Z世代の代表 作品紹介

一号とRYANAがZ世代ならではの視点でさまざまな作品を紹介します。

2022年:ベスト作品

(2022年ももうおしまいとのことで、今回は今年どんな作品が良かったか振り帰っちゃいましょう)

『2022年振り返りダイアログ』

Z世代の代表の忘年会

 

RY「今年もおしまいだそうで」

一号「世間的には年末だって話だけど、わたしにはどうだっていいかな。だって宇宙の法則として、太陽系第三惑星の北半球の日照時間が短くなって、温度が下がる時期に一年が始まって、そして終わるってわけでもないわけだし、それにきっかり138億年前に宇宙が始まったわけでもあるまいし。」

RY「なんだそりゃ?みんながみんな新年だって思い込んでるんだからそれでいいじゃないの。お正月にはおもち食べたり、意味もなくTV見たり、いつもは会わないような親戚と会ったり一年に一度くらいそんなときがあったっていいと思うな。それに初詣の雰囲気が結構いい。」

一号「あんた騒ぐの好きだもんね。W杯とかいつもサッカー見ないくせに熱心に見ちゃったり。」

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RY「いいんだよ4年に一回しかないんだから。W杯のおかげでハントケとかボルヘスとか読めたし。」

一号「4年に一回ってオリンピックとかでも騒ぎまわるじゃん。結局毎年なんらかの国際大会で騒ぎまわってる感じがする……」

 

今年感激した映画

一号「今年見た中だとよかったのは、『気狂いピエロ』かな。内容はきもいおっさんのロマンチシズムって感じだったけれど、色彩がとってもきれいだった。ミュージカル風なのもいい。」

RY「一号『LALALAND』とかも好きだもんな。ミュージカル系とかがやっぱいいのか。こっちは『ゆきゆきて神軍』が今年のベスト。」

一号「たしかにいいねあれも。奥田さんが完全におかしな人なんだけど、なんか惹かれてしまう。絶対に関わりたくはないけど。」

RY「末路はちょっとかわいそうだよね。殺人未遂事件起こして出所した後にあれだもん」

一号「この映画をもてはやしていたサブカル層がいかに彼を理解できていなかったかよくわかる、まあだれも理解できない人だけど」

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RY「新作だったら『マーヴェリック』はやっぱよかったね。」

一号「『ゆきゆきて』が良かったと言いながら、『トップ・ガン』並べるの?」

RY「まあそれは別腹ということで」

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一号「そういえばわたしの「サイエントロジー」の記事結構伸びてるみたい。」

RY「サイエントロジーねえ。結構やばい宗教なんだっけ。なんでトムはそんなんにはまっちゃったのやら」

一号「トムにもいろいろ事情があるみたいだけれど……でも人間って結局信仰を持っちゃう生き物なのかも?だってあんただって年末と正月を信じちゃってるでしょ。みんながそう言ってたらそうだって思い込んじゃうものなんだよ。」

RY「正月を信じてるって……」

一号「だって正月の存在なんて科学的に証明できないじゃん」

RY「……」

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今年良かった本

RY『本なら間違いなく、ボルヘスの『伝奇集』。ありがとうメッシ。」

一号「アルゼンチンが優勝したから読んだんだっけ?」

RY「そうそう。でも今年は円城塔の『道化師の蝶』とかも読んでててね、こういうシステマチックなカフカみたいなジャンルを探してたんだよ。それで出会ってしまったのがボルヘス。ありがとうマルティネス。すまんエンバペ。」

一号「ふーん。わたし的には今年面白かったのは『遠野物語』とか『金枝編』とかかな。」

 

RY「文化人類学やら民俗学的な作品だね。そういえば昔から民話みたいなの好きだったもんな、小泉八雲とか」

一号「特に『遠野物語』は面白かった。実際に遠野にも行ったし。」

RY「河童いた?」

一号「河童はいなかったけど、熊に会ったよ。」

RY「普通に怖い!」

一号「がおー!!」

今年面白かった漫画

RY「漫画かあ。今年あんま読まなかったな。でも『ヤマタイカ』は面白かったよ。」

一号「民俗学が関係するんだっけ?」

RY「そうそう。なんかSFってよりはオカルトって感じで、真に受けるような作品でもないんだろうけど、それでも地質学だとか文献学だとかいろんな視点で日本という国についての見解を出してきていて面白かった。」

一号「普通に面白そう。わたしはそうだなあ、あんまないんだけど『ソラニン』でも挙げておこうかな」

RY「えっ、『ソラニン』?なんか合わなそう。」

一号「どういう意味?だけど結構面白かったよ。浅野いにおはファンタジーよりこういう方がずっといい。大人になりきれない青年たちの葛藤はみてて切なくて、でも自殺したところは爆笑しちゃった。」

RY「人格を疑う発言。だけどあれ笑えるよね。自嘲的な笑いなのかもだけど。」

一号「そういえば読んでないんだけど、これ面白そうだった。」

RY「この漫画がすごいとかいうやつに選ばれてたやつね。」

一号「まあそれはどうでもいいんだけど、モンゴル帝国下のイスラム奴隷って主人公なのがすごく気になった。これは来年には絶対よもう。」

RY「来年はもっと漫画読む年にしたいな。」

 

今年良かったその他

一号

今年はモンティパイソンにはまったりして、結構見た。

これで好きな芸人誰という難しい質問に、胸張ってモンティパイソンって答えられるようになりました。

いままではラーメンズと答えて微妙な雰囲気を作っていましたが、モンティパイソンはなんてったって世界的なスター。たぶんタモリの30倍くらい知名度があります。

映画監督としては北野武と比べてテリー・ギリアムなら引けを取りません。

しらないって言われても大丈夫。後でそいつにスパムメールを沢山送り付けてやれば解決です。

RYANA

今年はvisualnovelの年でした。

総プレイ数はなんと30本超え!

正直総プレイ時間と総額は考えたくない……

とりあえずよかった三本は『ランス10』と『MUSICUS!』そして『最果てのイマ』。

『ランス10』は総プレイ時間150時間くらいですかね。ゲームあんま好きじゃないのにまあまあやり込みました。

あの長大なランスシリーズの集大成としてものすごくきれいにまとまっていました。

私が好きなライターである瀬戸口廉也氏。

『MUSICUS』はその中でも最高傑作だと思います。

これについても詳しく書きたいなとかおもっていたのに、いつの間にやらずいぶん時間がたってしまいました。もう一度プレイしようかな。

ロミオ最高傑作。というか全オタク作品の中でも最高傑作。このブログも最果てのイマをプレイして開設されました。

しかしあまりに密度が濃いのでなかなか取り上げられない……

 

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最後に

RY「それにしても、ブログ開設してからもう半年。思ったよりも人が来てくれててびっくりな状況。」

一号「9月まではわたしの「サイエントロジー」が一番読まれてたんだけどねえ。いまは『うる星やつら』記事が一番だっけ」

RY「そうそう、Z世代の代表は『うる星やつら』専門ブログってくらい『うる星』独走状態。」

一号「たしかにあんたのうる星愛は異常だし、それはそれでいいんでけど、なんか悔しい。」

RY「それにしても『うる星』新作見れるのうれしすぎる。そういえば中学生の時3つ願いがあったんだよね」

一号「なにそれ」

RY「えっと『デビルマン』のハルマゲドンがアニメ化されることと、『ゲッターロボ・サーガ』がアニメ化されることと、うる星がパズドラとコラボすること。これ友達に話したらそんなん叶うワケないって笑われたの覚えてる。」

一号「ふーん。それ叶ったの?」

RY「なんと去年の内に全部叶ってしまったんよ。10年も経たないうちに。意外に世の中いいことがあるもんだななんて思ってたら、今度はうる星リメイクが来た。これはもうこの世は理想をはるかに超えたパラダイスだと断言してもいい。」

一号「それは言い過ぎじゃないの……」

RY「いいや、間違いなく断言できる。そして意外に他力本願な願いは叶う。ということで来年は『MUSICUS!』と『終のステラ』のアニメ化を願います。あと『安達としまむら』の二期か実写ドラマとかもあったらうれしいな。あとそれと……」

一号「一個くらい叶うといいね。」

RY「それでは来年への他力本願も済ませたところで、また来年お会いしましょう。」

一号「良いお年を~」

 

(Z世代の代表のブログにお付き合いいただきありがとうございました。まだまだZ世代の代表ブログは続きます。来年にはまた全然違う角度から様々な作品を紹介していきたいと考えております。

よりよい記事を提供していこうと思いますので、どうかよろしくお願いします。

ちなみに2022年の記事は合計45本でした。

ちなみにわたし2号による今年のベスト記事はこちら。

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ファムファタルについての連載の最終章。ロリータについての文化史がわりとまとまってる記事です。初期の記事ですがわりと気に入っています。

 

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一号ちゃんならこれ結構好き。一号ちゃん基本適当に記事書いてるけど、これだけはちょっと凝ってるのがいいですね。

とまあこんな感じです。

では来年もまたお会いしましょう。


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☆☆☆アバター:ウェイ・オブ・ザ・ウォーター攻略法 お手洗いにはいつ行けばいいのか☆☆☆

アバター』の新作を見てきました。


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とにかく映像、映像、映像。

 

って感じ。

映像は今まで見てきた映画のレベルをはるかに超え、CG技術もついにここまで来たのかと感激すること間違いなしです。

映画館で見ていると、パンドラ(星の名前)のジャングルや海、そしてそこにうごめく生物たちが本当に存在しているかのように思えてきます。

ドキュメンタリー撮影班を宇宙に派遣して、実際に撮影してきたんじゃないのと疑いたくなるレベル。

映像を見るためだけでも、劇場に行く価値のある作品なのですが、みなさんが足を運ぶにあたってネックになるのはやはりその上映時間。

192分ってやっぱ長すぎますよね。

それに続編であるのも大きなハードルになっているのかもしれません。

(前作も長いし、Disney+でしか配信してないし……)

 

ということで今回はまだ『アバター:ウェイ・オブ・ザ・ウォーター』を見ていない人に向けて、これだけ抑えておけば気楽に見に行くことができるよというポイントをお伝えいたします。

 

前作のあらすじ(『アバター』前作ネタバレあり)

アバター』は2009年に上映されたCG映像革命を起こした大傑作。

興行収入ランキングはなんと世界一位。ミーハーなみなさんとしては必ず知っておかねばならない作品です。

(つまり売上厨を『アバター』棒でたたけば、確実に黙らせることができる)

 

アバター』の世界観設定

ストーリーはとってもシンプルですが、設定は独特なのでまずはここから。

とりあえず押さえておきたい設定はこんな感じ。

ポイント

・地球は人類によって資源が枯渇しかけている。

・大気は人類にとって有害ながら、資源の豊富なパンドラという衛星を発見。

・パンドラには先住民であるナヴィたちが暮らしていた。

・資源を欲する人類としてはナヴィたちは邪魔である

・人類は当初ナヴィたちをコミュニケーションを介して「友好的」に立ち退かせるため、英語教育など人類の文化を彼らに教えた。何人かのナヴィが英語を話せるのはそのためである。

・しかしながら作戦は失敗し、英語学校は閉鎖。

・そして莫大な予算をかけて、人類とナヴィの遺伝子を混合した生命体に意識を憑依させる「アバター作戦」をスタートさせる。アバターであれば大気の問題をクリアし、またナヴィに似せられたその身体は「友好的」にナヴィたちと交渉することを可能にすると、人類たちは考えていた。

 

そして『アバター』は、急死した双子の兄の代わりに、「アバター作戦」に参加することになった主人公ジェイクの物語です。

アバター (吹替版)

アバター (吹替版)

  • サム・ワーシント
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作戦中に遭難したジェイクは、ナヴィの族長の娘であるネイティリに助けられます。

そして彼女やナヴィの文化をよりよく知っていくにつれて、人類のやり方に疑問を抱くようになるのです。

そしてクオリッチ大佐率いる強硬派と対立し、ナヴィたちと共に人類と戦います。

その結果として人類は敗北し、多くの人類は地球に帰っていきました。

そして最後にはジェイクはエイワの力によって、人間の身体を捨て、ナヴィとして生まれ変わります。

ポイント

ナヴィたちはエイワという惑星全体の生命の調和を司る神を信仰している。

・ナヴィたちは馬のような生物パリ―や翼をもった生物イクランと言った生物と繋がる(触角のような器官で物理的にもつながる)ことで、信頼関係を築き、背中に乗り走ったり飛んだりすることができる。

・トルークと言うのはドラゴンのような生物で、それに乗ったものはトルーク・マクトとしてナヴィたちの中で尊敬される。主人公は終盤トルーク・マクトとしてナヴィたちを束ねて人類軍を打倒す。

 

とこんなところでしょう。

シナリオは『アラビアのロレンス』から続く、伝統的な白人酋長モノです。

しかしながらやっぱり映像と世界観設定は特筆したものです。

やっぱり見る価値ありな作品です。時間があればぜひ見てから劇場に向かいましょう。

 

アバター:ウェイ・オブ・ザ・ウォーター』

ネタバレなし感想 お手洗いにはいつ行けばいいのか

映画と言ってもストーリーを楽しむというよりは、水族館だとかプラネタリウムだとかそういった楽しみかたをすることをおすすめしたい映画です。

シナリオははっきり言って可もなく不可もなくと言ったレベルです。

しかしそんな欠点はどうでもいいというレベルで映像がすごい。

プロットやらのあらさがしをして、見るのはもったいないと思います。

しかしとにかく長い映画なので、お手洗いが気になるでしょう。

でも大丈夫です。途中でトイレに行っても問題ない映画です。

狙い目は人類のパート。森や海があんまり映っていないパートでササっと済ませてしまいましょう。

そこはみなくてもこの映画は楽しめます。

 

またちょっとコアな楽しみ方ですが、キャメロン監督の集大成としてみるととっても面白いです。

今までの作品の要素が沢山入っているんですよ。

間違いなくターミネーターぽいキャラクターが出てくる。

絶対3ではT800ポジションで出てくるキャラクターがいたりして。

まあ宇宙船とか、パワードスーツとかがどう見ても。屈強な女性がパワードスーツで出てきたらそれは『エイリアン2』です。

ネタバレになりそうだけど・・・

そしてなんとあのキャメロン監督の最高傑作、『殺人魚フライングキラー』要素まである!!

感激です。本当に。


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とにかく劇場で見る価値ありの作品です。

おすすめは3DやIMAXで鑑賞すること

むしろこの映画をそれで見なければ何の映画をIMAXで見るのでしょう。

とにかくきれいな映像を見たい、映像に圧倒されたいというひとは必ず劇場で見ましょう。

 

 

 

『W杯優勝したのでアルゼンチンの代表的サッカ、ボルヘスを読んでみた』

FIFAワールドカップ2022決勝、やべえ試合でした。


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前半メッシとディ・マリアが2点を先取。

2-0の危険なスコアとは言え、フランスはシュートすらなかなか打てないし、アルゼンチン勝利はもう確実と思っていたら、後半エムバペが2回もネットを揺らして延長戦へ。


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延長戦でもオフサイドギリギリの攻防でメッシが3点目を獲得。

これで決まったと思いきや、まさかのハンドでフランスはPK。

エムバペはこれでハットトリック

 

そしてPK戦に突入。

 

最後の最後まで気の抜けない展開でしたが、最終的にはアルゼンチンの勝利。

 

メッシは神になりました。


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そんな神メッシと神の子であるマラドーナを輩出したアルゼンチン。

実はそんな神サッカー選手だけでなく、神作家も生み出しているということをご存知でえしょうか。

 

今回はそんなアルゼンチンの大作家ボルヘスについての紹介です。

 

ホルヘ・ルイス・ボルヘスは1899年にアルゼンチンに生まれた作家です。

結構最近まで生きていて、1986年にスイスにて亡くなりました。

作風はというと、わたしもにわかなので何とも言えませんが、幻想的でそれでもどこか秩序だっている不思議な魅力のある作風です。

作品は『伝奇集』のような短編集、『幻獣辞典』のような百科事典風のもの、また詩やエッセイなど多岐にわたっています。

 

今回はアルゼンチン優勝記念に読んだ『伝奇集』を紹介したいとおもいます。

1944年に出版された短編集ですが、今読んでもあまり古さを感じることのない作品です。

「八岐の園」と称された8篇の「伝奇集」と10篇の「工匠集」から構成されています。

基本的にはそれぞれ独立した短編ではあるのですが、うっすらと繋がっているので、通読することをおすすめしたいです。

特に気に入ったのは「トレーン、ウクバール、オルビス、ティルティウス」「バベルの図書館」「八岐の園」「隠れた奇跡」。

解説できるほど、読み込んでいないのでなんとなくの概観を書いてみたいと思います。

 

「トレーン、ウクバール、オルビス、ティルティウス」

友人と議論していた時に聞いた聞き覚えのない場所、人物、文化。それがウクバールというものなのですが、友人はその出典が『アングロ・アメリカ百科事典』だと言う。

しかしウクバールという単語は探しても見当たらない。でっち上げかと思っていたら、項目はなかったけれど確かに記述は存在していたのです。

その記述はウクバールの文学の舞台である架空の土地トレーンについて、そしてそのトレーンという架空の概念が徐々に主人公のいる現実を侵食していくのです。

 

非常に興味深いお話でした。

架空の概念がいつの間にかまわりに偏在していて、最後には「世界はトレーンになるだろう」という展開。

恐ろしくもあるお話ですけれども、わたしはこのお話をコメディとして読んでしまいます。こんなバカげた、そして魅力的なおはなしはなかなかないでしょう。

なんかコントとかにしたら面白そうなお話です。

わたしも世界をトレーンしてみたいですね。

 

「バベルの図書館」

もしかするとボルヘスの短編の中でも最も有名な作品なのではないでしょうか。

六角形のすべての単語のパターンが保存された広大な図書館。

しかし人間がいくら努力してもそのすべてを把握することはできません。

なんとなくというか、確実にカフカの『城』の影響下にあるお話でしょう。

いますぐすべてを手に入れたいと願うお話はゲーテの『ファウスト』を典型として数多く語られてきましたが、20世紀になるとその不可能性にアンビバレントな希望を求めだします。それは自然科学の発達ゆえのことなのでしょうか。

 

「八岐の園」

「伝奇集」の最後に位置しているお話。

今となっては非常に普及した可能性世界についてのパイオニア的作品です。

あなたのご先祖は均一で絶対的な時間というものを信じてはいなかった。時間の無限の系列を、すなわち分岐し、収斂し、並行する時間のめまぐるしく拡散する網目を信じていたのです。たがいに接近し、分岐し、交錯する、あるいは永久にすれ違いで終わる時間のこの網は、あらゆる可能性をはらんでいます。

たぶんSFアニメを見ていたら100回くらいは聞く、2015年以降の作品でこんな凡庸な設定を引っ張り出して来たらあくびが出るような、だいたい似非量子力学とセットになっていそうなそんな語りですけれど、これが1941年の作品だということに驚かされます。

とはいえ可能性世界については、ムージルの可能性感覚など似たような発想は戦前からあるので、めちゃくちゃ革新的とは言えないかもです。

しかしながらSFアニメの設定みたいな語りを1941年時点で成し遂げているということは注目に値するでしょう。

 

「隠れた奇跡」

舞台はプラハ

死刑を宣告された作家フラディークは死への恐怖と戯曲『仇敵たち』が未完であるという心残りの胸に抱きながら死刑の時を待ちます。

そして死刑執行のその日、彼は夢の中で「そなたの仕事のための時間は許された」と告げられました。彼を貫く銃弾が発射された瞬間、物理的時間は停止して一年かけて戯曲を完成させます。そして完成した瞬間、銃弾が動き始め彼は撃ち抜かれるのです。

非常に美しい作品です。走馬灯だとか死の直前に様々なイメージが脳によぎるという発想はありますが、物理的時間が停止するという発想は非常に映画的で、その時の映像がありありと目の前に浮かんできます。

 

 

というわけでボルヘスの『伝奇集』でした。

わたしは南米文学というものに対して本当に無知で、実は今回初めて触れました。

マジックリアリズムと言うのでしょうか、サイエンスフィクションとファンタジーの中間のような魔術的で即物的な独特の世界観。

圧倒的な文献学的知識に裏打ちされた、虚構。

時折見せる南米の情熱的な雰囲気。

まだボルヘスしか読んだことありませんが、とても気に入りました。

こんな素晴らしい作品がこの世にあるだなんて、世界とはすばらしいものです。

ありがとう。世界

ありがとう。きっかけを作ってくれたワールドカップ

そしてありがとう。メッシ


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そんな感じです。W杯の決勝と同じくらいエキサイティングな読書体験でした。

南米のあの情熱的な雰囲気はアルゼンチン代表にも、本作にも共通する気も。

「結末」や「南部」という話を読むと、マルティネスのやんちゃもなんとなく南米精神として消化できる気もします。

イエローカードが14枚出るような試合はどうかと思うけど。)

次はガルシア・マルケスでも読んでみようかな。

それではまた会いましょう。

 

アディオス!!!!

 

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(日本代表負けちゃったのめちゃくちゃ悔しい!!だけどクロアチア強かった。そしてモドリッチかっこよすぎだ。3位とかすごすぎ。次は日本もベスト4行って欲しいな)

 

 

 

 

 

『W杯日本代表ベスト8を祈願!!『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』ノーベル文学賞作品を紹介』

(本当にすげえです。わたしはオリンピックと世界陸上世界水泳アジア大会とそしてW杯は基本見る、スポーツ大会スーパーエンジョイ勢なんですけど、その中でも日本対スペインは最も感激した試合の一つになりました。今日はクロアチア戦、ぜひ打ち破ってベスト8に進出して欲しいですね。)

 

現在行われているFIFAW杯2022。

日本代表は強豪ドイツに劇的勝利を見せるも、コスタリカに敗退。

GL突破にはまたもや強豪スペイン相手にジャイアントキリングをかまさなければならないという絶望的な状況であったものの、まさかの二度目の大勝利。

はっきり言って漫画でもありえんような展開に、風邪気味でのどを痛めていた私は早朝から大声を出して歓喜し、咳がさらに止まらなくなるという事態に。

とにかく私の感激はそこまですごかったということだ。


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(堂安のこのシュートやべです。ゴラッソ、ごらっそ、golazoです)


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(神アシストからの、逆転ゴール。VARを取り入れた本大会の象徴的なゴールになるでしょう。)

もちろん活躍しているのは日本代表だけではない。本大会はアジアやアフリカの代表が、ヨーロッパや南米などの強豪国に勝利するようなゲームも多い。本当に素晴らしい。やはり強豪を倒すというシナリオはみていて気持ちの良いものだ。

 

そんなこんなで物凄い盛り上がりを見せているW杯。

ということで今回は文学界のバロンドールこと、ノーベル文学賞受賞作家の作品を紹介したい。

 

『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』 ペーター・ハントケ

かなり有名な小説なので既知の方も多いだろう。

この小説を知らないという方でも、ペーター・ハントケについてはノーベル文学賞を受賞しているので、おそらくご存じなのではないだろうか。

 

しかし一応知らない人のために解説する。

ハントケオーストリアの作家である。

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しかし作家といっても小説だけでなく、戯曲だとか映画脚本だとか詩だとか様々な作品に関わっている。

例えばセンセーションを起こしたとされる『観客罵倒』という作品。


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役者が観客を罵倒するという作品だが、観客を役者が罵倒することで第四の壁(これはもともとは演劇用語であり、それを破るという発想はブレヒトなどのものである。)を取り払うだけでなく、立場すらも逆転させる。非常にユニークな発想だ。

 

 

ちなみに筒井康隆の『読者罵倒』はここから着想を得たものである。

「自分と交接れる小説を読もうとしながらも自分では書くことのできない無学文盲の手前が、そもそも読む小説を選ぶことのできる生き物かどうか鏡を見てよく考えろこの糞袋。ははあ。自分のことではないと思っているな。おのれより低級な読者のことであろうと安心しているのだろうが、あいにくおのれのことだ。」

筒井康隆(2002)『自薦短編集3⃣ パロディ編 日本以外全部沈没徳間書店

 

 

ちなみに田中ロミオも「ユーザー罵倒」というパロディをしている

本当は羨ましいと感じながらもそれを反発という幼稚な感情へと屈折させ、流行に操られ見た目ばかりを気にする劣る人間と見下していたのだろうが。

まさに笑止千万失笑苦笑。

流行に乗らぬ自分は格好いいとなどと思っていたか?

田中ロミオ(2015) 田中ロミオの世相を斬らない烈』 フロンティアワークス

 

 

このように意外なところまでもその影響が垣間見えるのは流石ノーベル文学賞作家といったところだろう。

 

そして彼のなかでも最も有名な仕事は何といっても『ベルリン天使の詩』である。

ただ歴史を傍観者として見てきた天使が、サーカスの女性に恋をして人間になるという物語。ヴェム・ヴェンダースによるこの映画はあまりにも有名だが、冒頭から最後まで、この作品を彩る「子供が子供だったとき」(als das Kind Kind war)はハントケによる詩だ。


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(ちなみにハントケはユーゴ内戦でセルビアを擁護した人物であります。わたしが産まれる前の出来事ではありますが、NATOによる空爆を批判することはともかく、やはりコソボ系の人たちにとっては許されない姿勢だったことは想像に難くないです。そこらへんを注意して読まなければならない作家であることはここでしっかり明記しておきましょう。)

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このようにいろいろなジャンルで大きな足跡を残したハントケだが、やはり主著というと、今回紹介する『不安』である。

 

『不安』はどのような作品なのか。小説について語る時にはあらすじからジャンルを特定し、そのジャンルの雰囲気を伝えることが一番手っ取り早いのだが、本作ではそれは難しい。

一応あらすじはこうだ。

ゴールキーパーだった男が、ある日勤め先の工場の現場監督の動作を「解雇通告」だと受け取り、仕事をやめる。無職になったかれは映画を見て過ごすが、そこで出会ったチケット売りの女性と仲良くなり、一夜を共にする。

しかし翌日特に理由もないのに彼女を殺し、主人公は旅行に出かける。

自身の起こした事件の報道を見ながら旅を続けるのだ。

 

このあらすじだけ見ると本作はサスペンス逃避行のように思われるかもしれない。

しかし読んでみるとまったくそうではないということがわかるだろう。

サスペンスにしろミステリーにしろ、基本的にはなぜ人を殺したのか、どのように人を殺したのかという因果関係が作品の中で最も重要視される。

そしてそのいきさつが少しずつ明らかになることで、読者はサスペンス(緊張)から解放され、不安から解き放たれる。

しかしこの小説はその逆を志向している。

PKがどちらの方向にけられるのかという不安。因果関係が堂々巡りになるゴールキーパー的不安を描こうとしたのが本作品なのだ。

殺人事件の動機や仕掛けが未知であるという不安がサスペンス的不安であるならば、本小説はゴールキーパー的不安というものが、中心に描かれている。

ペナルティキックが宣せられた。すべての見物人がゴールの後ろへと走る。≪ゴールキーパーは、敵がどっちのコーナーへキックするのだろうかを考慮します。≫とブロッホが言った。≪もしキーパーが、キックをする男を知っていれば、相手が大体どっちのコーナーをえらぶか分かります。場合によってはペナルティキックをするほうも、ゴールキーパーがそう考えていることを計算に入れます。ですからゴールキーパーは、今日ボールがひょっとすると他のコーナーに来ることを、更に考慮します。しかしキックする方がやはりゴールキーパーと同じことを考え、やはりいつものコーナーへキックするとしたら、どうなるでしょう?等々限りがありません。

(ペーター・ハントケ(2020)羽白幸雄訳『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』三修社 P171より)

そして現象と因果関係の乖離というゴールキーパー的不安は言語と現象の不一致という点にも表れてくる。

例えば冒頭のこのシーン。

機械組み立て工ヨーゼフ・ブロッホ、むかしはサッカーのゴールキーパーとして鳴らした男だが、彼が或る朝仕事に出てゆくと、きみはくびだよと、告げられた。

というより実は、折から労働者たちが宿泊している現場小屋の戸口に彼が姿を見せたとき、ただ現場監督が軽食から目をあげたという事実を、ブロッホはそのような通告と解し、建築現場を立ち去ったのである。

ハントケ(2020)『不安』P5より)

冒頭から起こる主人公と他人との行為の意義の取違い。そして本作はこのような現象と意義を取り違えて語るということで、因果関係やそれを説明する言語というものの不確定さを浮き彫りにする。

そして終盤になると、主人公は隣室のいびきからなにか言葉を聞き出そうとしていく。言語という音の震えが、意味のない音であるとされているいびきと同じモノであるかのように捉えられ、最後には言葉はただの記号となって、認識もすべてただあるがままのものとして認識する。

ハントケ(2020)『不安』P160より)

(これを引用しなければ意味ないのに。どうやって出すんだこの記号?💺)

現象や事象には因果関係があり、物理学を始めとした自然科学では、再現性というものが重視される。そしてその自然科学的な方法論は工学だけでなく、ありとあらゆるジャンルに応用され、そうした経験論は現代において最も信仰されている方法論であることは間違いないだろう。

ミステリーやサスペンスというジャンルもそうした時代背景のもとに生まれたものであり、やはり現代においても最もポピュラーなジャンルである。

しかし因果関係を語るには言語を用いるほかにない。しかしその言語は本当に正確なものなのだろうか。

こうしたことはハントケの産まれたオーストリアでは近代と共に問いかけられてきた問題であった。言語懐疑というものである。

もっとも有名なのはやはりホーフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』だろう。

つまり、いただいたお手紙が私の目の前にあるのですが、その文面に書かれているタイトルがじっとわたしをよそよそしく冷たく見つめているのです。そうなのです。そのタイトルを見ても私はすぐに、誰もが知っているひとつの像が単語の組み合わせによって結ばれたもの、とは把握できず、単語を一語ずつしか理解できなかったのです。

(ホーフマンスタール(2019)丘沢静也訳 『チャンドス卿の手紙/アンドレアス』光文社)

そしてハントケはそうした言語懐疑をさらにつきつめ、現象と言語の乖離という不安を本作で描き切ったのだ。

そしてその不安をゴールキーパー的であると分析したハントケの発想はやはり、ノーベル文学賞にふさわしい慧眼であろう。

 

終わりに

非常に癖の強い本作だが、やはりノーベル文学賞作家なだけあってとても価値のある読書体験だった。ぜひ皆さんも手に取って格闘することをおすすめしたい。

ゴールキーパー的な不安というのは、我々にも少しは思い当たる節があるだろう。


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右にいくか左にいくか。それとも転がしてくるのか。


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さらには予想もつかないところから、ミドルシュートが飛んでくることだってある。

観客は基本的に球やFWの動きばかりに注目するが、その視界のそとでゴールキーパーは常にどこから球が飛んでくるかいろいろな予想を脳内で繰り広げながら、セーブするためのポジションを探っている。

 

ハントケの本書は最初こそはサッカーにあんまり関係がないように思われたが、ゴールキーパーという役割が作品の根幹としてたしかに存在している。

本書を読んだ後に試合を見れば、キーパーに注目すること間違いなしだ。


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私も今夜は権田に注目してクロアチア戦を楽しむことにしよう。

 

 

日本の優勝を祈願しながら……

 

それでは!!!

 

 

 

 

2022年11月、人類が80億を超えたから、今から世界は田中ロミオ記念日

アッサラームアライクム

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80億超えたらしいです。早いですね。

わたしが小さい時なんて、人類60億なんて歌われていたのにもう80億。


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まあ世界中に虫は人間の何万倍もいるわけですし、蟻ですら2京匹もいるんで、人類なんて本当に虫けら以下の存在なのは間違いないわけです。

しかし我々人類は霊長類(笑)なので、せいぜいチンパンジー程度の個体数と比べなくてはフェアではないかもしれません。

そう考えるとチンパンジーはせいぜい10数万、つまりチンパンジーに比べ人類は8万倍も増殖しています。やはり異常な生き物であることには変わりないのでしょう。

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とはいえ人類の異常発生は別に驚くべきことでもなく、割と予想されてきたことだったりします。しかし異常は異常、やっぱりその裏にSF的ななにかを感じなくもないのが、大量発生と共に産まれたサイエンス・フィクションのロジックであると言えます。

 

というわけで『ソイレント・グリーン』の紹介といかないのが本ブログのひねくれたところ。

なぜかここで田中ロミオをおすすめするのがZ世代の代表です。

 

ところで田中ロミオと言えば、なにを思い浮かべるのでしょうか。

これは結構人によってまちまちで、例えば妹ブーム黎明期に妹を守ってあげたいと思った『加奈 いもうと』派のお兄ちゃんたち、『家族計画』をプレイして軽快なギャグと強く生きる高屋敷家を見て、疑似家族を疑似体験したロリコンたち、『CROSS†CHANNEL』に入り込み過ぎて、毒電波をネットに発信する社会不適合者たち、コンプレックス学園ラブコメのパイオニアである『AURA』をバイブルとする元中二病患者たち、鍵っこなのになぜか『Rewrite』が好きなシンプルな変わり者たち、そして『人類が衰退しました』に魅せられたちょっとマイナー志向なアニメオタクもとい妖精さんたち。

もちろん『星空☆ぷらねっと』が一番好きだという人もいるでしょうが、メインはこんな感じでしょう。

それにしてもここまでいろいろな人種に様々な角度からマイナーながらも愛された作家はあんまりいないかもしれません。

そしてその発掘したジャンルの広さ、そしてフォロワーの多さから、わたしは勝手に00年代オタク文化の裏ボスだと思っています。

 

 

 

彼の魅力は何といってもその文章。あの軽快なリズム感と、圧倒的教養に裏打ちされたウィットはだれも真似することができません。

 

そんな田中ロミオですが人類80億記念でおすすめしたいのはやっぱりこれ、『最果てのイマ

人類が80億を超えると何が起こるのか。

そんなことを資源問題というよりも、メディア論や他者論、社会思想、情報科学の観点から拾い上げたSFです。

とはいえこのゲーム。

魅力を説明してしまうと、かなりネタバレになってしまうんです。

こんな人におすすめということでキーワードだけ。

マクルーハンのメディア論とドーキンスのような機械的な人類史観。

社会契約と文化人類学、物語の主人公論。

物語の語りとループものの欠点をついたノベルゲームのメタ構造。

平たく内容を説明しますと、前半部分はジュブナイルアドベンチャーの名に恥じない、近未来青春SF。思春期らしい他者との接し方だとか、距離感だとかそういったことをテーマに、没落していく国のアンニュイな雰囲気を漂わせながら進む青少年たちの聖域についてのお話。

後半部分は戦争編です。戦争といっても敵はきっと皆さんの予想もつかないものです。しかし馴染み深いものでもあります。多くのひとはそれに苦しめられたり、押しつぶされそうになったこともあるようなものでしょう。

そしてネットによって世界の距離が狭まり、80億の人類がお互い簡単につながれるようになった時代に何がおこったのか。非常に示唆的な展開があなたを待っているはずです。

シナリオはゲームとして破格の難解さを誇ります。

絶対に初見はなんのこっちゃってなります。

難解な点としては、単純にSFレベルが高いこと。これはある程度の生物学、情報科学精神分析についてのSF的知識がなくてはついていけません。造語も多いです。しかし造語は恣意的なものではなく、かなりロジカルに作られているので、よく考えて取り組みましょう。

次に難解なのはプロット。あんまりここで説明するとネタバレになるので、抽象度マックスで例えると、『君の名は』のプロットを100倍くらい難解にした感じです。

そしてなんといっても厄介なのは、SF的な設定を社会的な現状であると誤読させてくる語りです。信頼できない語り手であることはもちろん、かなりバイアスのかかった語りなので、整理するのがかなり難しいです。

 

とまあこんな難解な作品ですが間違いなく名作。

わたしはあんまり作品の良し悪しについてこの場で言いたくはないのですが、美少女ゲームの中で最も優れている作品は何かと問われれば、間違いなく『最果てのイマ』と答えます。

時点で『マブラヴ』か『ランスシリーズ』です。

 

 

ちなみに『最果てのイマ』をプレイした後におすすめしたいのが、『人類は衰退しました』。

田中ロミオの人類史観を知ってから本書を熟読すると、この作中が文化についての本であるとよくわかるでしょう。

 

別のベクトルですが『終のステラ』も彼の人類史観が今はやりのAI史観などと重なっていい味を出しています。ぜひアニメ化して欲しい作品です。

 

 

というわけで今回は田中ロミオと『最果てのイマ』についてでした。

最果てのイマ』は過小評価されすぎな作品だとわたしは思います。

この機会にぜひ手にとってやってみましょう。

注意点としましては、PC版のオリジナルもフルボイス版もWindows10で動きません。XPで起動するか、おとなしくDMMでcompleteを買ってください。

わたしはXP搭載のパソコンをわざわざ買いました。

意外に重宝しています。

そんな感じで今回は終わりです。それではまた来月お会いしましょう。

 

マアッサラーマ!!!

 

 

『世界を破滅させたいという願い 世界を破壊する作品たち ゴジラから天気の子まで』

こどもじみた考えである。

非倫理的で不謹慎な、道徳的に許されない想いである。

だが我々がうっすらと自覚している願い。自殺とも自己嫌悪とも違う不愉快な破滅願望。

破壊衝動。

全人類に対する良心の自由に保障された殺害予告。

エゴイスティックな、とはいえ自我でなく無意識の解放ともいえるその願い。

そんな願望に駆られて、我々はしばしばメトロポリス破壊の夢を見る。

都市の壊滅。社会の混乱。世界の終わり。

 

破壊というテーマはあらゆるジャンル、数多くのメディアにおいて描かれてきた。

時には関東大震災東日本大震災などの災害のメタファーとして、時には東京大空襲原子爆弾への恨みとして、テロリズムとして、そして多くの作品にはエゴイスティックな破壊衝動が裏に隠されている。

 

街を壊したい。

諸星大二郎の短編である『影の街』という作品はこどものもの頃のそうした妄想をよく表した作品だ。こどもの妄想であればかなり納得のいくテーマだが、このこどもじみた発想はあらゆる作品に隠されていると聞いたらすこし戸惑うかもしれない。

 

今回はそんな破壊衝動をテーマにいくつかの作品をみていこう。

 

1・メタファーとしての破壊と純粋な破壊の楽しみ

ところで東京は幾度となく破壊されてきた都市だ。

だが、大きな力によって破壊されても、そこから再生というポジティブな感情を沸き立たせるのが日本的文化ともいえるだろう。

それは大火事ですべてを失ったはずの日本人たちの超然とした態度に驚かされた明治期のお雇い外国人ベルツが指摘していることだ。

 

 

そうした再生のイメージを伴った破壊は皆の好むテーマである。

今風の言葉で言えばグレートリセット願望がエンターテイメントに投射されているのであろうが、これは戦前に幾度と行われた破壊、そして戦後の復興、高度経済成長という日本経済の歴史の似姿でもあることは指摘するまでもないだろう。

戦後の復興期を描いた作品を上げていけばキリがないが、近年にて破壊と再生のテーマをうまくエンターテイメントに昇華させた作品としては、やはり『シン・ゴジラ』を挙げなくてはなるまい。

 

この作品はあきらかに東日本大震災福島第一原発の大事故が作品に投影されている。

そしてそれは第五福竜丸事件とそして東京大空襲、原爆投下というイメージが初代ゴジラにおいて重ね合わされていたこととほとんど同じ構造である。

ゴジラ

ゴジラ

  • 宝田 明
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だが『ゴジラ』の公開は1954年。すでに戦争が終わって10年近く経っている。

たしかに戦争体験者にとってゴジラは核やアメリカ軍のメタファーとして映っただろう。

しかし戦後世代には?

ゴジラシリーズがその後メインターゲットにしていく子供世代にはどんな風に映ったのだろうか。

この問いについての答えは、その後のシリーズの展開を見ていけばわかるだろう。

ゴジラは2作目以降、戦争のメタファーなどではなくなっていく。

二作目『ゴジラの逆襲』ではアンギラスという敵怪獣が登場し、ゴジラとダイナミックな戦いを繰り広げる。

そして決定的だったのが3作目である『キングコング対ゴジラ』だ。

 

ゴジラ映画史上最大の観客を動員した本作はゴジラをプロレス的に消費するという方向に決定付けた。

そして作中で行われる破壊には意味などない。ただ破壊があるだけだ。

都市を舞台とした巨大なプロレスリングで怪獣たちが大暴れする。こどもたちは観客として巨大な怪獣たちが暴れまわるのを見てワクワクする。

そしてゴジラは破壊の化身から段々と破壊から人間を守る守護神として描き方が変化していく。そして傾向の強い時代をファンたちはヒーローゴジラと呼んでいる。

 

2・破壊に感情移入するための正義

そうしたゴジラから少し遅れて登場した『ウルトラマン』がゴジラの人気を奪って行ったことにはいくつかの理由があるように思える。

 

単純に毎週怪獣が暴れるのを見ることができるということが理由の一つである。

しかしウルトラマンが人間の形から変身するということ、そして変身後も人型でプロレスをするということも支持された理由なのではないだろうか。

人型であるということは模倣することが容易であるということである。

そして変身という儀式をすれば、簡単にウルトラマンになりきることが可能だ。

こどもたちはウルトラマンになりきって巨大化して、町を破壊しながら人々を守る。

正義のヒーローとは正義や仲間を脅かすものを暴力によって叩き潰すもののことを言う。

ヒーローモノのエンターテイメントは虚構の中で敵を想定することで、それを殲滅する必要を演出し、その暴力行為によって破壊衝動を満たす。

その暴力への欲望の理由付けとして正義や仲間というキーワードが利用されているだけなのだ。

そしてこれはプロレスの構造と、いやスポーツの構造とあまり変わらない。

倫理的な目線で見れば、平和の中、わざわざ争い、相手を倒す必要など本来はない。

スポーツにしろヒーローものにしろ、暴力衝動の発散である。そして視聴者が当事者に感情移入をすることでその多幸感を疑似体験する。

スポーツにおいてはルールそして観客、ヒーローものにおいては正義という建前があるために、暴力はスーパーエゴの抑圧を受けず、違和感なく受け入れられ、破壊願望が満たされることとなる。

 

 

3・ただ破壊を望む力 正義なき破壊

だが、建前が通用しなくなったらどうなのだろう。

正義に先立ち力がある。正義なき破壊衝動がある。

そうしたことを最初期に描いた作家が永井豪だ。

 

マジンガーZ』において主人公は巨大ロボットという力を手に入れる。

神にも悪魔にもなれる力だと作中で言及されている。これは正義や悪に先立ち力があるということである。

マジンガーZ』においては正義の心をもち、悪と戦う正義の方向へその力が選択される。

しかし同著者の『魔王ダンテ』そして『デビルマン』においては正義の建前がゆらいでいる。

 

魔王ダンテ』という作品では神と悪魔というイメージが逆転している。

本作では悪魔と呼ばれる種族は地球の先住民であり、神は侵略者だ。

『ダンテ』においては初めに力をただ破壊衝動のみとして描く。

そこに正義はなく、人類を虐殺する、町を破壊する力としてのみ描かれる。

これは明らかに悪の力。悪魔になってしまった力だ。

しかし真相が明らかになるとそれまでの虐殺行為が正義としての意味を持つことになる。現人類とは侵略者である神の分身であったためだ。

『ダンテ』は正義と悪を単純に逆転させた作品だ。悪魔が正義の位置に置かれ、人類と神が悪に堕とされる。

 

しかし『デビルマン』はそこまで単純ではない。

 

デビルマン』においてもデーモンは先住民として描かれる。

太古の昔、デーモンは神に醜いという理由で滅ぼされそうになる。

一度目の神の侵攻を撃退した後、デーモンたちは力を蓄えるために地下に潜り眠りにつくが、起きたときには地球は人間で溢れかえっていたのである。

そしてデーモンたちは神と同じ過ちを犯す。人類たちを駆除し滅びへと導こうとするのだ。

人類たちもデーモンや神と同じことをする。デーモンを恐れた人類は人間でもデーモンでもないデビルマンという半端モノたちを駆除しようとする。

主人公である不動明は最初は人類のために戦っていた。しかしデビルマンが人類と敵対し始めたときからその正義は揺らぎ始める。

親しい仲間が人類の疑心暗鬼に殺されていくなか、最後にヒロインである美樹だけは守ろうと決意する。この時点で正義という建前は消え去っている。

そして美樹が暴徒に惨殺されたと知り、不動明は人類を見限り暴徒を焼き尽くすのである。

人類滅亡後、デビルマンとデーモンはまた殺し合い、そして全滅する。

最後には神の軍団が天から降りてきて、すべてを無に帰すということがほのめかされて終わる。

デビルマン』に正義はない。単純な正悪の逆転などではなく、すべての存在のエゴイスティックな破壊があっただけなのだ。

 

デビルマン以降、永井豪は単純な破壊衝動というテーマを取り扱うことになる。

それは元祖セカイ系ともいえるかもしれない『バイオレンスジャック』でもいいし、『凄ノ王』でもいい。そこでは性欲や暴力などあらゆる欲望と渾然一体となった破壊衝動が描かれる。

特に『凄ノ王』のラストはただすべてが破壊されるという正義も悪もない純粋な破壊だ。

 

これは打ち切りのようにも見えるかもしれないが、加筆されたバージョンにおいてもラストは変わらないままだ。

永井豪は破壊衝動を、善も悪もないただの破壊を描きたかったのだ。

 

永井豪は破壊という点では最も極端な作家といえるかもしれない。しかし彼のような正義なき破壊という衝動は倫理的な障壁に阻まれながらも、多くの作品に現れているように見える。

 

ちなみに正義の暴走による破壊というものもある。

それは例えば『伝説の巨人イデオン』に代表されるだろう。

 

この作品はエウリピデス的なデウスエクスマキナを逆転させ、抽象な正義の力が最後すべてを吹き飛ばす。構造的には『デビルマン』において神の軍勢がすべてを無に帰さんとしたのと同じだが、こちらはそこまで醜悪なものとして描かれていない。

ここからは正義なき破壊衝動がどのような建前を隠れみのにしてきたのかを見ていこう。

 

4・豊かな東京を破壊する

80年代も後半になると、日本は世界的にも最も豊かな国になる。

ものであふれ返った東京は地上でもっとも栄えた地区となった。

なんでもあるメトロポリス東京。それを冒頭から吹っ飛ばした作品が、みなさんご存じの『AKIRA』だ。

AKIRA』において「新型爆弾」によって破壊された東京のイメージ。それは『ブレードランナー』のようないかにもオリエンタリズムに満ちたサイバーパンクな世界観なわけだが、そこに60年代的な要素を数多く読み取ることができる。

学生運動のような古臭いデモ隊、薄汚い長屋、そしてなんといってもオリンピック。

もちろんそれらを大友克洋ユートピアとして描いているわけではないが、80年代の都市開発をすべて破壊した末に生まれたのが昭和のみすぼらしい風景だったという感性は注目に値する。

そしてそうした80年代に失われていく昭和というイメージから、軽薄な近代化への怒り、そして破壊を試みたのが『劇場版パトレイバー』だ。

 

『劇場版パトレイバー』では天才プログラマーである帆場暎一は東京を破壊しようと試みる。破壊の動機となるのは社会への怒りだ。

彼は戦後の街並みを破壊し、都市開発を進めることへの怒り、開発によって自身の故郷を奪われることへの悲しみから、町を破壊しようと試みる。

良き社会を作るという再生の意味はここにはない。正義でも悪でもなく怒りからくる破壊衝動はただ現代社会そのものにむけられるのだ。

 

5・破壊の対象の再抽象化

こうした怒りと破壊。現代社会への破壊衝動は様々な作品で描かれることとなる。それが時には地球全体であったり、増えすぎた人類であったり、社会の欺瞞だったりする。

そしてその衝動が社会性をラジカルに突き詰めた結果として、また永井豪的な純粋な破壊衝動へと戻っていく。

 

新世紀エヴァンゲリオン』においてはすべての問題を人間同士の不理解に求め、その障壁となる細胞膜を破壊することで人類を補完しようと試みる。

最後には細胞膜を認め他者と生きることを選択するわけだが、結局世界は破滅する。

主人公の個人的な人間不信がそのまま世界にまで拡張した結果、人類を滅亡させるのだ。

 

そして90年代後半以降、世界の破滅を描いた、通称セカイ系の作品群が数多く登場することになる。この時代の破壊衝動の面白いところは、感情移入される主人公よりもヒロインが力を持っているところだ。

そのため主人公の意志が直接世界を滅ぼす暴力でないところが、永井豪エヴァと大きく異なるところである。主人公が激情に駆られても、彼らには何の力もない。

こうした作品ではしばしば世界か彼女かを選択させられるが、感情に反する結果になることも多い。

そして世界が滅んだり、彼女が犠牲になることで世界が救われたりする。

 

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どちらにせよ、そうした作品ではセンチメンタルな喪失感が描かれ、平均的な青春小説のように主人公の成長をもって幕を閉じたり、滅んだ世界での死にゆく二人が描かれる。

(永井豪エッセンスを小学生女子でやりました。)

セカイ系におけるヒロインか世界かという選択。

これは結局、破壊衝動による人類の殲滅という欲望と倫理観による公共への奉仕の選択である。

その選択を迫られる時、作中ではヒロインを犠牲にする世界への怒りが描写され、読者はその感情を自身の世界への怒りとリンクさせる。

社会の理不尽で完璧な正論は守るべき理念であるが、そうした完璧な正義は我々のもつ衝動を制限する。こうした作品において、我々の持つ漠然とした社会への怒りと不満はヒロインの悲劇というわかりやすいメディアによって具現化され、我々は世界をすんなり憎むことが可能になる。

(本来心に秘めている世界への怒りが、作品内の極端な状況で浮かび上がり、破壊衝動が明るみにでると言った方がいいか。)

そしてその抽象的な怒りが破壊の動機になる。

しかし明るみに出た衝動は多くの作品においては臨界寸前まで膨らむが、不発のまま終わっていく。

それは『イリヤ』のようにすれ違いから機能不全に陥ったり、『エルフェンリート』のように衝動を抑え込み世界を選択することもある。抽象的な怒りはスーパーエゴの抑圧の前に散ってしまうのだ。

 

 

6・『天気の子』 具体的な怒りと抽象的な対象

だがそうした破壊衝動を肯定してしまう作品もある。

例えば新海誠の『天気の子』などはその典型例だ。

 

天気の子

天気の子

  • 醍醐虎汰朗
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この作品では主人公が東京を破滅させヒロインを選ぶ。だが表層的でチープな恋愛感情の裏側にはやはり破壊衝動がある。

ここで描かれる東京の破壊は喪失としてではない。

その選択には『劇場版パトレイバー』と似た、現代社会への具体的な怒りが込められているからだ。彼の怒りは東京の理不尽さ、冷たさに向かっている。家出少年や身元を亡くした少女たちには都心は非常に厳しい環境である。

彼らは東京を破壊するが、それは代償などではない。ただ怒りと破壊衝動の結果として破壊されたのだ。

イリヤ』とは違い、大人も主人公の選択に手を貸す。彼らもまた現代社会への怒りと破壊衝動をむき出しに破壊に加担するのだ。

 

エゴイスティックな破壊というテーマは『新劇場版ヱヴァンゲリヲン破』も同じだが、それは崩壊後を描く『Q』において糾弾され、否定される。

破壊の結末をグロテスクに描いたのは『進撃の巨人』だ。

仲間を守るために全世界を滅ぼそうとする。そしてそれは仲間たちによって否定される。そしてその行為は不信感を世界に植え付け、結局争いはなくならない。

破壊行為は完全に否定される。

 

だが『天気の子』ではそうではない。

埋め立て前の東京を持ち出し、もともとは海だったと開き直る。

我々を苦しめる近代文明を具体例に描くことで倫理を否定し、破壊は肯定される。

破壊衝動をもった我々はその結果に満足する。

エンターテイメントとして、ユートピアとして素晴らしいポルノグラフィーだ。

 

 

雫

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7・破壊衝動と付き合う

だがそれは虚構でしかない。世界を破滅させる力の選択権など本当は存在しない。

あったとしてもそんな力を持つことができるのは、ロシアの大統領とアメリカの大統領くらいのものである。

衝動はあっても我々は無力であり、世界を破滅させることも、その衝動を抑えて世界を救うことを選択するなんてことも起こりえない。

もしくはテロリストになり、衝動を解消したとしてもそこに残るのは悲しい結末でしかない。

 

自身の肥大しきった妄想と現実をどう折り合いをつけるか。そうしたテーマを扱ったのが『AURA』や『素晴らしき日々』だろう。

 

これらの作品は虚構や衝動と向き合いながらも、虚構や衝動を捨てるという極論には至らない。

倫理による衝動の抑圧でもなく、衝動の解放でもない。

地味に無能に生きていくための第三の道を示してくれるのだ。我々の破壊衝動は社会を壊すことはできないが、人に迷惑くらいならかけることができてしまう。そしてむき出しになればたちまち社会正義の名の下に裁かれる悲しい運命でありながら、腹の下から湧き上がってくる厄介なものだ。

しかし衝動の抑圧はおおくのストレスを伴う。

そして抑圧以外の向き合いかたをこうした作品が考えさせてくれるのだ。

 

 

終わりに

我々に潜む破壊衝動。口では否定しても多くのひとにはそうした願望が眠っている。

世界を破滅させる作品はそうした欲望を満たすとともに、我々の中の危うさに目を向けるよい機会となる。

ニュースで現実の都市が廃墟になっている様をみても、胸糞悪くなるだけである。

しかし現実感覚の裏側にはある人々の破壊への渇望があるのだろう。

だから作品内で世界が破滅するとスッとする。知っている都市が爆破されるのをみると嬉しく思う。だがそれは虚構の中だけの話ということにしなければならない。

 

☆☆☆オタクの制服JK信仰を叩き切る!!女子高生が登場しない作品☆☆☆

お久しぶりです。

一号です。

わたしにしては珍しく今回はアニメ・漫画の話題について。

正直に言いましょう。オタク批判なんてあんまりしたくないんですけれど、日本のアニメ・漫画のヒロインってJK多すぎません?

JKじゃなくても大体ヒロインは12~18歳くらいの間であることが多いのは確かです。

中には17歳が女性で最も魅力的な年齢だなんて乱暴な言説もあったりして、本当になにもわかってないなって思います。

それに何が気に入らないかって、そのうちの結構な割合でセーラー服やらブレザーやら学校の制服を着てることです

わたしにとって制服なんて女性の魅力を半減させる衣装でしかないです。

性格や生い立ち、自己評価や彼女たちが目指しているスタイルの奥深さを表すファッションの要素が、制服みたいな画一的なイメージに押し込められていては魅力半減です。

制服少女を選択する意味がわからないです。

そもそも10代中盤の女の子ばかり登場するっていうのも多様性がない。

思春期を終えたくらいの年頃の女の子のキャラクターだけでは、扱えないテーマも沢山あります。

人生は思ったより長いわけですし、それなら100歳の老女だって魔女としてでなくヒロインとして登場することだってあっていいはずです。

 

 

とはいえ、漫画やアニメの主な視聴者は10代から30代くらいまで。さすがに100歳のヒロインではいろいろと難しいこともあるはずです。

それにやっぱりヒロインには「萌え」要素が必要であるというのは、致し方ないことであるとわたしは考えます。

それはドラマに北村匠海吉沢亮が登場するのと同じことでしょう。

ただ30代も見ているということなら、だいたいアラサーくらいまでのヒロインには萌えることが可能なはずですし、大人がJKに萌えるよりも断然健全だと思われます。

 

ということで、今回は制服JKが登場しない作品を紹介していきたいと思います。

(今回は『雪女』のような官能とエロスの蠱惑的な魅力のある作品は対象外です。なんかオタク向けって感じじゃないので。)

 

SPY×FAMILY』

最近のアニメの唯一の希望と思いきや、『チェンソーマン』も制服JK出てこないですね。

ただ『チェンソ』はあんま年齢の概念関係ない作品なので今回は除外させていただきます。(たぶんパワーちゃんは人間換算だと18くらいなんじゃないかな)

SPY』のヒロインはみなさんご存じヨルさん。年齢はなんと27歳!

いいですね。スタイルもモデルみたいに抜群です。ヨルさんはアラサーヒロイン界の希望と言ってもいいでしょう。

ちなみにわたしはヨルさんだけでなく、フィオナも大好きです。彼女の年齢は分かりませんが、少なくとも10代ではないはず。(10代であの魅力は出せないでしょう。)

この作品の流行がJKヒロイン時代の黄昏を意味することを願っています。

 

 

『気をつけなよ、お姉さん。』

最近どはまりした漫画です。百合です。

主人公は23歳のOL。ヨルさんはじめ20代後半のヒロインからすればちょっと若いですが、一応非JKなので今回のテーマからはそれていないはずです。

主人公の上司として25歳のお姉さんキャラも出てきます。

運動不足解消のためプールに行った主人公がおぼれそうになった時に、スタイル抜群(身長172㎝)の美女に助けられるというところから物語は始まります。

美女のイケメンムーブに主人公は惹かれていくのですが、あることが障害になっていて、なかなか踏み込むことができません。

ところで、高身長ヒロインっていいですよね。背が高くてかっこいい女性ってめちゃくちゃ憧れます。男好きのする清楚かわいい系ってわたしはあんまり好きじゃなくて、高身長イケメン女子キャラクターが流行ってくれたらなって思います。

 

『2DK、Gペン、目覚まし時計。』

わたしが地味に好きな作品です。また百合です。

この作品同居百合系の作品なのですが、ヒロインはそれぞれ25歳と27歳。

有能なOLとだらしない漫画家のコンビの関係はみてて飽きないですが、他にも同僚OLとか出てきたりして、アラサーヒロインたちの魅力が存分につまった作品になっております。

意識高い系萌えという新しいジャンルを開拓した作品でもあります。

これをよんだらあなたもきっと意識高い系が可愛く見えてくるはずです。

 

 

そして同居系百合と言えばこの作品も

『お姉さんは女子小学生に興味があります。』

同居しているのは、高校の非常勤教師の主人公28歳とミュージシャンの先輩29歳。百合です。

もうこの時点でなかなかいい雰囲気ですよね。

ヨルさんよりも年上のキャラ2人!しかもこの作品隣人の人妻キャラが33歳だったりとか、ヒロインたちの年齢結構高めなんですよ。()

ただ少し注意しなければならないのが、主人公が高校教師なので教え子のキャラクターがJKなことですかね。ただ基本的にはその子たちは脇役なので、メインヒロインは非JK!これは安心です。()

 

 

 

 

 

そろそろ本性を現します。わたしはJKや制服ヒロインアンチなだけなのです。

先ほども述べましたが、わたしが漫画やアニメのヒロインに重視するのは、キャラクターのファッションやお化粧。そしてそこから見えてくるそのキャラクターの生い立ちや性格、そして生き様を感じるということ。

つまりアラサーヒロインじゃなくてもいいわけです。

誤解しないでもらいたいのは、上記のヒロインたちが好きというのは本当です。

だけれども上記の作品に登場するアラサーヒロインでも、JKでもないヒロインたちも、非常に魅力的なキャラクターです。

 

例えば『SPY』のアーニャ

昨今の集英社系のヒロインの中でも最も人気なキャラクターの一人でしょう。しかし彼女は制服系キャラクターなのでここでは除外します。(別にきらいなわけではないよ。)

 

『気をつけなよ、お姉さん。』のイケメン美女は実は10歳です。

いやいやあり得んだろって思いますが、漫画なのでまあ気にしない方向で。

(作中でも言われてますし)

彼女の魅力は時折見せる子供っぽさにあると思います。彼女どう見ても20代にしか見えません。しかしちょっとしたしぐさが子供っぽかったり、子どもと一緒にあそんだりしているギャップはなかなかいいです。

ファッションに関しては、冬になっても半袖で過ごしたり、わりといつもおんなじ恰好でいたりするのが少し残念ポイントです。

でも主人公の葛藤だとか、まいちゃんが無邪気ながらなにかを感じ取っていたりするのは結構こころに響きます。一読の価値ありです。

 

 

この作品については…

正直これは倫理観ぶっ飛んでんなって思います。

まずヒロインの年齢がアーニャと同じなんですよ。さすがにきもいです。それに最後は逮捕エンドにしてもらいたいってくらい主人公がやばいです。9割くらい犯罪者です。ドン引きする内容です。(でも嫌いじゃない)

ただキャラクターの衣装や絵柄はとってもかわいいので、非JKヒロイン好きの人なら読む価値ありますよ。

ちなみに主人公と同居している29歳ミュージシャンが一番の推しキャラです。アラサーヒロイン推しは本当です。

 

さて本性を現したところで最後の作品。

今回紹介するなかでも、わたしが最もおすすめする作品はこちら。

 

こどものじかん』です。

アニメ化もしていますし、結構有名な作品なので知っている人も多いのではないでしょうか。

主人公は新任教師の23歳(男)ヒロインのりんちゃんは小学生3年生。

ちなみにりんちゃんは国民的芸人の粗品の付き合いたいキャラにランクインしています。


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内容は早熟なりんちゃんが主人公を(時には性的に)からかうという、小学校を舞台としたラブコメなのですが、児童虐待の問題だとか、小学校ならではの家庭環境の問題、教育の在り方、こどもの性欲など、難しい問題に取り組んだ意欲作でもあります。

ただのお色気作品だと思っているひとは、Amazonかなにかでアニメだけでも見てみましょう。結構シリアスな話で驚かされるでしょう。

 

 

ちなみに脚本はOVAも含め全話岡田摩利が担当していて、実質的にこれが彼女の出世作でもあります。

 

魅力としましてはやはりファッションについて。作中でも言及がありますが、こどものファッションは親が子供にどうあって欲しいかということが如実に表れます。

そして各キャラクターの服装にはそれぞれの家庭環境が反映されているのです。

また原作ではかなり踏み込んだ性的な描写をすることによって、こどもが大人になっていく様を大胆に描ききっています。

個人的におもしろいと思ったのは、無垢で気の弱かったみみちゃんというキャラクターが高学年になるにつれていち早く精神的に成熟し、結構辛辣なことを言ったりするようになるところ。

逆に成人でも大人になりきれないキャラクターも沢山登場し、それぞれが幼少期のトラウマや自身をこども時代に縛り付ける鎖を断ち切り、真の意味で大人になっていくという様はきっと感動するはずです。

テーマであるこどもとおとなとはなにが違うかということには、原作のほうで一応結論がでています。わたしは一応納得しています。

 

 

このような作品について賛否両論あることはわたしも理解しています。

しかし現代は情報化社会。

未成年であっても平気でポルノに触れることができてしまう時代です。

情報が簡単に手に入るということは、早熟なこどもが現れてしまう可能性も高くなるわけで。

もちろんそうした社会問題を真面目に取り扱うならば、文学などのハイカルチャーにおいて扱うということが倫理的には正しいわけです。

しかしハイカルチャーは今や象牙の塔の中以外では何の意味も成しません。

たしかにこうした作品に一種の不真面目な要素があることはたしかです。

最初から真面目腐ったテーマではもともと問題意識のあるひとしか手を出さない以上、不真面目の中に真面目なテーマを隠すことに、こうした作品の意味があるのではないかとも思います。

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(本ブログのスタンスは当記事にて)

 

というわけで今回は非JKヒロインの登場する漫画でした。

いろいろごたくを並べましたが、ぶっちゃけてしまうと、ただ衣装が変わる作品が好きなだけです。

そういった意味で本当は『苺ましまろ』を押したかったんですけど、あれ原作だとのぶえちゃんがJKなんで排除しました。

 

 

衣装が変わるアニメだと、『デビルマンレディー』も結構好きです。

これも同居百合なのですが、やっぱりヒロインがJKなので排除。

JK好きすぎるよオタクたち・・・

 

 

これはJKじゃないけど、制服だし。

 

やっぱり個人的にはOLヒロインとか増えて欲しいなってのが本音です。

今回は漫画中心でしたけど、アニメだとさらに制服JK率高いわけです。

だから『SPY』フォロワーがたくさん出てきて、一時期の『君の名は。』コピー祭りみたいな感じになってほしいなって思ってます。

 

それではJKブームの黄昏を祈って

 

またね~