショナリズムアナーキズムが渾然一体となった世界観は珍味を味わえる小生には心地よいのだけど、なかなか厳しいのカナ…

(中略)

でも少し言わせてもらうと、SF大賞をとっているけれど、SFとしては疑問に残るカナ(笑)これに限らずSFでもないのにSF名乗る作品が増えすぎていると思うのですよ。ガンダムSF論争とかを見ても思うのですが、科学的考証がしっかりとされていないのにも関わらずどうしてSFを名乗ろうというのでしょうか。設定の細部をオカルトに頼っているならそれはもうSFではありません。それは潔くファンタジーと名乗るべきなのですが、どうしてそんな基本的なこともわからないのでしょうか。(以下割愛)」

(好きなSF作品は『うる星やつら』。本音では科学ぽい作品はSFだと思ってます。)

と言った感じですね。流行りの漫画からちょっとニッチな漫画まで幅広く読もうと心掛けています。

 

わたしの消費活動の多くを占めている本。

kindle unlimitedにも契約していたり、青空文庫も結構活用しているのですが、紙の本もめちゃくちゃ買っています。

大体月に3000円くらいでしょうか。中古新品合わせて10冊程度は買っています。

 

最近買った本のおすすめ

『友達をやめた二人』

 

 

「タイトルに惹かれました。児童文学を読むのはとっても久しぶりでしたが、大人が読んでもしっかり面白かったです。友達と親友の線引き。そういうことが気になってくる小学5年生の子たちのお話ですが、そういった人間関係の線引きって大人になってからも気になることですよね。」

 

奥の細道

 

 

「情報化社会、情報過多の時代。時代はファスト娯楽です。Y世代のみなさん。YouTubeショートにしろtiktokにしろもう長すぎるんです。だからみんな5秒くらいでスクロールするんです。我々は1分もかかる娯楽に耐えられません。でいま最先端なのはもちろん俳句。17文字って何分の一Twitterだかわからないけれど、最強のファスト娯楽。最先端すぎてまだビジネス視点を持った老人たちは気が付いていないですけれど、そのうち『俳句がZ世代に大流行のわけ』だとか『Z世代中心に話題の俳句。トレンドを掴んだ5つの理由』とかいう記事がきっと出てきますよ。知らんけど」

 

『図説 金枝篇

 

 

「みなさんご存じの通り、J・フレーザーによるネムの金枝と王殺しについての本ですね。世界各国の民話や伝説、神話を収集し、その共通性を探るという内容で、作中に登場する共感呪術、類感呪術だとかの用語が我々を困惑させます。しかししっかりと読み解くと、その後発展した文化人類学への入り口にもなりますし、単純に大量に収集された各国の神話のアーカイブとしても非常に価値のある本です。」

堤中納言物語

 

 

「平安末期から、鎌倉初期に書かれた説話集。中でも『虫愛ずる姫君』はとても有名です。10篇からなっていますが、悲しい女性の運命のお話から、恋する男の御まぬけなお話まで、バラエティー豊かな人間模様が非常に魅力的でした。」

『パサージュ論』

 

 

「『パサージュ論』はベンヤミンによるパリのパサージュに対する論考の断章を彼の死後に編纂し、出版したものである。邦題では論とついているが、原題はWerk、つまりworkである。『パサージュ論』を完全に理解するということは不可能であるが、読むにあたって前提知識があったほうが分かりやすいだろう。

というわけでここではベンヤミン方法序説について簡単に解説する。

『ドイツ悲劇の根源』にあるように[1]ベンヤミンは哲学者の使命は、科学者と芸術家の中間にあると言っている。科学者のように唯物論的であるが、その唯物論的な世界観の上に神秘主義的な解釈をすることが、彼の独特な方法論なのである。世界はモナドのようなものであると想定し事物はそれぞれ、独立して存在していると考える。しかし、人間の認識とはその独立して存在している事物同士を線でつなぎ、星座のような構成をすることであるとベンヤミンは考える。すなわち彼に言わせれば、世界は断片の集まりであり、それをモザイクのように組み立てることが我々の認識なのである。彼は言語、政治、批評、メディア。歴史など様々なジャンルを取り扱ったが、その横断的な見識の根源には神学、そして唯物論がある。その矛盾した二つを止揚するものこそがアレゴリカーの視点なのだ。そしてそのまなざしでパリのパサージュに何を見たのか。『パサージュ論』には現代社会のみならず人類史において最もラジカルなものが数多く多く含まれている。」

 

とこんな感じですね。ちょっと前までではミステリーとかライトノベルとかも読んでました♪

 

さてさてこれで最後です。自分の購入履歴を見て、流石に青ざめました。気が付かないうちにこんなに買ってたとは・・・

 

そしてそれはこちら。

美少女ゲームです。

 

 

まずDMMとDLサイトの購入履歴とか、こまめにつけているプレイ履歴、棚の奥底にしまってある箱の数を数えて驚愕。

なんと70本以上あるではないか。

まあ基本セールで買ったり、中古のを買ったりするんですけれど、想像より多すぎてびっくりしました。だってまだ美少女ゲーム歴2年半とかですよ。

大体月換算で割ってみると大体5000円くらい?まあサブスクでやった期間とかあるし、ワンコインで買ったやつとかもあるから一概には言えないですがちょっと予想外に金かけてました。しばらく買うのやめます。

というわけでわたしが一番お金を溶かしたジャンル。

最近やった作品のおすすめ。

 

『MOON.』

 


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(大嘘。言っていいウソと駄目なウソがあると思います。)

「あのKeyの麻枝准久弥直樹樋上いたるなどのスタッフが作った作品。「FARGO」と呼ばれる宗教団体に母親を殺された主人公郁美は、復讐心を抱いて教団に潜入するというお話。「FARGO」はタイトルから連想される教団というよりは、サイエントロジーやオウムに近く、オカルトチックな自己啓発セミナーといった感じ。凌辱シーンや過激なシーンが多いので、麻枝准をファンにはすこしきついかもしれないです。しかし失われた母や幼少期の想い出というテーマに関しては、『ONE』や『Kanon』よりうまく決着がついていてよい作品です。女主人公なのもグッドですね」

 

『Musicus』

 


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瀬戸口廉也美少女ゲームに帰ってきた。Overdriveの最終作にして、クラファンで億を集めたすんごい作品。内容は音楽というのを軸にそれぞれことなる物語が紡ぎだされます。学生時代にエンジョイしながら音楽に触れるルート、未来を見ずに今を楽しもうという刹那的な享楽主義的なルート、商業的な成功を収めるも自身のやりたいこととズレを感じるというルート、親のすねをかじりながら、ひもとして売れないミュージシャンを続けるルート。話としては成功するルート、売れないミュージシャンルートの出来が素晴らしいのですが、その他のルートの在り方も含めて俯瞰してみると、音楽と人とのかかわりあいの七色が重厚なハーモニーとなって浮かび上がってきます。私は前作の『キラ☆キラ』よりこっちのほうが好きですね。」

 


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『和香様の座する世界』

 


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「平成末期、元号が変わる寸前に発売されたいろいろな示唆に富んだ作品。基本的には廃神社にて、忘れ去られた神様である和香さまたちのドタバタコメディなのですが、話を進めるにつれて、記紀神話に裏づけされたお話であるということが明らかになっていきます。この作品さえやれば神代のことはだいたい抑えられます。作品内にちりばめられたアイロニーや神話の再解釈、いろいろとみるところの多い作品です。そして最後に和香さまの正体が明かされることで、なぜこの作品を当時作ったのかということが明らかになります。日本と言う国が日本たる根拠はいかなところにあるのか。そんなことをゲームで学べるなんて素敵な時代です。」

 

 

とまあこんなところですね。

でも残念です。いい作品が多いのにしばらく買うの自粛しなくちゃならないなんて。

 

ん?瀬戸口さんの新作発売されてる!

blacksheeptown.com

田中ロミオの新作発売されてる!


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買っちゃいましたよ。

まあこれでしばらくは・・・

瀬戸口さんの新作今度はアニプレ系のブランドで発売だと!!!!


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とまあこんな感じでした。

大体月に15000円くらいは趣味に使ってるのかな。

そういや映画見に行ったりすることもあるのでプラス2000円くらいです。というかここで書かれていないものもあるのできっともっとかかってます。

 

 

いかかでしたか。

あるZ世代は月に1万以上趣味に使っているということがわかりました。情報が多様化するなか、デジタルネイティブのZ世代。こうやって見てみるとわたしの消費はゲームのようにデジタルデータへのものが一番多くなっていますね。

しかしながらコスパを重視して、無料で楽しめるものから、フィジカルで欲しいものまでまんべんなく消費しているので意外にもデジタル一辺倒というわけではありませんでした。

 

 

みなさまの参考になれば幸いです。

 

 

それでは Z世代の代表でした。)

 

[1] 「経験的世界が自動的に理念の世界に入り込んでいくような、そのような理念の世界を構築記述するための修練が、哲学者の課題であるとすれば、哲学者は学者と芸術家の中間に位する高い存在にあることになる。芸術家は理念の世界の小さな像を描くのであるが、これを一つの比喩として描くからこそ、あらゆる時点における究極の像を描くことになるのである。学者は世界を内側から概念として分割することによって、理念の領域における世界の拡散を容易ならしめる。単なる経験論の払拭を志す点で哲学者と学者は共通点を有し、表現という課題が芸術家と哲学者を結びつける。」(ヴァルター・ベンヤミン著 川村二郎訳(1975)『ドイツ悲劇の根源』法政大学出版より) 

『文化のルーツとしての美少女ゲームと「開き直り」『ランスシリーズ』の分析(1)』

 

ヴィジュアルノベル、美少女ゲーム

簡単に言えばエロゲーの話をしたい。

エロゲーと聞くと多くのひとは戸惑い、そしてアダルトビデオや成年向きコミックのゲームバージョンだと思うことだろう。

もちろんその指摘は完全には間違ってはいないし、いわゆるポルノと呼ばれて社会的に蔑まれてしまっているジャンルに収まる作品も数多く存在する。

 

(私はポルノというジャンルを下らないものだとは思っていません。むしろポルノにはポルノにしかできない表現があり、価値のあるものだと思っています。しかし性欲というものはしばしば反社会的なものであり、暴力そのものでもあるため、公共の場で表立ってポルノを掲げようとは思いません。)

 

しかしエロゲーすべてがくだらないポルノであるなんていう指摘は大きく間違っている。

そしてエロゲーというジャンルから生まれた文化は、古き日のピンク映画など比較にならないほど大きく普及し、現代の日本文化の大きなルーツとなっているのだ。

 

 

(ピンク映画に例える人がいるが、客観的に見ても出身者の人数、経済規模、影響どれをとっても比較にならないほどエロゲーほうが大きい。ただ、エロゲー出身者は日本のオタク文化に集中しているので、文化の広さや普遍性ではピンク映画に軍配が上がるかもしれない。)

滝田洋二郎監督のwikiを見てみよう)

 

いくつか例を挙げてみよう。

例えばメイド喫茶というもの。これは『piaキャロットにようこそ』というゲームのイベントがルーツだとされている。

 

(コンシューマー版)

またツンデレという一般的に普及している言葉も、『君が望む永遠』の大空寺あゆに対して使われた言葉が普及したものだ。

 

 

具体的な作品への影響も上げておく。

誰もが知っている京都アニメーションufotableなどのアニメーション制作会社だが、両者に共通するのはエロゲーのアニメ化によって人気を博したということだ。

 

(KanonのヒロインはNHK所ジョージと共演している。)

 

(最も稼ぐコンテンツの一つであるfateエロゲーだ)

 

そして2010年代で最も人気のあるアニメーションの一つである『魔法少女まどかマギカ』や『サイコパス』などの脚本家である虚淵玄はアダルトゲームブランドであるニトロプラス所属である。

ニトロプラスはその後『仮面ライダー』や『ゴジラ』などにも関わった。女性向けであれば『刀剣乱舞』などでヒットを飛ばし、アダルトゲームブランドとしての色は薄まったが、つい最近まで『凍京NECRO』の18禁ソシャゲーを配信していたれっきとしたアダルトゲームブランドである。

(ただニトロプラスはアダルトゲーム事業とニトロオリジンに移行している。)

 

(これ地味にコンシューマーでてないよね。村正ちゃんほんま好き)

また現状のトレンドに触れるなら、有名vtuberのデザインを担当している人はほとんどがエロゲー畑出身である。


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(ゲスイ動画だが、文化に対する気持ちが伝わってくる。)

 

オタク文化以外にも目を向けてみよう。

例えば直木賞作家である桜庭一樹は18禁作品にこそ関わっていないが、アダルトゲームの続編である『EVE The Lost One』のシナリオライターであり、数多くのノベライズも行っている。

 

(また彼女が出したライトノベルで『竹田君の恋人』というものがあり、成年漫画における「淫語」の発展に大きな影響を与えたみさくらなんこつとタッグを組んでいたりする。)

 

またエロゲー出身のイラストレーターはオタク文化を通り越して、児童文学の表紙を担当するものや、ノーベル文学賞作家のコミカライズを任されるような人物までいるのだ。

 

(LO作家でもある)

 

このように見ていくと好き嫌いに問わず日本文化を語る上でエロゲーから目をそらすことは不可能であることがわかるだろう。

 

とはいえオタク文化にあまり詳しくない人たちや、オタク文化に詳しくともエロゲーに明るくない人達にとって、独特に醸成されたエロゲー文化に足を踏み入れるのは非常にハードルが高い。

現在エロゲーは古いものであればダウンロードや中古で比較的に安く手に入るが、一作品が長く負担も大きい。

また歴史が長く情報も少ないためどの作品をやればいいのかを吟味したり、ネタバレ抜きでどのような作品でどのような意義があったのかということを知ったりすることが難しい。

 

というわけで、ここでは私がプレイしてきたエロゲーの中でも、最もよかった作品をいくつかネタバレ抜きで紹介しながら、エロゲーの楽しみ方を考えてみよう。

 

  • ランスシリーズ

ハードルの高いシリーズに見えるだろう。

恐らくエロゲーの中で最も長いシリーズであり、エロでないゲームというくくりであっても、これほど同一の主人公を据えて長く続いたものはあまりないだろう。

シリーズの作品数は13だが、大筋は1~10までであり、2つはリメイク作品、一つは分岐したスピンオフ作品である。


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(少々ネタバレになるが、雰囲気や流れはこれでつかめるはずだ。)

 

本来なら発表順にプレイしていくのがいいのだろうが、最初の作品は古くきっと挫折する。

私がオススメするやり方としてはランスⅥの公式サイトにあるダイジェスト版をプレイしてから、3→4と進んでいくやり方だ。

www.alicesoft.com

4までは無料でプレイできるので、金銭的なハードルも低いというメリットもあるが、『鬼畜王ランス』というランスシリーズの世界観を知る上で最も重要なスピンオフに自然に至ることができるのもこのルートをおすすめする理由だ。

もちろん最初から『鬼畜王』からプレイするのもありだし、リメイク版の01からプレイしてもいい。

ランスシリーズは一度区切りがついているので、『RANCEⅥ』からプレイするというのもありだ。

人によっては7番目である『戦国ランス』から勧める人もいるが、戦国ものやシミュレーションゲームが好きなのであればそれもあり。

ようするに途中からでも楽しめるようになっているから、なんとなくプレイしてみるみたいな気持ちでやってみよう。

 

 

 

 

魅力

ランスシリーズの魅力は様々である。

まず1つ目として挙げられるのはエロゲー30年の歴史を体験できるということだ。

システムやグラフィックの変化に驚き、キャラクターの描かれ方などをみていくとその時代のトレンドを読み解くことができる。

 

 

2つ目に挙げられるのは世界観設定やシナリオ構成がたくみなことである。

ランスシリーズは一作目が探偵ものだったり、二作目、四作目は『インディ・ジョーンズ』のような探索ものだったりするが、大筋は様々な国の思惑が錯綜する戦記ものである。

戦記物としても征服を描いた『鬼畜王ランス』や『戦国ランス』、他国の陰謀による事変を描いた3作目、革命を描いた6作目、9作目など様々なテーマを取り扱っていて、それぞれのクオリティも高い。

伏線回収やワクワクさせる熱い展開などもこの作品にひきつけられるところである。

 

 

そして3つ目に上げられるのが正義や常識への批判精神である。

ランスシリーズのコンセプトはアンチRPGだ。RPGにおいて力を持った主人公は正義に従い、世のため人のために悪を討つというのがステレオタイプであるのだが、ランスは正義のためでなく自身の性欲のために力を使う。そこに正義などはなく、対して罪のなくとも気に食わない男を殺し、美しい女性を襲う。

ランスシリーズはプレイヤーが覆い隠している欲望をぶっちゃけた作品なのだ。

しかしランスシリーズが面白い点はただ本音を暴露したという点だけでなく、そうした率直な願望に対するカウンターを世界観に内包させたところだ。

そしてこれがランスシリーズが欲望をただ反映したポルノ作品ではなく、究極のエンターテイメントである所以なのだ。

ポルノというのは率直に欲望を掻き立てるものであり、そこに言い訳は存在しない。

つまりやりたいことがそのまま描写されているものがポルノであり、たとえ性的な欲望でなくてもポルノ的であることはできるわけである。

しかしそうした欲望をそのまま描写することは、「ご都合主義」であり陳腐なものとみなされエンターテイメント作品として成り立たない。

エンターテイメント作品とはポルノ的な精神を根源としているが、「ご都合主義」で陳腐なものにならないために、欲望を隠すためのたくさんの言い訳を内包している作品のことを指すのだ。

例えばそれは作品世界の構造がいかに緻密で作り込まれているかを示す「伏線」であったり、思い描くユートピアがいかに倫理的であるかを示す「正義」であったりする。

(そうした意味で社会派作品と呼ばれる作品は言い訳の多いポルノ作品であるということもできるだろう。)

 

言い訳が沢山あるとはいえ根源はポルノ的な欲望なのであり、エンターテイメント作品というものはそうした暴力的視点により必ず歪められている。

そしてランスシリーズという作品はそうしたエンターテイメント作品の暴力的構造をラジカルな視点で明らかにするのだ。

 

(ちょっとネタバレ。作品世界の根源に関わる記述あり。話の展開へのネタバレはなし。)

 

 

 

 

 

 

ランスシリーズの世界は神様たちが戯れに作ったものである。そしてその神様の中にもランクが存在し、世界を実際に作る神(これは原画神やシナリオ神などと設定されている。ゲームを作成したスタッフたちである。つまりランスはメタフィクションでもある。)が存在している。

そして一番偉い神様であるルドラサウムがそうした神様、つまりクリエイターに世界を作らせたわけであるのだが、彼が世界を作った動機は世界を外から苦しんでいるキャラクターたちを眺めたいというものなのである。

そしてこの傲慢な神様はもちろんプレイヤーの似姿なのであろう。

 

 

ランスシリーズはポルノ的な欲望と暴力性をぶっちゃけている作品の特質上、この作品がポルノでなくエンターテイメント作品として評価されるには、かなり説得力のある言い訳が必要であった。

そしてこの傲慢な神様は、エンターテイメント作品の根源的な構造を暴露し、反エンターテイメント的構造を取ることで究極の言い訳になる。そして逆説的にランスシリーズのエンターテイメント性に説得力が産まれるのだ。

retropc.net

(90年代までに出たランスシリーズはただでできる。詳しくはこちらへ)

 

gzdaihyoryana.hatenablog.com

 

 

エロゲー文化の最大の特徴である「開き直り」

物語の構造の暴露というのは、一般的には物語世界への同化を阻害するものである。歴史を振り返ってみると、『ドン・キホーテ』という最古の小説では騎士道物語という物語構造をパロディ化し、その時代錯誤さを暴露するというものになっている。

 

 

 

近現代に焦点を当ててみる。ベルトルト・ブレヒトの演劇理論では、感情移入を中断し、異化することにより物語構造を明らかにする。そしてそれは現実社会との相似関係を観客に思考させる叙事的演劇というものである。

 


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(メルカリのCMのBGMとしても使われている。あまり詳しくはないが、ジャズではポピュラーなテーマらしい。元ネタはブレヒトの『三文オペラ』でありこの楽し気な曲調に合わせて殺人鬼のグロテスクな行為が歌われる。このミスマッチが作品を異化し、構造を明らかにする。)

 

そしてその物語構造と相似関係というものはイデオロギーを失い日本で独自に発展してきた。例えばブレヒトに影響を受けた寺山修司は『田園に死す』において、自身が創作するものはすべて自身の体験によるものであるという「創作構造」を物語構造に持ち込んだ。

 

そしてそれを『惑星ソラリス』のような母胎的なユートピア思想に結び付けたのが押井守であり、『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』だ。

 

 

『うる星2』ではサザエさん方式で年を取らない世界をループ構造として表現し、さらにその皆が成長しない状態にとどまるのを、ヒロインラムちゃんの無意識の願望、つまり夢であると看破した。

そしてここで発見された作品の「ループ」と「誰かが想像したユートピア」という構造はこれ以降最も重要なオタク文化のキーワードになる。

そして『エヴァンゲリオン』において創作者と観客の境目があいまいになる。

エヴァ』は「創作論」としての構造を持っていたが、オタクと監督があまりに近かったために、オタクがアニメを鑑賞するという構造が、作品構造と相似関係になってしまったのだ。

エヴァンゲリオン』は一応のところ最終的には構造を暴露し作品破壊を行ったが、それは監督の意図とは逆に異化ではなく、同化の作用として働いてしまったのではないだろうか。

 

 

そしてオタク文化において、『エヴァ』とほぼ同時期に同化を目的とした作品構造の暴露が、つまり開き直りが行われていく。

そしてその代表的な作品が、今回紹介したランスなのである。

 

一応今回の捕捉として、最初期の開き直りの作品の例をいくつか挙げておこう。

 

この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』、『臭作』、『ever17』である。

 

(PC98版は恐ろしくやりにくいのでリメイク版のほうがいいかもしれない。平行世界をテーマにした作品で最も納得のいくラストをやってしまっている作品。間違いなく名作だ。)

臭作

臭作

  • エルフ
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(前半は普通の暴行ゲームだが、終盤に驚くべき事実が判明する。あの文芸部などにも影響を与えているのだろう。)

(ミステリーSF作品でメタフィクションとしても面白い。一つ言うならば、ドイツの日付ってアメリカとは違う順序で表すんだよね。アメリカの研究所設定だったら完璧だった。)

ここで上げた作品の共通点はループ構造や平行世界という概念を作中世界に持ち込み、物語構造と相似関係を作った上で開き直る点である。

 

 

(まあ一応これを挙げておく。YUNOの分析は『ポストモダン』のほうに、ループ構造の分析は『ゲーム的リアリズム』のほうにのっている。名著だとは思うけど、ループ構造の分析については批判すべき点も多い。それについては次回の『最果てのイマのほうで。)

 

その他にも元長柾木による『未来にキスを』、『フロレアール 好き好き大好き』などは認識論的なテーマから、エロゲーをプレイするということの構造を暴露する。

(皮肉と捉えることもできる。)

 

エロゲーライターからメフィスト系の作家までごった煮にした謎雑誌。西尾維新舞城王太郎、佐藤友也なども参加。)

 

これらの作品に共通するのは物語世界の肯定であり、物語世界に埋没することへの開き直りだ。そしてこの物語世界への埋没というテーマはその後のエロゲーオタク文化に引き継がれるテーマになっていくのである。

というわけで次回はこうした開き直りの前提を踏まえた上で、その物語世界に埋没することに意味を持たせた作品である『マブラブ』シリーズや、開き直りを究極まで突き詰め、前述のループ構造の欠陥を暴露した『最果てのイマ』などを紹介したいと思う。

 

(みんなロミオだとコレ上げるけど、私は完全に『イマ』派。)

 

(『進撃の巨人』の作者がファンを公言している。次回は『進撃の巨人』も少し絡めた議論をするかもしれない。)

 

 

(「開き直り」というテーマにおいて例外を挙げるとするなら、『さよならを教えて』である。この作品は徹底的にエロゲープレイヤーの暴力性を否定する。女の子に不幸にして感動するいわゆる泣きゲーと呼ばれるジャンルがあるが、『さよならを教えて』においてはその構造が自作自演であると暴露する。これは泣きゲーに関わらず、感動やカタルシス効果を狙った作品すべてに対して有効な批判精神であり、『さよならを教えて』の批評性はエロゲーの枠を超えている。しかしそんな物語世界の不幸が人工的であるということすらも開き直るのがランスシリーズであり、その開き直り力の高さ故にわたしは究極のエンターテイメントであると考えている。)

 

 

 

(『さよならを教えて』のもつ批判性は純愛物と称して悲劇をエンターテイメント化する暴力性に向いているのだ。そしてそれは泣きゲーだけには収まらない。)

 

(これは参考になる資料である。前半部分はこれを参照した。)

 

 

☆☆☆発熱文庫☆☆☆

 

数年前の話。

 

珍しくツタヤでDVDを借りた。大学から帰って来たのでテレビで見ることにする。

借りたタイトルはコレ。

 

惑星ソラリス Blu-ray

惑星ソラリス Blu-ray

  • ナタリア・ボンダルチュク
Amazon

 

惑星ソラリス

 

1970年代のソ連映画で、あのアンドレイ・タルコフスキー

2部構成の映画で3時間近くある映画。

名作とはいうけれど、結構見るのに覚悟がいる。だけど返却期日もある。早く見なきゃならないし、今日見ようということで見始めた。

うわさ通りのつわもの映画。

スローテンポな音楽と長いカット。意味がつかめない水の映像。

そして極めつけは首都高を延々と走り続けるシーンだ。タルコフスキーは未来感を演出したかったのかもしれないけれど、わたしのような東京人にとってはいつもの光景でしかない。あんまりに冗長なので頭がクラクラしてくる。つらいので主人公が宇宙に飛び立つ前に映画を止めわたしは眠りについた。


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(公式だけど、日本語字幕はない)

 

次の日朝目覚めると頭がまだクラクラする。だけど今日は大学4限だけ。そしたら午前中に後半を見てしまおう。


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結論から言うと後半は結構面白い。

ソラリスという惑星の観測衛星に到着した主人公は、前任の調査隊に声をかけようとするのだけど、みんな部屋にこもりきっている。

そしてある学者の部屋には、こんなところにいないはずの子供の影が見えたりして謎が深まっていく。

そしてなんと主人公の死んだはずの妻が出現するのだ。

よく比較される『2001』年と比べると画面的にはチープなのかもしれない。だけどこの映画のもつ幻想的な雰囲気は唯一無二。

 


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そしてあのとき、わたしはその幻想的な雰囲気にどんどん飲み込まれていく気がしたのだ。

 

ずっと何か違和感がある。頭の痛みがズンズンと増してくる。足だとか背中だとかやけに火照っている。

 

そして宇宙船が無重力になるシーン。バッハの音楽が流れながら主人公と妻が浮遊するのだが、そのころにはわたしは自分の身体がどこにあるのかも忘れ、ソラリスの宇宙に投げ出されていたような気がする。

というのもその後のシナリオの筋道は明確に思い出せないけれど、神秘体験と言えるようなものに陥っていたからだ。

 

 

あの時のイメージは言葉にできない。

素晴らしい体験だったというわけではない。かといってつらい体験だったというわけでもない。

だけど、宇宙といってもいいし、イドといってもいいし、夢といってもいいけれど、そんな大きな流れの中にいるような感じ。

 

その日、大学に行ったわたしはあまりに頭痛がひどいので学内の診療所に行った。

もしかして微熱くらいはあるかなあと思ったからだ。

 

そしたらびっくり。

なんと39.4度もあったのだ。その数字をみたわたしは漫画のように、その場にへたり込んでしまったのを今でも覚えている。

 

その日はそのまま帰って、病院でインフルエンザの検査を受けたけど陰性。

そして次の日には熱はすっかり下がって、次の週には大学にもバイトにも行けるようになった。

 

それからしばらくたってから、もう一度『ソラリス』を見てみた。

だけれど、やっぱりあの時のような感覚を感じることができなかった。

 

でももう一度あの感覚を感じてみたいと思ったわたしは、「発熱文庫」というものを作ってみた。

学校では学級文庫というものがあったけれど、それは学校側の指定する読むべき本の集まり。

「発熱文庫」は熱が出たとき読むべき作品。

 

(ホラーって人気だよね。)

文庫と言っているけれど、本に限らず映画とかも入っている。

 

熱が出て最初にやるべきことは、病院にいくこと。最近なら然るべき場所に電話すること。

でももしあなたが健康で、どうしても眠れないということがあったら、熱が出たときように用意した「発熱文庫」をぜひ思い出してほしい。

 

「発熱文庫」一覧

 

(これもよくわからないよね)

 

(『惑星ソラリス』に似てる?)

 

(高校生の時に授業中、電子辞書でよんだ。変な歌が長すぎて大変だった。)

 

(酩酊状態だとなにを口走るのだろう。)

 

(原作『夢小説』もおすすめ)

 

『Z世代の代表RYANAが『うる星やつら』を語るということ』(0)

今週のお題「SFといえば」から『うる星やつら

 

(映画やアニメという枠でなくわたしが最も好きな作品)

 

インターネットで話題になったものなのだろう。ある漫画の台詞でこのようなものがある。

 

「「「なにが嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ!!!」」」

(ちなみにこれはルフィじゃないらしい。しかし作者から『ワンピース』が好きだってことが伝わってくる。二重の意味で説得力のあるコマですね。)

 

 

私も基本的には自分の好きなことをこのブログ綴ることで、自分自身を語っているつもりなのだが、実は私の根本たる山脈についてあまり語ることができていない。

 

「好きを語る」というけれど、あまりに愛情が深すぎると扱うことも難しい。

私という人間を形作るまさに基礎そのものと言ってもいいのだろうが、あまりに膨大であるため切り口が見当たらない。

好き、まあ好き、普通に好き、どちらかというと好き程度であれば、簡単に言葉を連ね、愛の言葉をささやきながら皆さんにさらけ出すことも可能だ。

しかし好きそのものを語るのは非常に苦しいものであるということが、このテーマを扱おうということで私が気付かされた事実である。

私はこれから何度もこの作品について、好きを語ろうと思うのだが、それはもはや自らの心の奥底をさらけ出すことと同義だ。

そしてその覚悟を示すためにも、前書きとして私が『うる星やつら』をどのように語るのかという記事を残しておこうと思う。

これはこのブログの趣旨からは大きく外れる自分語りであり、ここで語られる情報はあまり有意義なものでないかもしれない。

しかし私はここでこうしたけじめをつけぬことには、その膨大な感情を整理し、切り刻んだ形で記事にするということがどうしても許せないのだ。

 

これから何回かに分けて『うる星やつら』という作品について語る。

ちなみに私は原作派でもアニメ派でもない。

そもそも『うる星やつら』は原作の中でも劇画的なタッチで、不幸な少年諸星あたるを中心とした少し不思議なオカルト小話をやっていた最初期と、『トラブルは舞い降りた」以降2年生に進級してからの「君待てども」「君去し後」などのラブコメ路線期など原作の中でもかなり色が異なる。

 

 

そしてアニメの中でも押井守をはじめとした個性豊かなクリエイターの手により、大きなアレンジが加えられているため、原作とは異なるうえに、押井期であってもドタバタ重視の初期とアバンギャルドな後期では色が大きく異なるし、やまざき以降においても、アニメ劇場版OVAでそれぞれ異なる輝きを見せている。

 

 

そして私はそうした一つの作品において非常に豊かな多様性を内包した『うる星やつら』の精神が好きなのだ。

 

私の精神そのものと言ってもいい『うる星やつら』。

 

もし気が向いたらこれから語る『うる星やつら』についての文章に目を通してみて欲しい。

 

 

『緑髪という人気キャラクターの属性、なぜ緑髪ヒロインは時代を超えて愛されるのか。』

タイトルを見て違和感を持った人も多いかもしれない。

 

なぜか巷では緑髪は不人気という偏見が蔓延しているからだ。

 

確かにプリキュアでも緑色のキャラクターは比較的少ないし、戦隊物のように五色(赤青緑黄色ピンクなど)の場合に緑色というのは目立ちにくいのは事実だ。

 

 

 

しかしそれ以外のアニメや漫画、ゲームなどでは数多くの魅力的な緑髪のキャラクターが登場している。

 

そしてそれらを俯瞰してみると緑キャラがいかにポピュラーであるかわかるはずだ。

(実は赤や青などとは比較にならないほど人気がある緑キャラ。ここで緑色の人気キャラクターをおさらいして、正しい知識を身に着けましょう。)

 

 

というわけでキャラクター紹介

 

最初に紹介するキャラクターはアニメ『うる星やつら』の看板ともいえるこのキャラ。

 

ラムちゃんだ。

 

もちろん皆さんご存じのキャラクターだろうが、実はラムちゃんは原作では緑髪ではない。

 

高橋留美子の書き下ろしイラスト(多分))

 

(緑で書かれることもある。)

 

(最近のラムちゃん。緑を主体としているが、基本的には七色)

 

原作においては七色にキラキラと光る髪という設定であったが、当時アニメ化する時にそんな髪色にするのは難しかったのか緑髪になった。

(ランちゃんなんかアニメ化でピンク髪に・・・原作だと黒塗りなのに)

しかし緑髪のイメージがやっぱり強いのでグッズなんかでも基本的には緑髪で展開されている。

 

高橋留美子は新潟出身なのにタイガースファン)

 

ラムちゃんというキャラクターほどセンセーショナルなキャラクターはいないだろう。

トラ柄のビキニに語尾に「ちゃ」をつける特徴的な口調。

80年代初頭は女性向けが中心だったコミケだが、『うる星やつら』は最初期に人気のあった男性向けコンテンツの一つだった。

 

 

コスプレ界隈の歴史もラムちゃん抜きに語ることはできないし、ラムちゃんのビジュアルが日本のオタク文化に与えた影響は図り知れない。

ラムちゃんというキャラクターは最もポピュラーなアニメのヒロインであるのは間違いないし、そんなラムちゃん一人でも緑髪は大人気属性だと断言できてしまうだろう。

 

(しかし謎多きキャラであるラムちゃんラムちゃんとは何かというのがアニメ『うる星やつら』の命題で、劇場版の2・3・4はすべてラムちゃんについての考察です。)

 

しかしこれだけでは終わらないのが緑髪属性である。

 

続いては90年代。

美少女ゲームからこのキャラクター。

 

『To Heart』からマルチである。

 

(オタマ持っているのがマルチ)

彼女のことは意外に知らない人が多いかもしれない。というか『To Heart』を知らない人もいるだろう。

というわけで『To Heart』から説明する。

90年代に大ブームを巻き起こした美少女ゲームだが、大まかな歴史をたどると、『同級生』のようなナンパゲーム、『ときめきメモリアル』のような育成ゲームという風に発

展していった。

しかし現在に至るまで最も普及したフォーマットは選択肢から分岐するノベルゲーム的なものであり、そしてその転換点とでもいえる作品が『To Heart』なのだ。

(ただ『To Heart』は思ったよりもゲーム性が高い。ヒロインととにかく会わなければならないのだが、どこにいついるかいちいち覚える必要があるし、攻略ヒロインだけでなくて、指定のヒロインの好感度が一定より低いとルートに入らなかったりする。)

 

(元々はWin95のゲームだが移植もある。)

 

そしてそんな偉大なゲーム『To Heart』だが、 ヒロインの中でも圧倒的な人気を誇っていたのがこのマルチである。

 

 

マルチ、正式名称HMX-12は家事を手伝うメイドロボットなのだが、いわゆるドジッ娘キャラである。すぐに転びそうになったり、「はわわっ」と言ってオーバーヒートしたりして家庭用ロボットとしてはポンコツだが、その愛らしさ、そして健気さが当時のオタクの心をわしづかみ、ゲーム的には後半部分にしか登場しないにも関わらず、90年代の美少女ゲームのキャラクターでも最も人気のキャラクターとなったのだ。

(「はわわ」に関しては、マルチが発祥とも言われているけれど、実は本編ではあまり言っていないらしい。同人にて広がったとのこと。詳しくは高橋龍也氏のTwitterへ)

 

 

そして彼女のメインストーリーはいわゆる「泣きゲー」と言われるジャンルのルーツの一つともいわれており、その後のオタク業界に多大な影響をもたらした。

またメイドロボットという属性に関してもその後多くのフォロワーを産み、マルチは90年代末から00年代前半にかけ(オタク文化では)最も重要なキャラともいえるかもしれない。

 

 

(ロボヒロインは当時人気のあった属性の一つ。『A・Iが止まらない』は「マンガ図書館Z」で読めるはず。)

 

(ちなみに今季アニメは葉鍵に加えて、丸戸、衣笠など有名ライターが数多くそろっていますね。)

 

そして続いては00年代。

00年代にはランカ・リーだとかCCだとか数多くの超大人気緑髪キャラが産まれたが、彼女たちを抑えて文句なしに最も人気なキャラクターはもちろん、

 

初音ミクである。

 

(青や白に近い緑だが、緑は緑なので)

 

正直彼女について、説明もいらないだろうがすこしだけ。

初音ミクヤマハの作ったボーカロイドであり、00年代後期から10年代前期にかけてはニコニコ動画を中心に、現在ではYouTubeを中心に楽曲が提供され続けている。

おそらくここ20年で生み出されたヒロインの中でも最も長い間多くの人に愛され続けているキャラクターである。数多くの企業とコラボレーションしたり、歌舞伎に出たり、なんなら今人気の邦楽ミュージシャンの多くが初音ミク出身だったりする。


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もはやオタク文化という枠を超えて、日本のポップカルチャーの中心と言っても過言ではない初音ミク。そしてそんな彼女の髪は緑だ。

やはり緑という色は人を惹きつけるなにかがあるに違いないだろう。


www.youtube.com

(今季アニメ『邪神ちゃん』三期にも登場した。)

 

そして10年代から現在にかけて、なのだが残念ながら緑髪の超有名キャラクターはいない。

とはいえ10年代からの人気キャラクターの多くは、黒髪、金髪なので仕方ない。

流石に緑ほどの人気色であっても、黒髪や金髪には層の厚さでかなわないのだ。

 

(勝てない・・・)

しかし先述の初音ミクは現在に至るまで、最も人気のキャラクターで居続け、新規のファンも増え続けているのを見ると、人々が緑を求める気持ちに変化はないのだろう。

きっともうそろそろ大人気の緑髪キャラが登場するはずだ。

 


www.youtube.com

(人気だけど、緑髪ではないんだよね。)

 

なぜ緑は不人気なのか?

 

ラムちゃんにマルチに初音ミク

これだけのキャラクターが揃っていて、なぜ緑が不人気だと言われるのか。

 

これはおそらく色相環が関係しているのかもしれない。

 

zokeifile.musabi.ac.jp

 

戦隊物的な色彩を採用する場合、採用される色は大体赤、青、黄、緑、ピンク。

この配色はバランスが取れていて、配色としては正解ではあるが、緑という色を犠牲にするものなのだ。

 

まず重要なのは彩度。

彩度とは色の三原色赤、青、黄に近ければ近いほど高くなるのだが、その名の通り鮮やかに見えるという。

 

彩度 - さいど | 武蔵野美術大学 造形ファイル

 

そのため戦隊では赤、青、黄が最もくっきりとした印象を受けるのだ。

そしてピンクだが、彩度は低いが、明度が高い。

明度とは単純化して言えば白にいかに近いかということで、白>灰色>黒という順で明度が高くなる。

 

明度 - めいど | 武蔵野美術大学 造形ファイル

(メイドじゃないよ。)

 

そして赤と白を混ぜたピンクと言うものは明度が高いので、周りの環境次第では非常に目立つ。

 

そして極めつけに問題なのは、緑という色が主役になりがちな赤の反対色であるということだ。

反対色とは色相環の正反対に位置する色のことであり、この二つを組み合わせると彩度が上がって見える。緑色のマットに赤身を置くと際立つのと同じ理屈だ。

 

(緑のおかげて赤が際立っている。おいしそう)

 

そのため緑色と並ぶと赤は際立つのだが、残念ながら緑は脇役。みんなの視線は赤ばかりにいってしまうのだ。

 

ただそれは戦隊的なカラーを用いていた場合だけの話であって、それ以外の事例には関係がない。そして工夫によって戦隊的なカラーであっても緑で人気キャラクターになるヒロインもいる。

 


www.youtube.com

(ララるん。左から二番目。『スター☆トゥインクルプリキュア』で最も人気のキャラ。彼女の色は青よりの緑。そして明度が高いので背景が暗いと際立つ。またピンクの主人公を際立たせるほどの強烈なコントラストはないため、お互い程よく目立っている。)

 

終わりに

緑髪は不人気という偏見を少しは取り除くことができただろうか。

ちなみに言うと私は緑という色が特別好きなわけではない。

基本的には好きな色は紫であり、自身の身の回りのものを紫でそろえていたりする。

そして面接で「あなたを色に例えたら?」などと聞かれたらこう答えるだろう。

「黄色です。私は異なる相手と切磋琢磨し新しいものを作り上げることが得意です。(大嘘)そして黄色という色は、赤や青という個性の強い相手と混ざりあい、オレンジや緑といった新しい色を作りだすことができます。こうした意味で私は黄色だと思います。(吐き気)」

なんの話だ。

 

(わたしは配色や色彩に関して素人なので間違ったことを言っているかもしれないです。もし間違いがあれば遠慮なく指摘してください。)

 

まあともかく緑にあまりこだわりはないのだが、明らかに偏見が蔓延っているのでこんな記事を書いてみた。

 

(『ごちうさ』では千夜ちゃんが一番好き。でも千夜ちゃんって別に緑じゃないよね。)

 

また単純に色で判断したりするのが嫌いというのもある。

 

人は十人十色だが、キャラクターだってそうである。

陰気な赤がいてもいいし、熱血な青がいたっていい。なんなら黒が闇属性である必要だってない。

どんな色であっても認め合う世の中を目指して。

 

 

それでは。

 

 

『今更『ワンピース』を12巻まで読んだ人の感想』

 

突然だが、『ワンピース』を読んでみた。

 

今更?

 

逆に読んでなかったの?

 

どういう人生していたら読まないのかわからない。

 

 

まあそうした意見はその通りであるので否定しようがない。

 

私はZ世代生まれであるから、『ワンピ』はもはや生活の一部というほど普及していた。

読んだことがなくたって、ルフィだとかチョッパーだとかのキャラは知っているし、なんなら小学生の時チョッパーのランチョンマットを使っていたくらいだ。

そんな馴染み深くてどうして読んでないんだということだが、意識的に避けていたというよりは、本当に巡り合わせが悪かっただけだ。

 

そして10年ほど、ずっと読みたい、読みたいと思っていたらいつの間にか『ワンピ』は100巻越え。買うにしては金額的にもスペース的にも大きなハードルになってしまった。

 

今回読むきっかけとなったのはこれ。

 

news.denfaminicogamer.jp

 

アプリで読めるならこれを逃すわけにはいくまい。

 

(最近、漫画の大長編化に伴って、最新話まで無料キャンペーンなどを開催してくれる出版社が増えた。とても助かる。)

読む前の印象

 

『ワンピ』と言って思い浮かぶキーワードは海賊、冒険、仲間。

私はそこから『ルパン三世』のような盗賊団ものであると推察した。

仲間と共にこの世の財宝を巡って大航海に出る。そして章のラストにはなんだかんだ理由を付けて宝は手に入らず、次の財宝を求めて新たな旅に出る。

こんなところだろうか。

(ちなみに『ワンピ』を『釣りキチ三平』のような釣り漫画だと思っていた知り合いがいた。)

 

 

とりあえず読んでみた感想

 

面白かった。

 

まずはそれを明言しておこう。

こういう王道少年漫画を読んだのは割と久しぶりで、逆に新鮮に感じる。

展開も軽妙でキャラクターも、特に敵キャラクターは魅力的。

そしてそれぞれの海賊団だけでなく、国家権力側の海軍も関わってきていて、相関図は割と複雑だが、キャラクターの印象が深いので割とスッと頭に入ってきた。

尾田栄一郎のキャラメイク能力の高さを身に沁みて感じさせられる。

 

全体的なノリは少年漫画の雰囲気で、『ドラゴンボール』だとか、『ハンターハンター』と同じように軽快なギャグと、子どもの心をつかんで離さないワクワクな世界観。

確かに子どもの時にこれを読んでいたら夢中になっていただろうなと思う。

 

筋としては思っていたような盗賊団ものではなく、むしろ悪代官物というか時代劇のような印象を受けた。

圧制に苦しむパターンもあれば、ならず者がその街の権力を超えて暴れまわるというものもある。

そしてルフィたちは『7人の侍』のようにその街の悪を仲間と一緒に倒し、悪の犠牲になったキャラクターが仲間になるというのが序盤の展開だ。

そんな時代劇と桃太郎を足したような展開だが、特にお気に入りはキャプテンクロの回。

平穏を求めるマキャベリストのクロと、それぞれでっかい夢を持っていて仲間を大切にするルフィたちのコントラストが非常に印象的だった。

 

ルフィたちの持っている目的は「海賊王」にしろ「世界一の剣豪」にしろ「世界中の海図を作る」にしても途方もない。そして仲間たちは共通して具体的なプランはなくても、それを素朴に信じることができる心の強さを持っている。

そしてルフィが決して正義の味方ではないというところも面白い。

そもそもルフィは海賊だし義賊と言うほど民に奉仕するわけでもない。

アーロン編でもルフィたちは仲間を助けるために戦っても、村人たちを助けるために動くことはあまりなかった。

こうした社会よりも仲間を大切する姿勢は不良漫画的だなと個人的には感じた。

(だからそういう人たちにも受けるのだろう。)

 

世界観は割かしシビアで理不尽が蔓延る世界ではあるが、そんな無邪気な信念を持ったキャラクターが、「現実主義者」の敵を倒していく姿は見ていて痛快で、子どもたちに夢を与えるにはもってこいの漫画であると感じた。

今後の展開予想。

と言ってもまだまだ12巻でこれからどうなるかなど全く見当がつかない。

ただ一番気になるのはシャンクス周りの展開だ。

シャンクスはルフィが幼少期に多大な影響を受け、憧れ、生き様を学んだ男。

父と言うよりは兄のような存在だが、少年漫画においてそうしたキャラクターが再登場する時は主人公が一皮むけるイベントが起こるはずだ。

(『ハンターハンター』のカイトや『からくりサーカス』の辰巳ポジションだとわたしは見た。)

そしてシャンクスを超えた時、本当の意味で海賊王を目指す意味を知るのだろう。

(適当な憶測です。)

(少年漫画では一番好き)

 

とまあこんな感じだが、なんにせよ面白かったのは事実。

がんばって期間中に読み切ってやろうと思う。

 

それでは。

 

 

 

(こんな本がでるのもわかる。)

『ロリータという幻想、フランス・ギャルから『レオン』 20世紀中盤以降のファム・ファタル(3)』

 

世界で最もセンセーショナルな少女、ロリータ。

 

ロリータという言葉は日本においては無垢な少女やロココ風のフリフリの可愛い衣装を指すことも多いが、本来のロリータにそのような意味はない。

早熟で大人の男を魅惑するファム・ファタルというイメージが世界では一般的なのだ。

 

gzdaihyoryana.hatenablog.com

 

(ここで『ロリータ』の紹介をしています。未読の人はぜひ)

 

gzdaihyoryana.hatenablog.com

(これがファム・ファタル二回目)

 

 

『ロリータ』が出版された時、それは英語で書かれた小説だったのにも関わらず、最も熱狂した国はフランスであった。

 

そして特に声高に肯定したのは最もリベラルで先進的だったフランスの論壇。

あのジャン・ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーボワール達だ。

 

特にボーボワールがロリータ的な魅力を持ったブリジット・バルドーを絶賛したことから、フランスのロリータブームは性解放のシンボルとして使われることになったのだ。

 

(ただ、ボーボワールはロリータを引用してはいるけれど、年齢は指定していない。そもそもこの時代のフランスでも男を破滅させる小悪魔的なヒロインが流行っていた。)

 

(『素直な悪女』ブリジット・バルドーマリリン・モンローに並ぶセックスシンボルに押し上げた作品)

 

(『気狂いピエロ』みんな大好きゴダールの作品。これも年下美女に中年が翻弄されるお話。エリート中年のエゴイズムがキモい映画。内容云々よりもレイアウトが好き。)

 

 

そしてなんといってもフランスのロリータと言ったら外せないのはこの男。

セルジュ・ゲンスブールだ。

ja.wikipedia.org

日本だとフレンチロリータと呼ばれるフランスのアイドル歌手の楽曲を数多く提供した男だ。


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(「さよならを教えて」原曲はこんな悲しそうな雰囲気の曲だが、戸川純が歌うとなぜかストーカーソングに。もちろんあのゲームのタイトルもここからとられています。ちなみにこのヴァージョンもカバーで全く違う雰囲気の英語の歌が本当の原曲)

 

アイドル史上、絶対に外せない人物であるが、人格的にやばい人である。

ホイットニー・ヒューストンに”I want to fuck you”と言ったとか。)

 

彼が提供した楽曲は名曲がそろっていて、日本人にも数多くの人にカバーされている。そしてその中で最も有名なのはコレだ。


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この「夢見るシャンソン人形」はユーロビジョンでグランプリを取り、ロックンロールが大流行している中でも高い評価を得た曲だ。

 

日本でもかなりポピュラーな楽曲だろう。

 

ただ日本語ではソフトな翻訳がされているのをご存じだろうか。

そもそもタイトルの“Poupée de cire, poupée de son”は蠟人形、音の出る人形という意味である。

そして原語の歌詞を見ると、大した人生経験もないアイドルが恋について歌わされることを皮肉る内容となっているのだ。

 

そんなすこし込み入った歌詞を作るゲンスブールだが、彼がフランス・ギャルに提供したこの曲。これが非常にまずい。


www.youtube.com

このPVを見ればある程度察することができるだろう。

明らかにあれを意識した棒状の物体がゆらゆらと揺れ、ロリポップを煽情的に咥える少女たち。

これは本当にひどい。

 

この曲のタイトルは“Les Sucettes”。ロリポップを表す言葉だがもちろん隠語である。

 

この曲について、フランス・ギャルは当時あんまりよくわからずに歌わされていたとのことで、意味を理解してからは歌うのを嫌がったという。

ちなみに邦題は「アニーとボンボン」である。ボンボンなのは日本人の頭である。

 

 

そしてそれから数十年たって、00年代に入ってもそうしたフレンチロリータの伝統は続いていた。

その中でも最も成功して今でも活躍中なのか彼女。

アリゼだ。


www.youtube.com

 

デビュー曲“Moi Lolita”はその名の通りロリータをモチーフにした楽曲。

ロリータの冒頭の部分をずっとリフレインさせたような歌詞だが、当時まだ16歳のアリゼの声は魅惑的な雰囲気を醸し出し、フランス的なロリータをよく表している楽曲だ。

 


www.youtube.com

 

題名“J'en ai marre!”はうんざり、疲れたという意味。

しかし邦題では「恋するアリゼ」などというふざけたタイトルになっている。

この曲は日本でもリリースされた。そしてブルボンのCMで使用され、アリゼが笑っていいともにも出演。

そんな日本でも発売されたこの曲。この曲も歌詞もなかなかエロテックである。

泡風呂の中で跳ねる金魚についての歌のようだが、きっと察しのいい皆さんならお分かりだろう。

(そんな曲がお菓子のCMって・・・)

 

そんなロリータの典型ともいえるアイドルの彼女だが、シャイで問題を起こすこともないらしい。

今では肩にセーラームーンの刺青を入れて、妖艶なお姉さんキャラで売り出している。(フランス人のセンスは謎である。)

 

そしてこのフランスのロリータ文化というものは映画のコンテクストにも数多く現れる。

数多くの名作があるが、その中でも最も有名で、今でも人気の作品と言えばコレ。

 

『レオン』である。

 

監督のリュック・ベッソンはフランス出身。元々は『グラン・ブルー』のようなフランス風の映画を撮っていたのだ。

フリーダイビングという世界でも有数の頭のおかしいスポーツを題材にした映画。実在の人物であるジャック・マイヨールとエンゾ・モリナーリを元に作ってはいるけど、かなり脚色されている。まだ存命だった2人をかってに死んだことにしたり、海と一体化したり好き放題やっている作品。ただ名作でフォローワーも多い。きたがわ翔の『B.Bフィッシュ』や題名だけだけど『ぐらんぶる』など。)

 

しかし女殺し屋を題材にした『ニキータ』からアクション映画に方向転換。その後は『トランスポーター』や『フィフス・エレメント』などのアクション映画を撮る監督になった。

(そして主演女優に手を出すというゴダールトリュフォーからの伝統を守っている監督でもある。)

そして『レオン』はそんなリュック・ベッソンのアクション映画初期の作品。

内容は説明不要だと思うので省くが、あるシーンが物議をかもし、マチルダ役のナタリー・ポートマンからも「不適切」であると言われているのだ。

www.elle.com

(レオンについての記事① ナタリー・ポートマンの発言)

 

問題になったのはマチルダがマドンナやマリリン・モンローなどのセックスシンボルに扮してレオンを誘惑するシーンだ。過酷な状況で育ち、早熟であると言っても彼女はまだ12歳(当時のナタリー)。これは明らかにロリータ的であると言ってもいいだろう。

(そのほかにも明らかにロリータなシーンがある。12歳くらいの少女と一緒のベッドで寝るのも変だし、レオンにキスを迫るシーンにしろ、「女の子の初体験は大切なの」というセリフにしてもエロチックに描かれる。)


www.youtube.com

 

そしてこういうシーンを踏まえると、レオンのほうもマチルダにたいしてただならぬ視線でみているように見えてくる。

 

例えばマチルダが店の前で少年とタバコを吸いながら会話していたのを遮って、「変な奴としゃべるな」と言ったシーン。

これは親心的な心配から言ったのか、それとも独占欲からなのか?

答えは、ぜひもう一度見てご自身で判断していただこう。

(『レオン』にはオリジナル版と完全版がある。完全版のほうは不適切とされカットされたマチルダの描写が収録されている。見比べてみても面白いはずだ。)

www.newsweekjapan.jp

(レオンについての記事②)

 

こうしたロリータ的なキャラクターはフランスを中心に数多く生まれ、そして最近でも早熟な少女というアイコンへの信仰は根強いように思える。

 

例えばこの少女の名前はティラーヌ・ブロンド―。

 

当時9歳にしてVOGUEの表紙を飾ったモデルである。

gigazine.net

(9歳には見えない・・・)

 

ただ性的すぎると物議を醸し、フランスで論争になったとか。

ティラーヌ本人はいまだにモデルを続けているし、自身をモデルへの道にみちびいた両親に対して今のところは不満を訴えてはいない。

 

しかし、子どもに対して、ロリータ的な魅力、具体的には性的なファム・ファタル幻想を伴ったキャラクターを演じさせるということは悲劇をもたらすことも多い。

(もちろん先述のフランス・ギャルにしろ、ナタリー・ポートマンにしろ、悲劇である)

 

そしてそうしたロリータを演じさせた母への告発映画が『ヴィオレッタ』だ。

ヴィオレッタ(これは監督自身である)をヌードやエロチィックな恰好をさせることで、人気を得た母。そして母の要求は次第にエスカレートしていく。母を否定できないヴィオレッタ。

そして学校でいじめを受けるようになって・・・という内容である。


www.youtube.com

この映画は児童虐待、そしてロリータを求めるフランス社会の歪みをよく表した映画だ。

ポルノと芸術の境目はどこにあるのか。ロリータへの憧れがどのような事態を招いたのか。子供にとって親はどのような存在か。そうしたことについて考えさせるきっかけを与えてくれるだろう。

(ただこの映画自体が10歳の女の子にヴィオレッタを演じさせている時点で・・・)

 

ここまでフランスのロリータについてみてきたがいかがだっただろか。ロリータというファム・ファタルへの理解が少しは深まったのではないだろうか。

 

news.yahoo.co.jp

(サルトルフーコー、ドゥールズ、ボーボワール、バルトなどが未成年との性的関係を擁護したという事実。)

 

さて少しだけまだ続けたいと思う。

 

日本についてだ。

もちろん日本でのロリータという言葉は少し意味が異なる。

どちらかと言うと少女文化をルーツにしていて、吾妻ひでおを中心としたロリコン漫画家によって普及したイメージである。

ja.wikipedia.org

不思議の国のアリス』のような華憐で純粋なイメージ。ファム・ファタルや小悪魔と言うよりは、天使であり、エロチィックというよりはかわいいである。

 

(『私に天使が舞い降りた』直球なタイトルだ)

 

(『苺ましまろ』「かわいいは正義」というキャッチコピーを産み出した名作)

 

ただそんな価値観が支配的な日本においてもフレンチロリータ的な作品は存在する。代表的なのはコレ

 

こどものじかん』だろう。

霜降りの粗品とはじめしゃちょーが認めている時点で国民的な作品と言ってもいいだろう。)

 

この作品、ただのポルノとみなされがちであるが名作である。

 

まずアニメの脚本はあの岡田麿里。少女期の性欲を書かせたらアニメ界ではピカ一の脚本家であるが、原点はこの作品にあると私は見ている。

(『ユリイカ』で岡田麿里特集がありちらっと確認したが、『こどものじかん』への言及はなかった。謎ですね。)

 

(ちなみに私は卒業年から見ると、りんと同じ年に産まれている。同じ世代からの視点としては、当時の小学校の雰囲気をよく表していて、ノスタルジックな気持ちに浸ることができた。)

 

あらすじはこのようなものだ。

主人公の青木は新任教師。小学三年生を受け持つことになるが、そこには前任をいじめてやめさせた九重りんという少女が在籍していた。

りんに好かれた青木は(時には性的に)からかわれながらも、受け持っている小学生たちとともに成長していく。

 

この作品はコミックハイ!という男性向け少女漫画というわけのわからないコンセプトの雑誌で連載されたものである。

コミックハイ!は女子高生がヒロインというコンセプトの雑誌である。しかし一番人気は『こどものじかん』だった。)

 

そのためか『こどものじかん』も数々のお色気シーンが盛り込まれているとはいえ、少女漫画的なエッセンス満載の作品なのである。

 

コマ割りや絵柄も少女漫画的であるが、何といってもりんの心理描写は他のロリコン作品とはくらべものにならないほど豊か。そして少女の生々しい性欲やグロテスクな一面も詳細に描かれるのだ。

 

(この巻である)

 

小学生の少女が自身に性的な魅力があることを自覚するということ。

こうした事例は確かにあるのだろうが、一般的にすることはできない。

そのため誰かがそうしたアイコンを演じるということは悲劇を招くことにもなりかねない。

www.excite.co.jp

 

しかしそうしたものが存在する以上それを表現する必要があるのかもしれない。

(もちろんそれを担っているのが小説である。しかし本を読む人口は減る一方だ。)

 

 

しかしフランスで現れたロリータのほとんどは幻想だった。

そもそも原作『ロリータ』の作中ですら実在するか怪しいのがロリータである

 

数多くの人がロリータを誤解してきた。

 

そして戦前のファム・ファタル幻想の名残ともいえるロリータたちはいまだに存在している。

 

我々はいかにそれに付き合っていくのか。考えてみるのも面白いだろう。

 

 

ファム・ファタルシリーズはこれで終わりです。もしまだ未読なら、他の記事もぜひ読んでみてください。)

 

では。

 

おつロリータですわ~